「あたしンち」しか観れない日
この言葉は、風邪で寝込んでいた母が、子供たちの「寝ててくれ」という制止を振り払って、雨の中ピザを取りに出ていった後に父が言ったセリフだ。
この言葉がこんなにも刺さる日が来るとは。
「あたしンち」
小さい頃からアニメやマンガを散々見て育った。フルカラーのコミックスは、当時小学生のお小遣いでは少々値が張るものだったが、少しずつ集めた。
日常を描くストーリーは大人から子供まで楽しめる内容。読者にも考える空白を与えてくれていながら、真意を突いたセリフがあり、わたしの日々の中に工夫や思考を凝らすきっかけをくれたと言っても過言ではない。
線の少ないイラストとシンプルなセリフ。見るハードルが下がるのに内容はとても濃い。そんなところが大好きで今でもAmazonプライムで流しながら家事をこなす日々。
それ故、「あたしンち」ループから抜け出せないでいる。もう知ってる話なのに何回見ても面白いのだ。
次々と話を見ていく中で、先程の話が出てきて、父があのセリフを言う。
「色々、つまらんことを考えるんだろ。」
そのセリフの前に、「寂しいんだろ。」と言ってから続ける。
「寂しい」。単純なようで恐ろしい数の意味を含む「寂しい」。本人にしか分からない、本人にも分かるか怪しいその欠片を、父は拾ってくれたのだ。
いつもの日常ではない状況下の不安は、今になって痛感しているので、この話を見ると心の下あたりが締め付けられる。
部屋に1人で寝ていると、つまらないことを考える。それから逃げたくてやることを散りばめてみるも、どうにも身が入らない。自分の価値を見つけたくて、足掻いてしまう。やらなくていいのに。
立場は違えど、風邪で思うように動けなくて、もどかしい母の気持ちがなんとなく自分にも重なってしまって苦しい。でも、自分が思っているよりも周りは寛容で居てくれてるものかも知れない。そんな客観視をすることもできる。
話毎に名言は存在するので挙げきれないが、少しずつ書き留めることにする。
これも大人になると痛感する。
実際、何の気なしに良いものを買ってみたりすると、それが良くなってしまい次からはそれがスタンダードになってしまうものだ。
私も、100円高い鯖缶を買ってみたら美味しすぎて、次から当たり前のように100円高い鯖缶を手にしてしまう。
確固たる意思があれば別だが、良いものは良いに決まっている……。母はその後にこう続ける。
なんて説得力なんだ……。そして心当たりがありまくる。
しかしそう豪語する母も、別の話(第200話『違いのわかるタチバナ家』)で、お高めなトイレットペーパーを1度使ったらもう別のものを使えなくなったと話している。
子供たちからしたら不服ではあるのだが、そういった節約が家庭を保つ大事な部分だと分かる今、母の努力には脱帽するばかりだ。
子供の頃と、今とでは見る視点が変わるので、当時厳しいなあと思っていた母の名言にドキッとする場面が増えた。
「あたしンち」は、子供の私にも大人の私にも寄り添ってくれる。
誰か、分かって欲しい。話を聞いて欲しい。不思議とそんな時に「あたしンち」を観たくなる。
そのせいか、最近はめっきり「あたしンち」しか観れない。
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