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矛盾を愛する

もうずいぶん前の話だ。わたしが前の夫と結婚生活をしていた20代のころ。
従兄弟の結婚式で親戚が集まった。

地方にいる1つ上の従姉妹と2つ上の従姉妹と久しぶりに会ったのでこの後でお茶でもしようという話になった。
父は9人兄弟なので従姉妹、従兄弟がたくさんいる。なかでも歳の近い従姉妹は姉妹とも友達とも違う距離感の存在だった。

わたしは2人の子も連れて前夫と参加していたが、夫が行ってきていいよというので出掛けようとした時に伯母に怒られたのだった。
トトロに出てくるかんたの婆ちゃんそっくりの訛りとしわくちゃの顔の伯母に「嫁に行ったおなごが子どもを置いて夜に出歩くなんてだめだ」と怒鳴られたのだ。

厳しい伯母だった。父よりもずいぶん年上だったので世代が違うのもあるけれど、封建的な価値観だった。

実はこの伯母さんが自分の母親の妹(叔母さん)のお産の手伝いに行った時にその夫と駆け落ちして家庭を作ったという一族を揺るがした人なのだ。

人に偉そうに物を言える人間なのか?と後から思うところもあったのだけれど、自分の中に後ろめたさがあると取り戻すようにちゃんと常識的でありたいのかもしれないなあ。


父はわたしが高校に入ってすぐに亡くなった。母と折り合いが悪く居場所の無かったわたしは高校を卒業してのちに夫となった7歳年上の人とすぐ同棲をして家を出た。この彼が沖縄の人なので遊びがてら両親に会いに行くという話をした時に父の妹の叔母Aに「結婚もしてないのにだらしない」と言われて泣いた。

この人もよく考えたら、昔、うちの父が買った家に叔母Bとちゃっかりわたしたち家族より先に住んでいた時に男も住まわせていた。

兄からタダで借りていてすぐ隣の部屋に妹も居る家に男を連れ込む方がわたしは信じられないんだけどな。この叔母もよく正論を使ってわたしを言い負かした。


冷静に考えると理不尽でおかしなことがたくさんあった血の気の多い獰猛な一族だった。(笑)

ファミリーカルマや傾向ってあると思う。こうやって自らにはだらしないのに真面目でありたくて人には厳しくたくさん要求する。

欲深く、僻みっぽく、自己主張が激しい。大騒ぎして恩を売り、人のことが気になり、口を出し、すぐ怒りに火がつく。
そのくせ真面目で常識に囚われ、人の目を気にしてちゃんとしなくてはと力む。
両親は真面目な働き者ではあったが、同じような傾向もあった。(そして若い頃のわたしもかなり血の気が多かった!それでも親が嫌がるので親戚の振る舞いは全部我慢して飲み込んできた。)


父は9人兄弟で妹弟も4人いて、近くに住んでいた。うちは商店だったのでいつも誰かが訪ねてきていた。こんな環境の中でわたしは育った。

正しさを主張して人を責めたい人にとってイノセントで語彙力のない子どもなんていい標的になる。わたしは愛想のない空気の読めない子どもだったので叔母Aの痛いところを突く質問をしたりして怒りを買いよく泣くまで責められた。親がトラブルを嫌がったのでわたしは自分を守るための「やめて」とか「違う」とかを言うことは選択肢にない、打たれっぱなしのサンドバッグだった。

全部、人のせい。
あいつが悪い。あいつが気が利かないからと人を責める。人を恨む。根に持つ。


大人になって思うのだけど、子どもに本気で意地悪するほどあの人達は苦しかったのだろうなあ。

自分の思考の中に戦いがあるから世間は敵だと思っている。世間が自分を攻撃してくる恐れ。だから抵抗できない子どものわたしに鬱憤や怒りや攻撃が向かったのだろう。

世間から攻撃されないように凄い人、立派な人、良い人のふりをして内側と外側の矛盾がますます大きくなる。


恐れ、怒り、被害者意識などの自分の闇部分を隠し、抑圧し、抹消しようとするとそれは潜在意識に入り込む。
潜在意識は顕在意識よりもはるかに現実化のパワーを持つ。


自分が抑圧した嫌ったものが自分のフィルターを通して人のものとして見える。(投影。本当は自分の眼鏡の傷なのだが。)
そうして人を恐れ嫌って恨んで憎んで暗くて重くて粘っこい世界へ引き摺り込むエネルギーに絡め取られていく。

自分の価値観が変わったり、自分の闇を許すことができない限り、その嫌いなものはずっと自分以外の誰かの中に見え続ける。(それは本当は自分のジャッジだ。つまり自分の眼鏡を綺麗にしない限りその闇は付きまとう)

そうやって恐れの中でいつも厳しく採点され間違うと責められる環境の中でわたしは育った。子どもだから仕方ないよね、みたいな温かさや寛大さのない環境で育った。


だから若い頃のわたしは同じように人のせいにして人をいつも厳しく見張ってジャッジしていた。
彼らの期待に応えられないわたしが嫌いで許せなかった。わたしは愛される価値の無い人間だと信じていた。
そして他人というのは弱さを見せたら容赦なくこちらをジャッジし、奪い、攻撃してくる悪意のある存在だと信じて闘っていた。←しっかり被害者意識をもっていた。

人が親切だと思えたのなんてつい最近だ。

親族で共通しているのは被害者意識だった。
自分を被害者にしているけれど、本当は自分の中で勝手に恐れて闘って勝手に傷ついて怒って、敵を量産し続け、恨みつらみを溜めてどろどろ粘っていく集合意識がわたしを含む親族だった。

本当は認められ愛され、心穏やかに幸せでいたかったはずなのにうまくいかずにどんどん粘って重たくなって逆に向かっていたように思う。

ちなみにもう1人の叔母Bもわたしたち姉妹を搾取する人だった。11才しかわたしと違わない彼女も愛されたい人だった。良い思い出もあるけれど大人になったわたしは彼女を含めた父方の親族との交際は絶った。


うまくやれないわたしは長年自分がおかしいと思い自分を責めてきたが、自分のせいだけではないよなあ。

この親族の集合的なエネルギーを当たり前に体現してきたところから一つ一つ意識的に気がついて取り除き変えていく作業をしてきた。
頭では分かっていてもそのように動いてしまう、自分で禁止したくなるような恥じたくなるような行動を衝動的にとってしまうのはまさにカルマだろう。

わたしはこのネバネバな厄介な無意識の思考の癖を超えることをかなり頑張ったと思う。
自分や周囲の人を不幸に貶めるそのパターンをもうわたしは採用しなくなった。
でもそれは子供時代に嫌な思いをし、うんざりしてその世界から抜け出たいと思わせてもらえたからだ。だからうんざりな親戚だけど有り難いと思っている。
全く嫌いなわけではなくて葬式などで顔を合わせた時は楽しく過ごすし、感謝はしている。しかし両親も亡くなった今は自分の心の健康のために普段は関わらないことを選んでいる。

矛盾。大いに矛盾。それを否定しない。あっていい。愛していても厄介さはあるのだ。そしてそんな自分の矛盾を許せるから叔母達のしたことも理解できるのだ。

この環境、このファミリーの問題、闇はおそらくわたしの魂が過去世から持ち越した宿題だったように思う。親戚の彼らが問題だったのではなくわたしの中に持っていたから彼らを通して体験させられたのだということだ。

日本人て間違いを正して「100点」を取らないといけないように教育されているけれど、別に正しくなくてもいいのだ。人に評価される必要もない。


けれど無意識でカルマのまま振り回されたり、本能のままに生きたりするのは本来の生まれてきた意味をスルーしているように思う。特にサンスカーラ、いつもの魂のパターン、傾向に流されてしまいがちなところをしっかり自分で判断して超えていくことがわたしの深いところから求められているのが分かるのだ。


だからこそ克服したくなる環境に生まれてきたのかもしれない。この家系に生まれたことを当時は恨み苦しんだ。しかし今は必然だった、なんなら自分で選んだのだと思っている。


人生や自分への意味づけなんてどんどん変わる。ポリシーも正義も簡単に変わる。だからあまりこだわらず握り締めないでいこうと思う。

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