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大人に第三の居場所が必要なわけ。

私にはたまにテニスを楽しむ居場所があり、それは時に救いになる。という発見について掘り下げてみようと思う。

近所の集合住宅の共用施設にテニスコートがあり、権利を持つ人の都合によりテニス会は開催される。何日の何時からテニスという簡単な案内で。都合が合えば行く!という気楽なもの💛

10年くらい緩ーく関わっているが、当初はLineも繋がってなかったので、今日集まってるかな?というくらいの気安さで時々参加し、ちっとも上達しないテニスを楽しみその後、目の前の浜で皆で飲みながら話をするというもの。

深く考えてなかったのだが、私は絶妙な距離を持つ関係をとても気に入っており、大人にも第三の居場所というのは必要なのだと感じた。

例えば大人になって知り合う関係に、仕事上でのつながり、親戚付き合い、そして子供のママとしての付き合いがある。

そこで、こんな経験があった。子供が年長で始めたスポーツの習い事で出会ったママ達についてだ。彼女達は最初から感じ良かった。フルタイムで勤務していた私には、情報交換する保育園ママ友の何人かはいたが、さっぱりした付き合いで、自分の時間の多くを子育てに注ぐママ達の様子は当時、新鮮だった。

にこやかに育児や家事の話をしつつ、さりげなく質問してくる彼女達。最初はこの違和感が何かわからなかったけれど次第に悟ってきたのだ。

あれらの質問は私達母子への興味や親しみでなく、私達母子がどういうカテゴリーに属するのかを無意識に探っていたのものではないだろうか。

配偶者の有無。勤め先、住んでるエリア、出身校、他の習いごとについて、私への興味というより、この親の子供は自分達の子供に関わらせても大丈夫なのかといった礼儀正しい防衛本能。実際、質問は多かったけれど、自分達の話はあまりしてくれてなかったような。。。

あくまでも推測だけれど、そうした事前情報を収集し、彼らのスタンダードから大幅に逸脱してないかどうかを判断されてから始まる関係。

どんな入り口であれ、実際は家族同士で楽しめるのも人生のある一定の期間だし、この役割を楽しむぞ。と思ってたけれど、子供が育ってきた今、私個人の居場所を育ててなかったなあ。なんて思っていたら、ふとテニス仲間を思い出した。

まず私は彼らのフルネームを知らない。そして、彼らの職業は知ってるけれど、勤めている会社名を知らない。個人の情報として既婚か未婚かは知ってるけれど、自分の家庭の話にはならない。

驚くことに、毎回、毎回、その瞬間を楽しんで完結して、また次回その時間を楽しむというサイクルを10年近く続けているのだ。

まるで、旅の途中で偶然会った、これから仲良くなれそうないい出会いの人達と10年もその時々を楽しむ為の時間を積み重ねてきたようなものなのだ。まあ、いい中年の集まりなのだけれど。。

簡単に会社名を聞いたり、共通の人の存在を知ったら、たちまち自分達の多くの時間を割いている世界に繋がってしまう。その機会はいくらでもあるけれど、あえてその可能性を広げない。
この感じが役割の多い私の救いになっている。

そして、その関係は私一人が創れるものではなかったのだ。仲間の皆がその絶妙な関係を好ましく思い、誰一人そのタブーを破っていないという事実に気づき、非常に嬉しかった。

個人でいる居場所を作る事。できたら幾つか持っておくといいなぁ。という話でした。

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