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住んでいた家を巡る。

今の家で4軒目になる。今まで住んできた家の数だ。


3軒目までは同市内を移り住んでいたが、今の家になって初めて市を跨ぐ引越しとなった。この家に住んでもう4年目になる。新しい町と思っていたこの場所も、ひとつの帰る町になった。

県内なので大袈裟に遠い訳ではないが、それでも1時間半程車を走らせる距離だ。今回、元より住んでいた町に遊びに来て、帰路へつく前にふと「住んでいた家巡り」をしようと思い立った。

その3軒はそう離れていない場所にある。これから向かうのは、3軒目の家。つまり最近まで住んでいた家だ。わたしが家を出た後、その後暫くは母が1人で住んでいたが、程なくして母も現在私が住んでいる町に引越しをした。なので、その家には違う誰かが住んでいる。

到着するも、特に車から降りたりせず、少しだけスピードを落としながら通り過ぎる。特別古い訳でもないが、新しくもないアパート。最寄りの駅は、少し歩く距離にある、不便ということでもない家だ。いつも車を停めていた場所には、知らない車が停まっていて、窓には違う柄のカーテンがかかっている。そんな現状の家を見ても、なんとなく、まだそこに母が一人ぼっちでいるんじゃないかと錯覚する。車から降りて、インターホンを鳴らせば嬉しそうに出てくるのではないかと。いやいや、ここはもう自宅ではない。
妹とも親ともよく喧嘩したなあとか、水周りしょっちゅう壊れたなあとか、通り過ぎる一瞬で、まだはっきりとした記憶が蘇る。(本当に多かった、水のトラブル……)

そこから4、5キロほど離れたところに、1軒目の家がある。この町に引越してきてから初めて住んだ家だが、この家で過ごしたのは幼少期から小学校低学年あたりまでだ。かなり築年数の経った一軒家の賃貸。壁は砂壁だったし、障子があるし、浴室の床はタイルだしで、当時ですらかなり古かったように思えるが、この家もまだ建っている。誰かが住んでいる。家の向かいの道路で、自転車の練習をしたり、玄関先で新しいランドセルを背負って写真を撮ったことなどを思い出す。1番遠い記憶でも、きっと1番愛しい記憶だから、家族の顔こそ少しぼやけてしまうのだけど、それらの日々のにおいや笑い声すら思い出せるのだ。

さらにそこから3キロほどで2軒目の家に到着する。小学校低学年から、高校入学あたりまで住んだ家。ここも決して新しいアパートという訳では無い。比較的住みやすかったが、何せオバケが出る!という話は置いておく。通りから、かつて自室だった窓が見える。今まで住んできた家の中で1番好きな自室だ。その部屋で、自由に時間を使ったことを思い出す。好きなことを思いっきりやっていた。不安や寂しさや悲しさを埋めるように、好きなものを増やして。今も、当時とそう変わらない生活かもしれない。ずっと何かで紛らわせている。結局、何かを引きずったまま大人になってしまった。当時も今も、時間を自由に使ってる自覚は無いのだけど、振り返ればあの頃が好きな事を正直にやれていたのだろう。無意味なことだって愛せたのだろう。
なんとなく、当時の自分に肩を叩かれた気持ちになる。

さあ。全部通ったし、ここからは帰り道だ。現在住む家まで、1時間半。

巡った家全ての場所で、過去の自分たちの幻影を見た。過ぎ去ったものだけれど、今もそこで、年齢の違う自分たちが生活しているように思えてならないのだ。


きっと、タイムマシンに乗れる日は来ないのだろう。しかし立ち止まることで、昔の自分に会いに行けるのだとしたら、それは立派な時間遡行だ。意識的に立ち止まることは、とても難しいと思い知ったので、過去の「象徴」みたいなものに触れれば、思いのほか簡単に過去へ戻ることができる。

そして、今住んでいるこの家も、いつか「住んでいた家巡り」で寄るうちの1つになる日が来るかも知れない。その日に、今こうしている自分のことを思い出すと思うと……。厳しいと思うことの多い毎日だけど、なんだかんだで今の自分たちの暮らしが最高で満ちてるので、未来の私、どうか笑ってるところだけ思い出してくれよ……。そんなことを妄想しながら帰路につくのだった。

次回巡るのは数年後だな〜〜!!

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