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『あと10年は戦える』歌詞解説#1

 マンバーフリークスのみなさん、いつも応援有難うございます。さる3月23日に結成6年目にしてデビューシングル『あと10年は戦える』が全世界同時配信されまして、今後はグローバル展開を意識し、漢字表記を改めて“万願寺卍BURNING”からカタカナ表記の“マンガンジバーニング”として活動していきます。引き続きどうぞご贔屓の程をよろしくお願いします。

『あと10年は戦える』

 つきましてはデビューシングル配信を記念して、随分と間が開きましたが歌詞解説をやってみようかなと思います。

「戦いはこの一戦で終わりではないのだよ。」「考えてみろ、我々が送り届けた鉱物資源の量を、ジオンはあと10年は戦える!」

『機動戦士ガンダム』第25話「オデッサの激戦」

 U.C.0079年11月7日、連邦軍の大反攻作戦によって地球におけるジオン公国軍最大の拠点オデッサが陥落。脱出するザンジバル級機動巡洋艦マダガスカルの艦橋でのオデッサ基地司令マ・クベの台詞は半ば負け惜しみではあるものの、この人物の資質をよく示してもいる。

 一般にオデッサの戦いは連邦軍総司令ヨハン・イブラヒム・レビル大将とマ・クベ司令との戦いと認識されているが、戦闘終盤におけるマ司令の水爆ミサイルによる恫喝とレビル将軍の無言の進撃命令という場面により、この戦いが2人の間で行われたかのように強く印象づけられた。
 実際にはこの会戦におけるマ・クベの立場はあくまで連邦軍の最終目標オデッサの基地司令であり、侵攻してくる連邦軍に相対していたのは第1地上機動師団を基幹とする公国軍欧州方面軍、司令はユーリ・ケラーネ少将だった。本来、ケラーネ少将の作戦構想では、ドーバー海峡からスカンジナビア半島にかけて複数路から同時侵攻してくる連邦軍に対して、東欧から黒海までを縦深陣地として焦土作戦を行って消耗を強いながら徐々に戦線を圧縮していき、最後は要塞化されたオデッサに拠って連邦軍を殲滅するというものだったと考えられる。

 オデッサは黒海沿岸に位置する、ユーラシア中央部に散在する鉱山採掘基地群の管理本部である。資源の乏しい公国にとっては地上における最重要拠点であり、当然その防衛のためには少なくない戦力が割かれ、突撃機動軍司令キシリア・ザビ少将直属の第7師団から特に資源採掘部隊が編成されてマ・クベ司令の指揮下にあった。その規模は一説には20万人程度あったとも言われる(恐らく資源採掘のための非戦闘員を含む)。
 基地司令としてのマ・クベの職掌は基地防衛だけではなく、むしろ多数の鉱山基地での資源採掘の監督、また採掘した資源の宇宙へのロジスティックの管理にあった。したがってマ司令の資質も戦闘指揮官というより兵站管理者としてのそれであり、先の台詞もそのようなマ・クベの立場、資質から理解する必要がある。
 彼にとっては連邦軍との決戦はあくまでも欧州方面軍の任務であり、自らの責任は基地防衛と管理にある。連邦軍の作戦目標がオデッサ奪還にある以上、両者の任務は結果的に重なり合う部分が多いはずだが、マ司令の官僚的発想ではそうではなかった。ケラーネ少将にはマ・クベに対する指揮権はなく、マ・クベはあくまで散在する資源採掘基地の防衛に自分の戦力を貼り付け続けた。
 機動兵器であるMSを実質的に砲台化させるなど、戦術家としてのマ司令の資質には疑問符がつくが、彼も無論連邦軍の動向を座視していたわけではなく、オデッサ正面に当たる連邦軍左翼の指揮官エルラン中将を内通させて無力化するなど、彼は彼なりの戦いをしていたとは言える。ただしマ・クベにはケラーネ少将のようにオデッサで連邦軍と雌雄を決するという発想はなく、エルランの内通が露見し、水爆ミサイルによる恫喝も無効化された時点でマ・クベの戦いは終わった。キシリア機関の地上における諜報活動の統括も行っていたマ・クベにとっては、戦場はあくまで謀略戦の中にあったとも言える。また連邦軍との戦闘はあくまで欧州方面軍の任務であり、その勝敗は自身の軍歴に何ら傷をつけるものではないと考えるのがマ・クベという人物だった。ただしマ司令が戦場から単身離脱したことで、その隷下にあった基地防衛戦力は指揮命令系統を失い、結果的に後方が消失した欧州方面軍もともに潰走することになったという戦況が認識できていない点では、やはり軍人には向かない人物だったと考えざるを得ない。事実、マ・クベに対するキシリア少将からの信頼はこの後徐々に低下していき、台頭するシャア・アズナブルへの対抗意識が結局のところ彼の生命を縮めることとなった。

 実のところマ・クベの軍歴はあまり詳らかではなく、オデッサに着任する以前の経歴で明らかになっているのは、開戦から1ヶ月ほどが経過したU.C.0079年2月に起案された統合整備計画に関するものである。
 公国軍のMS開発はジオニック社やツィマッド社をはじめ、多数の企業が競合し合いながら並行して進められていたために、部品・部材規格や装備に統一性がなく、操縦系の仕様も機体ごとに異なる状況にあった。これは機体ごとに必要な生産ライン、メンテナンス・コストの上昇、機種転換訓練の負荷など、さまざまな不効率を生んでいた。マ・クベ(当時中佐)が起案した統合整備計画は、設計段階からこれらの部品規格や仕様を統一することで、MSの運用効率を向上する意図のものだった。結局、統合整備計画は2月に実行されることはなく、大戦末期まで持ち越されるのだが、この経緯から、マ・クベはオデッサ着任以前から兵站部門で実績を挙げていたのではないかと推測できる。
 また2月という時期も注目すべき点である。南極での休戦条約交渉の最中である1月31日にレビル将軍の所謂「ジオンに兵なし」の演説により戦争の継続が確定し、翌2月1日に公国軍が地球攻撃軍を設立した、まさにそのタイミングで統合整備計画が起案されていることは、長期化する戦争経済においてMS運用の効率化が必須とするマ中佐の戦略眼の非凡さを示している。
 その後、3月1日に第一次降下作戦が開始、公国軍欧州方面軍は翌2日にはオデッサを占領。4日に資源採掘部隊とともにマ・クベ司令がオデッサに降下(恐らくこのときに大佐に昇進)したことで統合整備計画は先送りになったようだが、オデッサ基地司令へのマ大佐の起用は、兵站管理のエキスパートとしての彼の実績を評価されてのものと考えられる。

 大戦末期、「マ・クベなどと言う、本来官僚気質の者を司令になんぞ就けるからオデッサまで失った」と揶揄するロートレック・ハミルトン少将に対して、アンリ・シュレッサー准将はマ・クベを「しかし、彼以上の人材が居なかったのも、また事実だ。統合整備計画の手腕は見事だった」と評した。武張った軍人の多い公国軍では異端視されながらも、マ・クベが異能の人だったことは間違いない。

 ただしマ司令が「ジオンはあと10年は戦える」と予言した僅か2月足らず後の0080年1月1日にジオン共和国と地球連邦のあいだに休戦協定が結ばれることになる。それは鉱物資源の不足によるものではなく、人的資源の枯渇によるものだった。オデッサ作戦に参加した約100万人とも言われる公国軍将兵をはじめ、多くの戦力が地球に置き去りとなり、宇宙での決戦において学徒兵を動員せざるを得なかった。兵站管理者としては有能だったものの、戦争において最も貴重な資源は人間であるという万古普遍の真理に思い至らず、物的資源にしか意識が向かなかった点は、やはり何かが欠けた人物と言わざるを得ない。


結局、曲名しか解説できずに#2に続く。

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