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【SNK】解釈違い【KOF】

 誕生日なので唐突にもの申す。

 タン先生は『KOF XIV』での対戦前の掛け合いで、庵に対し、
「チミ、今のこの状況を案外楽しんでない?」
 みたいなことをいっていた。これはもちろん、京との対立関係についてのことである。要するにタン先生は、
「毎度毎度『京、殺ス!』とかいってるけど、チミ、『トムジェリ』っぽい今の関係性を楽しんでるでしょ?」
 といいたいのだろう。きっとそういう意味でいっているに違いない。
 が、ちょっと待ってくれ。『餓狼SP』でタン先生を愛用していたぼくだが、それでもあえていわせてもらう。

 違いまーす! ぜんぜんそうじゃありませーん! 公式の解釈違いでーす!

 ……もちろん、シリーズを追うごとに、キャラAのキャラBに対する考え方が変わっていくということはあると思う。
 卑近な例でいうと、初代『餓狼伝説』のテリーは、おそらくだが復讐心の塊で、ギースに対する殺意満々だったと思う(ビリーに勝った瞬間は復讐のこととか忘れて純粋に大会優勝を喜んでたかもしれんが)。だが、『RB餓狼伝説』でのテリーは、ジェフの仇であるはずのギースに思わず手を差し伸べてしまったことからも明らかなように、かならずしも復讐が絶対的な目的ではなくなっていた。
 しかし八神庵は、以前も書いたように、変わらないことで魅力をたもち続けるキャラなのである。少なくともぼくはそう思っている。
 特に、庵と京の対立関係は、一族同士の長年の因縁を超えたところにあるとされている。一族の因縁とは無関係に、庵はとにかく京が気に入らない。だから殺す。殺し合いでしか成立しない殺伐とした関係性。
 それが庵のスタンスであるにもかかわらず、よりによってタン先生は、「何だかんだで京とバチバチやってる今の関係が心地いいんでしょ?」というようなことをいい放ったのである。
 もし庵が「強い奴と闘うことが俺の無上の喜び!」とかいい出すタイプの戦闘民族なら、さらなる強さを求めて京との闘いを楽しんでいるという可能性もあるし、タン先生の指摘も判らなくはない。が、ご存じのように庵はそんなキャラではないし、むしろ、京がいなくなれば闘う意味すら失いかねない人間である(少なくとも京がいないKOFに参戦する姿は想像できない)。
 京と庵の対立は絶対に不可避で、なおかつどちらが勝った負けたと白黒をつけることすらはばかられたため、オロチ編終了時に当時のスタッフさんたちも、いったんは彼らふたりを封印しようとしたのではなかったのか(ビジネス的に見れば、あの時ふたりを封印しなかったのは大正解だったのだが……)。

 だいたい、もしタン先生のいうことが正しくて、庵が本当は京とのド突き合いをずっと楽しんでいたのだとしたら、それこそ庵は超絶ハイレベルなツンデレということになってしまうし、これまでふたりの激突を必死に回避しようとしてきたちづるや真吾がバカみたいではないか。
 何より、この京と庵の関係性に惚れ込み、四半世紀にわたって追いかけてきたファンたちに、

「あなたたちが見ていたものは幻だったのです。本当は庵には京を殺すつもりなどなく、すべてはビジネス殺意だったのです」

 といっているようなものではないのか?
 だからタン先生の発言はなし! あんなのは660年の歴史が作り上げた幻にすぎなかったの!

 ……などといきおいにまかせていいたいことをいってみたが、よくよく考えてみれば、あるキャラの発言=公式設定、とはかぎらないのではないか? というか、ゲーム中で誰がこういったとかああいったとか、そんなに深く考える必要はないのではないか(ここまでの文章を全否定するデッドリームーブ)。
 そもそもあの世界ではやりっぱなし、いいっぱなしで放置が基本である(痛烈な公式批判)。

この時確保したクローンたちはどこにいったんですかねえ……。
結局、タクマを襲撃したのは誰だったんだってばよ?
はいはい、飛賊飛賊。
最後は自戒の意味を込めて自己批判。ソワレェ……。

「ちゃんと考えてこういう展開&セリフにした!? ホントにあとのこと考えてこうしたの!?」と問いたくなるような、これら数々の前例を見れば、タン先生の老齢から来る失言など他愛のないことと流すのがファンの礼儀というものであろう。今後も我々は、ただただカッコいい八神庵を拝み続けていればそれでよいのである。
 あいつらきっと絶対に手を取り合ったりしないから!
 とりあえずハピバ!

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