四十八文字の話『サ』 「最後の将軍」と小栗上野介1

江戸時代が終り明治時代になってからまだ40年も経たず 他のアジアの国々はタイ王国を除き          みな欧米諸国の「植民地」されていた暗黒時代。    やっと近代化の道に進んでいたアジアの小国「日本」が、欧州の大先進国である「ロシア」に戦いを挑んだ   

「日露戦争」。             


時の世界の人々は勿論の事              ましてや肝心要の                  当事者である「日本国民」までが、

「勝てるわけがない❗」


と思われたその戦争において 

そのロシアが誇る「バルチック艦隊」を、       日本海の対馬近海を舞台にして            世界の海戦史上においても、その前例がない程の    「空前絶後の大勝利‼️」に導いた           連合艦隊司令長官「東郷平八郎」提督         (原宿に鎮座する「東郷神社」の御祭神デスヨ)

⚪ロシアバルチック艦隊               沈没21隻                      航行不能12隻                   死者捕虜 約一万一千人               

⚪日本連合艦隊                   沈没3隻                      死者約七百人 


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このお方、後年のある時、こう仰りました。    

「バルチック艦隊に勝てたのは      小栗上野介さんがお造りなった      『横須賀造船所』のお陰です。」と。


この時、東郷提督の目の前には            正に「小栗上野介」のご遺族達が           座っておられました。

時に日露戦争が終わってから八年。          世が明治になってから、そして、           小栗上野介忠順(おぐり こうずけのすけ ただまさ)が、  とある河原で、無実の罪で              明治新政府軍により                 斬首されてから四十五年後の事です。


東郷平八郎提督は当然その時の「当人」などでは    ありませんが、生粋の薩摩人。            小栗上野介は神田生まれの旗本幕臣。         つまり幕末から戊辰の戦いにおいて          互いの「仇敵❗」です。 

でありながら              そのかつての「仇敵」に対して、      ましてや、わざわざ御遺族を招き、    その前でこういう感謝の言葉を掛けた   心中は                 どういったものだったのでしょうか?



⚪「幕府の運命に限りがあるとも、    日本の運命に限りはない」


これは小栗上野介が残した有名な言葉です。

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小栗上野介の業績の中でも有名なのが         先程東郷平八郎提督が述べていた           「横須賀造船所(製鉄所)」の建設です。         

小栗上野介が遣米使節から帰還した万延元年(1860年)、 すぐにこの「造船所建設案」を幕府に諮問しました。 


⚪アメリカに派遣された万延遣米使節団        前列右側から二人目が小栗上野介

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ですがこの当時、各方面から反対意見が起きました。

造船所建設の為の予算が有るなら           「今現状を考えれば、対薩摩長州にため軍備を強化する べき時!」                     「船の製造より操船出来る人材を育てる事を優先すべき!(勝海舟の意見)」

また、ある同僚はこう述べました。          「これから先の見通しがはっきりしないこんなご時世で、せっかく莫大な費用を掛けて造船所を作ったとしても、 その時、この幕府自体がどうなっていることか」と。  

これに対し述べたのが先程の小栗上野介の「言葉」です。


東郷提督が仰った様に❗         この時作った「横須賀造船所(製鉄所)」の お陰で                 この日本が               欧米列強の「植民地」にされる事が    避けられた事は             歴然とした事実❗です。 


小栗上野介が残したこの「言葉」には、        やれ「幕府」だ、やれ「薩摩長州」だ、などとの   「俯瞰の低い」、「狭量な想い」が          感じ取れない気概を悟った東郷提督が、        ご遺族に「感謝」したエピソードです。

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