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シャニマスを考察できない人

概況

・ゲーム名 :アイドルマスター シャイニーカラーズ
・プレイ時間:10時間くらい

あらまし

 ダ・ヴィンチ・恐山さんの動画で、熱意にあてられて連休頭にはじめました。実際にやってみると、システムはそこそこ、絵は綺麗、ストーリーも凝ってると、この手のソーシャルゲームにしては非常に高品質で、さすが流行るだけのことはあると感じました。 

 その一方で、おそらくこのゲームのキモであろう、アイドル達を一人の人間として描き出す・プロデュースするみたいな所に自分は踏み込めないだろうな、というのも強く感じました。

 特にそう感じたのは複数回Badを迎えたアイドル*1を、初めてTrue Endでクリアした時。より正確にはTrueクリア後にそれ関連の考察を読んで演出の意図や彼女の発言の意図にほとんど気づけていなかったことを知った時です。
 理由としては、短い時間で論旨を把握するような読み癖がついていた事。最近ストーリーの薄いゲームばかりやっていたことなど色々あると思います。しかし、ゲームをプレイしていた時を振り返ってみると、どうも普段の他人への接し方に問題があるように思えてきました。
 自分は普段、他人は他人、理解できないところがあってもそれで良いというスタンスで行動しています *2。この姿勢がゲームの中でアイドルに向かい合う際にも出ていたように思います。
自分はこのスタンスを崩すつもりもないため、おそらくこのゲームを真に楽しむことはできないでしょう
 ですが、そんな自分でも冬優子さんは見ていてカッコイイなと思えたのでしばらくつづけようと思います。

総論

 深く踏み込みはしないけど、しばらく続けます
 黛冬優子さんがかっこいいので

余談

 シャニマスというコンテンツについて調べようとすると、本当に好きな方々の熱い考察があちらこちらで目につきます。
自分はこういった好きな物に全力で取り組んでいる方の話が好きなので、見つける度に読んでしまうのですが、その結果として上で述べたような、自分はここまでできないという感覚にたどり着いてしまったように思います。
 これはおそらく、神絵師多すぎ問題*3 と同根だと思うのですが、まさか自分が好きの熱量でそんなことになるとは思ってもみませんでした。
 また、熱量の強い解釈を読んでしまったために、自分の理解がそちらに引きずられてしまう、といったことも何度かあり、熱い感情は良い意味でも悪い意味でも人を巻き込むんだなぁ、と感じました。

注釈

*1:黛冬優子さんでした
*2:書いてて劣化版雛菜さんみたいだなと思いました
*3:ネットでは本当に絵の上手い一部の人が可視化されやすいため、自分の能力に劣等感を感じて挫折してしまう現象


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