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四十八文字の話『ト』「ドス(短刀)で刺す時にはな~、切っ先(きっさき)を「下」にしてはダメなんだよ、「上」にして刺すもんだよ」

皆さま、今回の題名が大変ヤンチャ!になってしまい、大変申し訳ないです🙇

ですがこの台詞は、すごく⤴️⤴️印象的に今でも私の記憶に残っている「珠玉の言ノ葉」🌱です。

この言葉は、今から三十年前の頃、私がとある「在野政党」の正会員をしてた時期が有ったのですが、その時に出会った先輩の「珠玉の言ノ葉」🌱です。

何も私から「先輩、ドスの使い方教えて下さい」などと聞いたわけではなく、只々突然、先輩が口に出した言葉でした。

◯ヤンチャな先輩

それは宴会の席での出来事。

その政党の会員達の慰労会での事件した🍺

別の方と歓談してた私。そこに以前から大変お世話になっている「強面」(こわもて)の先輩が私に突然囁いたのが「題名」の「珠玉の言ノ葉」🌱です。

更に先輩はこう続けました。

「大口くんよ、【接近戦】や【肉弾戦】になれば、チャカ(拳銃)を持っていても意味ないんだよ。やはり最後の最後は、【ドス】か【ナイフ】、なんだな~❤️」

「ぇ?」。

その時の私は、まるでTBSテレビの番組「ニンゲン観察モニタリング」で、それまで普通の格好していたおじいちゃんが、カラオケで、いざマイクを持つと素晴らしい歌声で歌い、その正体が変装した超有名歌手だ、と解った時のお客さん達の反応の様に、眼を丸くする事しか出来ませんでした。

 (この方は俺に何を伝えようしているのかな?……)

◯仰っていることは「正論」だと思います。

なんでこの先輩がそんなことを話始めたかは今もっても分かりませんが😄。

ですが、私が会員になっていたその政党は、所謂「民族派」、「右翼」的な系統でありましたので、会員にはそんな思想に共鳴する方々が多く、この時の現場が「夜の酒場」でもあったので、こんな会話になったのでしょうね。

そしてこの先輩、この政党とは別の、ある「私塾」に属し、毎月宇都宮市の繁華街で「街頭演説」を行っていた程の方でした。

(あくまでもイメージですよ)

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でも改めてこの先輩が言った事、「最後に戦いを決するのは、【肉弾戦】【接近戦】を制する事だ」、とは確かに色んな書籍、専門誌などに多く載ってます。その「接近戦」に勝つためには、「銃」「拳銃」の類いの武器はあまり役に立たない、のも理解出来ます。

「銃」は、「接近戦」ではその「銃身の長さ」が却って邪魔になる事。「拳銃」なら、相手にかなりの致命傷を与えるくらいに正確に射たないと、次の瞬間、迫りくる相手に自分がやられてしまう事など。

戦争体験者ではないので、こう言った書籍からの知識しかないのですが、この先輩、やはり何か、「自分の実体験」 人生の中で経てきた数々の「修羅場」から述べていた様に思います😝

そしてまたある「印象的な出来事」が起こります。

それはJR宇都宮駅で「今上天皇」(当時は皇太子)御家族をお出迎えした時の事です。

◯こういう「幟」(のぼり)って値段が高いデスヨネ❗

宇都宮市の隣町に「高根沢」(たかねざわ)と言う町があるんですが、ここには宮内庁が管轄する「御料牧場」(ごりょうぼくじょう)があります。牛、馬や羊、鶏や雉などが飼育されています。

⚪高根沢御料牧場 (「アソビュー」より)

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この牧場で生産された物は「皇室」に献上され、馬は乗馬用に、採れた牛乳、肉などは外国からの要人達の接待用に提供されます。

ここに毎年、季節が良い五月などの時期に「皇室」の方々が訪れるんですが、この時は当時の「皇太子」、現在の「今上天皇」の御家族がいらっしゃいました。

いつもJR宇都宮駅を降りて、そこから白バイ先導で、専用の車に乗り牧場に向かいます。

こういった日は、駅には沢山の、千人くらいの人々が歓迎のために集まります。

「大口くんも来なよ」

と言われ、私も歓迎のため朝早くに駅に向かいました。集合場所には、政党会員の方々は勿論のこと、正に一目で「その筋」と解る様な人々が集まっていました。

ですがこの日の目的は「皇太子御一家の歓迎」ですから、この方々はヤンチャな事などするわけがなく、沿道に集まった一般の人々に、手作りの❤️「日の丸」の小旗を配ってました。勿論私も手伝いました👍


⚪「旭日」の小旗を振る幼少期の「昭和天皇」

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その後「皇太子御一家」のご到着が近づくと

「大口くん、こっち来て。ここでこれを持って❗」

と言われて持ったのが「日の丸」の旗。小旗などではなく、色んな式典で見る大きな代物。どうやら私、「旗手」に選ばれた様です🙆

さすがに邪魔にならない所にですが、横一列に整列し、私は一番右の位置に立ちながら、「皇太子御一家」をお待ちしました。

(あくまでもイメージですよ)

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整列して旗を掲揚している我々に対し、不思議に思ったご近所の方々が「何か、起きたのですか?」と問い掛けられます。その度に、「皇太子御一家をお待ちしてます」と答える対応に負われていました。

そしてその時、整列した一番左いた、歓迎の「幟」(のぼり)を持っていた先輩に、周囲を警戒していた二十代と思われる若い制服警官が話し掛けました。

「こういう飾り物って、作るのに結構お金掛かるんデスヨネ?」と。

「ん?、まあな」と対応する先輩。

「◯◯さん(先輩の名)ですよね? 先日、◯◯で(地名)、職務質問させて頂きましたが覚えていますか?」

「ん?、あっ!、あ~、あの時の?、なんでここにいるの? そうか、【皇太子御一家】の警備に動員されて来たのか😁 あん時はよ~、俺もイライラしていたからな、悪かったな~😁」

この場面、遠くから見れば、他愛のないおじいちゃんとお孫さんが会話している長閑な風景に見えますが、旗を掲揚しながら身近にいた私の気持ちは、「何をしゃっべんっの?、こんな大切な行事の最中に」「お前ら、何のつながりなんだよ?」と。

「みんな、観てるよ」。

警官から声を掛けられるなんて。一体先輩は普段何をしているのかな~、と思った次第です。

◯「他の皆さんとは、一緒に風呂は入れないだよな~」

これも例の政党会員同士の温泉慰安旅行の出来事。

先輩と同室になった私が

「じゃ、そろそろ露天温泉に行きますか❤️」

「うん~、どうしよかな~、ん~、やっぱりやめるわ。部屋の風呂に入る事にするね」

と言いながら、私に見せた自身が着ていた浴衣の袖の部分を引き上げたその上腕部には、何やら不自然な「黄色の模様」が❗

「なるほどな、これじゃ、昔ならいざ知らず、現在なら人目を気にするよな」


「刺青❗」です。


⚪背中の彫り物はこんな図案かもしれません

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私がこの先輩と出会った時は、先輩はもう六十代、素敵な好好爺でした。

嘗て戦後間もない時代の日本を、背負いながら頑張ってきた世代の方。

自分の理念を主張するその生き様には尊敬します。ですが、バリバリの、肩で風切っていた頃の全盛期に出会わずにいた事には、只々に感謝デス😁



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