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エリーたちが復讐の旅の果てに手に入れたもの~THE LAST OF US PARTⅡ~

 愛するからこそ、憎しみが生まれる。

 自分が初めてTHE LAST OF USをプレイしたのは3年程前です。当時は漫然とプレイしていましたが、それでも言葉に表せない心の動きを感じたのを覚えています。そして続編、発売を楽しみにしていたTHE LAST OF US PARTⅡ。様々な時勢があって延期され、そのたびに募る期待。
 本稿は、THE LAST OF US PARTⅡを3周ほどプレイした自分があることないこと勝手に妄想したものになります。ネタばれあり注意です。
 発売から賛否両論が巻き起こった本作ですが、個人の感想としては大満足、の一言でした。別に鬱展開が好きだとかそんなのではないのですが。

※THE LAST OF US PARTⅡの他の考察はこちら

1.システム面の感想

 ゲームシステム面は手に入れる物資のバランスが気になったくらいで、個人的には何も文句がありません。ゲームセンスの有無以外にも、視聴覚障害をはじめとした多くの人にプレイしやすいように設定できる難易度設定やアクセシビリティ。これだけでもノーティドックがどれだけプレイヤーに配慮したかが察せられました(同時にそれだけストーリーがどぎついことの証明でもありますが……)
 自分はそれほど上手なわけでもなく、最高難易度だといわゆる芋プレイも多かったですが、道具でごり押しもヒット&アウェイもステルスキルもできる楽しさ。現在はPVのような流れる戦いができるように、4週目をしている最中です。

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2.ストーリーへの個人的な感想

 そして、問題のストーリー。すでに様々な考察が出ていると思いますが、自分が考え感じたのは物語を通してエリーとアビー、ひいてはプレイヤーがこの復讐の旅を通して手に入れたものです。
 そもそも1週目のジャクソンでまだ名乗ってない女性(アビー)を動かした時点で、「この人絶対エリーの復讐対象じゃん、やばい復讐対象に感情移入するのか図ったなノーティドック……!」と思ったのが、ジョエルの死も冷静に冷酷に俯瞰できた理由かもしれません(ジョエルが死んだとき最初は思考停止しましたが笑)。

 1週目を終わった当初は、「この作品がクソだつまらないだなんていう人は信じられない!」と思っていましたが、今は(作品やスタッフキャストに対する誹謗中傷は論外として)「僕は嫌い」「つまらない」「信じられない」というような否定的な感情も「そりゃそうだよな」と思えるようになりました。というより、
 この賛否両論の言い争いすら、エリーとアビーの戦いのようにも感じて、とことん「製作者たちの意図にドはまりしているのかな」と身震いしました。

3.エリーとアビーが失い、手に入れたもの

 失ったものは言うまでもないと思います。ジョエル・ジェシー・ディーナやJJ(との繋がり)、父・マニー・メル・オーウェンやWLFの仲間たち。
 では彼らが手に入れたものとは? それは、人間として文明を築くためのシステムではないかと考えています。
 パンデミックにより社会構造が激変した世界。電力や銃など旧世界の名残やその知識を持つ人間は沢山いますが、それでも少ない物資を求めて他の集団を殺し合うこの世界は、科学が進歩し個人が尊重される以前、国家や文明が発達する以前の少数部族のそれに近いものを感じます。また一部の例外を除いて、文明が荒廃し感染者の存在によって外界との交流が難しくなるのも、少数での共同体の暮らしを後押しする、それを助長しているのではないでしょうか。

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 物資の少なさから、互いの領域を持ちつつも時には暴力行為や略奪も行われる現状です。ジャクソンのように救い救われる場所もある。WLFも当事者からすれば立派な組織。セラファイトも、教義が拡大解釈される前は信じた者に安らぎがもたらされる、一つの立派な宗教だったのではないでしょうか。
 救い救われ、時に殺し殺される。不自由ですがある意味ではお互いに平等であり、これによって世界は部族社会同士が結託し、不平等な上下関係のある「国家」へ変化することを防いでいる(邪魔している)とも読むことができます。(ジャクソン・WLF・セラファイト・どれもアメリカにおいて国と言うにはまだまだ人口が足りない気もします)

※ちなみに、こう思うきっかけは「世界史の構造」という一冊から得た考え方でした。そこには「互酬」という概念をはじめとした、世界史を読み解くための交換様式論というものがありました。時代と土地によって社会にはA~Dそれぞれの特色が強くでる、というようなことを著者は述べていました。

 今作のエリーとアビーは言うまでもなく殺し合いをしています。復讐には復讐を。いっそ清々しいくらい不自由で平等な関係ですが、これでは社会はいつまでたっても前進できない(たった二人に世界の命運を任せるのも酷ですが)。少なくとも旧世界を知りそこに戻りたい人々にとっては、悪手以外の何物でもないでしょう。
 エリーはパンデミック後に生まれました。アビーも20代でしょうか。仮にパンデミック前に生まれていても、自我が形成される頃にはすでに世界はパンデミック後だと思います。二人とも意識も体も何から何まで終末世界の野蛮な価値観の住人です。

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 ですがその野蛮な二人は旅の果て。アビーはエリーを殺しませんでした。エリーも様々な葛藤を経て、アビーを殺さないという選択を取りました。お互い、相手を恨んでいることに変わりはありません。お互いが相手に「理不尽だ」と思っているでしょう。ですが、少なくとも殺人に殺人で返すという「不自由で平等」な関係は断ち切られたのです。
 今回、原始的なセラファイト、それに諍う国家の前身のようなWLF、そして国家のような上下関係を持つ(と言うには少し無法者すぎた)ラトラーズを乗り越えてきたことは、次にエリーとアビーや世界が進む道、つまり再び文明社会に返り咲くことの示唆のようにも感じられないでしょうか。

 世界にとって、パンデミックを解決するワクチンを作れなかったことは痛恨の痛手です。ですが同時、世界が再び元の文明に戻っていくには相当な時間がかかるでしょう。食糧難・荒廃したインフラ・自然の猛威・25年を経て終末世界の価値観しか知らない人間たち。彼らが2020年のような文明に戻るには、それらのハード面が解決されたとしても、人間を統治するシステムというソフト面が修正されなければならないのでは?
 エリーとアビーは、少なくとも二人の間でだけは、数えきれない犠牲の果てにそれを手に入れたのです。二人がもし天寿を全うできるのなら、まだまだ数十年以上の人生があるはず。
 僕らにもまだまだゲームを終えた後の日々が続きます。
 本作のテーマは「復讐の連鎖」や「憎しみ」そして「相互理解」。
 PARTⅠで殺し合ったジョエルとジェリー(アビー父)、PARTⅡで復讐の連鎖を断ち切った二人の子供たち。次なる相互理解は……はたして誰になるのでしょうか。

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記事を最後までお読みいただきありがとうございます。 創作分析や経験談を問わず、何か誰かの糧とできるような「生きた物語」を話せればと思います。これからも、読んでいただけると嬉しいです。