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四十八文字の話『サ』 「最後の将軍」と小栗上野介2

ですが、幕末期、この「小栗上野介」と同じ様に、  「倒幕」vs「佐幕」、「薩長」vs「徳川」、     「攘夷」vs「公武一体」などなどの対立構造から    一歩も二歩も離れ、社会の喧騒から一段高い所より、  この「日ノ本」を見つめていた人物がもう一人ました。    

それが、「最後の将軍」徳川慶喜公です。


数々の歴史ドラマを観ている方なら既に        分かるでしょうが、現在の大河ドラマで        草彅さんが演じる徳川慶喜公、            若い頃から将来を嘱望され

「徳川家康公の再来‼️」 


と言われながらも、                 結局は「優柔不断」「弱腰」のイメージで描かれ、   政権を「薩摩長州」に呆気なく渡してしまった    「期待外れ」観❗を醸し出す「演出」が        早くも臭ってきていますよね。

NHKや民放において、今までのドラマで描かれていた 「徳川慶喜」公はどれもこういうイメージなんですよね。でも『徳川慶喜』公は本当にそんな御仁、       だったのでしょうか?

確かに語り継がれている話では

⚪ 幕府内、大名達からも              「早く薩摩長州を撃ちましょう」          「兵器、兵力ではこちらが有利です」と言われても   全くヤル気を見せない慶喜公。            

正にその時、幕府の要職を歴任していた       「小栗上野介忠順」が「ある戦略」の提案をしています。それすらも見事に却下されたのですが、        この「ある戦略」❗                 後に明治時代に入り、その当時敵側であった      長州軍々司令官であった「大村益次郎」が       その「ある戦略」の詳細内容を知った時、       こう呟いたそうです。

「そんな事されたら我々は        全滅していたな~」。


素人の私からもその「ある戦略」を実施したら     全滅するかは分かりませんが             薩長軍はかなりの損害を被っていたことが想像されます。では慶喜公は                    何故「ある戦略」を採用しなかったのか?       それについては「ある戦略」の内容と共に       次回に述べさせて頂きます。



靖国神社 大村益次郎像

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皆さん、先程から述べさせ頂いている         この「小栗上野介」という人物、           政治や軍事の面は勿論の事、経済の面でも       あの「渋沢栄一」と並び、日本近代化にかなりの    貢献した人物であること、知ってますか?

江戸時代の万延元年(1860年)、遣米使節団の一人として アメリカに渡りました。


一番右側が 小栗上野介

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皆さん、想像して下さい。              当時のアメリカ人にとっては全く未知の「存在❗」   「エイリアン」と同じイメージであったろう「日本人」。

そういう状況の中、この小栗上野介は、        その持ち前の豊富な知識、              特に「貨幣鋳造におけるその分析力」、        そしてレベルのかなり高い交渉力等が評価され、    「未開人」と思われていた「日本人」の中で、     当時のアメリカ政府高官やマスコミ(NYタイムズ、等)から高い評価を受けています。              その後、船を乗り換えて「世界一周」の旅に出て    日本に戻ります。

⚪日本最初の株式会社は「海援隊」ではないデスヨ

当時の日本には「旅籠」しかなかったのですが、    帰還するや否や近代化な「築地ホテル」を開業、    また直に徳川慶喜公に諮り、日本初の株式会社    「兵庫商社」を起こします。             

皆さん‼️、通説では坂本龍馬の「海援隊」が     「日本で最初の株式会社」と言われてますが、     そうではないのですよ❗              

「海援隊が最初」と指摘した当の経済学者が      その後調査、分析をした結果            「役員、定款等の株式会社としての必要な手続き等を  正当に早く対応をしたのは兵庫商社の方ですね」    

そして正にその海援隊自身が記録していた       「海援隊日誌」にもその件が記されており、      先を越せられた彼らがかなりショックを受けている様子が分かる様です。

そして、先程の東郷提督が言われていた        正に日本近代産業の発展の大礎‼️となる       「横須賀造船所(製鉄所)」を造りました。        この「横須賀造船所」が存在したお陰で「鉄」を    基盤とするあらゆる産業、              そして「海軍軍艦」のメンテナンスが         迅速に行なわれました。
 

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