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四十八文字の話『ヘ』③-4 「平安時代」貴族「藤原氏」と「古代イスラエル ( ゼブルン族 )」との不思議な関係②

🌕新約聖書
【マタイによる福音書4章15、16節】
ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった。


………「日本」へ、そして更に「東方」へ


航海術に長けた「ゼブルン族」の船に乗る「ナフタリ族」。目指すは、太陽の昇る「東方」へ。

「ナフタリ族」と「ゼブルン族」は ( 始祖同士が )
異母兄弟です。
全くの素人である私が観させて頂いた聖書には、十二支族間、つまり兄弟間の「骨肉の争い」が記されているのが印象的でした。

「兄弟は他人の始まり」


他人同士は勿論ですが、かえって「血の近い者同士」だからこそ、その因縁は深くなるのでしょうね。

ですがそればかりではなく、中には「何故か、妙に気が合う」「親近感があるな」などで、仲の良い仲間がいる事も有ります。どういうわけか、パレスチナにいた頃は隣同士だったこの二支族。これが所謂「何かの因縁」ってやつですかね。

「パレスチナ」の地図。
ガリラヤ湖の西側に「ナフタリ族」と「ゼブルン族」は
暮らしていました。


そして日本に到着後、更に日本列島を東上していくのは不自然ではありません。

「もっと太陽に近いところへ」


それでたどり着いたのが、太平洋から昇る太陽が拝める「常陸ノ国」。
そのには嘗てイスラエルで自分達の先祖達が住んでいた様に「湖」( ガリラヤ湖 ) に近い所 、「霞ヶ浦」( かすみがうら )  。それが現在の「鹿島」地域の誕生、だったのではないでしょうか。

「常陸ノ国」( 現:茨城県 )
太平洋が目の前です。
「御船祭 」( みふねさい ) は、「十二年」に一度
午年 ( うまどし ) に行われる「鹿島神宮」のお祭り。
大昔、船に乗ってやって来た様子を彷彿とさせます。

🌸「御船祭」が「十二年毎の午年」に行なわれる、
この「十二年」というのも何か意味が含まれているかもしれません。

日本有数の神宮である「鹿島神宮」( かしまじんぐう ) 。
鹿島神宮のHPより……
○国譲りの話において、「鹿の神」である天迦久神 ( アメノカクカミ ) が、天照大御神 ( アマテラスオオミカミ ) の命を鹿島の大神様である武甕槌大神 ( タケミカヅチノオオカミ ) に伝える重要な役割を担ったことから、鹿が神の使いとして鹿園にて大切にされています。また、奈良に春日大社を創建する際も、鹿島の神様の御分霊を鹿の背中に載せてお遷ししたと伝わります。「鹿」が「神の使い」として扱われてきた理由となります。……

元々「藤原一族」は、古代からこの「鹿島神宮」の祭祀を代々担ってきた「中臣」( なかとみ ) 氏の出です。「鹿」との繋がりはやはり、かなり太いと思われます。

鹿に乗り「鹿島」から「奈良の春日」にやって来た
「鹿島の神」


………「漢字」から醸し出される「ゼブルン族」への感謝の気持ち

更に「ナフタリ族」と「ゼブルン族」の関係を端的に残していると思われるものが有ります。
それは「漢字」です。

中臣氏が「天智天皇」( てんじてんのう ) から贈らたのが「藤原」という姓。以来「藤原」の姓を名乗り、日本の歴史の表舞台に出てきたのは皆さんがこ存じデスヨネ。

でも何故「藤原」なんでしょうか?
色々と諸説がありますが ( ご縁のある場所の地名、など ) 。

皆さん、「漢字」について改めて考えてみて下さい。
「漢字」というのはそれを構成する「部首」毎に何らかの意味を含んでいます。
例えば
「【サン】と言う音」を表す漢字だけでも、「三」とか、「山」などが有る様に、音を聞いただけでは分からない意味を含んでいますよね。


では「藤原」は何なのか?
 

漢字「藤」の成り立ち

「藤」の下左側、「月」としか見えない部首。
この部首には実は「渡し舟」「船」の意味が含まれています。更に右側「泰」の部分は「水」、草冠は「水草」、を表している様です。

「船」と「水」「水草」。

どうして中臣氏が「藤原」の姓を名乗ったのか?


藤原氏 ( = ナフタリ族 ) が「水」( =霞ヶ浦 ) まで「船」( = ゼブルン族 ) でやって来た、そこまで連れて来てくれた「ゼブルン族」への感謝、労いを示すためなのかな~、と感じています。


🌸前回も述べさせて頂いた、古代イスラエル民族の血筋を引き継いでいると言われる渡来民族「秦」( はた ) 氏。
この秦氏の後衛と称する有名な一族を下記に記します。

……土佐「長宗我部」氏
……薩摩「島津」氏 ( 本姓は「惟宗」)
……対馬「宗」氏

みんな名の有る、日本を代表する武家の面々です。
ですが皆さん、何か気付きませんか?
この三家にも「漢字」で共通している事が有ります。

それは

三家共に、名前に漢字「宗」が使われている事


では「宗」の成り立ちは何なのか?
以下に記します。

漢字「宗」の成り立ち

所謂「宗教色」の大変濃い、意味を含んでいますよね。
まるで「祭祀が執り行われる教会の風景」を醸し出しています。古代イスラエル民族の末裔を称する「ご三家」、やはりご先祖の伝統を引き継いでいるのでしょうかね?

………その後のゼブルン族


「政治とか祀り事とか、スゲェー窮屈な事はナフタリの連中 ( =藤原 ) に任せてよ、俺たちは大海に出るぞ❗」


一ヵ所に留まる事をしない、それが海洋民族なんでしょうね。「俺たちの足跡を残すのだ❗」、なんてそんな意識など一欠片 ( ひとかけら ) も有りません。だから、文字、古文書などには「ゼブルン族」は出てきません。
ですが彼らの航海術がないと、他の支族は海外には出られなかったのは明白です。


🌕イザヤ書52章7節
良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、『あなたの神が王となる』とシオンに言う者の足は」


古代イスラエル民族が「日出ずる」国に来れたのは、彼らの存在が大きいのでないでしょうか?










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