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SBLV雑感

https://news.yahoo.co.jp/articles/63e0d57413b55d1b6de22dc1a06ff6f200595cb8

第五十五回スーパーボウルを見ていて、ちょっと気になったことがある。だが、その話題に触れる前に、少しだけ今季のチャンピオンを決める大勝負に勝利したタンパベイ・バッカニアーズについて書いておきたい。気分的には何がなんでもトム・ブレイディだけは絶対に認めたくはないところなのだが、十回もスーパーボウルに出て七回もリングを手にしている(優勝している/チャンピオンになっている)というのは、やっぱりただ事ではない。どう考えたって、やりすぎだ。いつになったら燃え尽きるのだろう。ただ、今回の今季から新しく移籍したティームでのいきなりの優勝という快挙だけは、いくらなんでもブレイディひとりの力だけで成し遂げられたものとはいえないだろう。どんなに高いフットボール知識と能力と豊富な実戦経験を兼ね備えた史上最高のクオーターバックであったとしても、だ。まず第一に、すでにほぼティームとしてのお膳立ては整っていて、そこに勝つための大黒柱としてのブレイディがジョーカー的に投入され、さらにロブ・グロンコウスキーとアントニオ・ブラウンを攻撃力アップのための付属品的な支えとして追加した(おかげで生え抜きの実力者、マイク・エヴァンスの負担は徐々に軽くなってはいったが、ちょっぴり存在感も薄まってしまった。晴れ舞台となるスーパーボウルでは、常にしっかりとカヴァーされていたせいもあるのだろうが、記録の面では試合前半のたった一度のパス・キャッチのみで終わった)。それに、なんといってもフットボールおたく度の高そうなコーチ陣の適材適所な顔ぶれもまた抜かりがない。攻撃のコーディネーターはバイロン・レフトウィッチ、アシスタントにアントワーン・ランドール・エル、コンサルタントにトム・ムーア。守備のコーディネーターはトッド・ボウルズ、アウトサイド・ラインバッカー・コーチにラリー・フット。いいねえ、このメンツ。ヘッドコーチのブルース・エイリアンズが、四十五年にも及ぶフットボールのコーチ歴の中で人を見る目を養い、主にピッツバーグ、インディアナポリス、アリゾナといったティームでコーチをしていた際に目をつけた卓越した人材をひとつのティームに結集させて、勝てるフットボールを土台からしっかり練り上げてゆくために、それぞれのコーチに持ち味を活かして最大限に力を発揮してもらっている感じが実によい。現在82歳のフットボールのイロハを知り尽くしたトム・ムーアとグレーテスト・オブ・オール・タイムな43歳のトム・ブレイディが組んだら、それはもう怖いものなしなのではなかろうか。彼ら以上のフットボール・ワイズはおそらくそうはいないだろう。タンパベイはハイズマン賞を獲得したクオーターバック、ジェイミス・ウィンストンを地元のフロリダ州立大学からドラフトして、じっくりとウィンストンを中心とするティームを作り上げてゆくのかと思っていたのだが、エイリアンズの眼鏡に敵わなかったのか故障がちでクオーターバッキングの安定感にも欠けるウィンストンはあっさりと諦められてしまった(実に非情で残酷な世界である)。そして、実力も実績も十分なブレイディがタンパベイにやってきた(ドナルド・トランプ支持者のビリオネアにとってはフロリダほど心地よく暮らせる場所はないだろう)。そして、今回のスーパーボウルについていえば、攻撃も守備もプレイ・コールが的確で冴えていた。ビル・ベリチックは真綿で首をジワジワと締めてゆくようなタイプで実にいやらしいことをしがちなのだが、レフトウィッチとボウルズはひとつひとつをキュッキュと締めてゆくので明快だし清々しい。チーフスは、まずはゴリゴリと押し込まれてラン守備に風穴を開けられアタフタしているところをプレイ・アクションやショート・スクリーンを絡めて突いてゆく老獪なブレイディに蹂躙され、そして点差が少しずつ開いてゆく中で遂には頼みの綱のオフェンシヴ・ラインまでもがボロボロにされてほとんど機能しなくなってしまった。前半が終了した時点で十五点差。もうすでにこの試合の流れはほぼ決してしまっていたといってよい。それくらいにチーフスのクオーターバック、パトリック・マホームズの足の怪我の状態は悪かった。マホームズのような自らの足を使った攻撃を活用するスタイルのモバイル・クオータバックは、大学時代は華々しく活躍するがプロに進むと激しいヒットやコンタクトによって怪我がちになったり相手ティームに研究されて思うように能力を発揮できなくなったりして、急激に失速していってしまうことが多い。近年もコリン・キャパニックやロバート・グリフィン・三世、マーカス・マリオタといった若い有望なモバイル・クオータバックが伸び悩んでいる。一昨年に旋風を起こしたラマー・ジャクソンは、足を絡めた攻撃に特化したスタイルからの脱皮の時期に早くも入りつつあるようである。ラッセル・ウィルソンが少しずつ自らの足は最後の切札に温存しておくようなプロのフットボールに対応したスタイルに変化をしていったように。そういう意味では、怪我がクオーターバック能力に大きく影響してしまうマホームズも、このあたりでまた一皮剥けなくてはならない地点に差し掛かっているのではなかろうか。足の怪我で動けないならば動けないなりに、できるだけポケットに止まって早く短いパスをポンポンと通してゆき駿足のタイリーク・ヒルのリヴァースなどを効果的に使ってロング・ゲインを狙うようなスーパーボウル用の特別な攻撃スキームを用意しておくこともできたと思うが。あまりにも正攻法で、あまりにもいつも通りの戦術を過信しすぎていた。真面目なアンディ・リード・ヘッドコーチらしさが十二分に出ていた戦い方であったといえば、それまでなのだけれど。それでまあ、何がいいたいのかというと、パトリック・マホームズの足の怪我さえ万全な状態に治っていれば、おそらくチーフスの二連覇の可能性も大いにあったのではないかということ。そして、試合自体も最後の最後まで勝敗のゆくえがわからないもっともっとおもしろいものになったのではなかろうか。そこが、とても残念でならない。
で、最も気になったところというのは、少しばかり試合そのものとは別のところにあった。要は、試合の中継映像についてのことなのである。レイモンド・ジェイムズ・スタジアムの上方からフィールドのプレイをとらえる何台ものカメラのほかにハーフタイムショーでも活躍していた中空を高速移動するカメラなど多くのカメラが、この世紀の一戦の中継のために投入されていた。その中でもサイドラインの動きを追うカメラの映像が非常に独特だったのだ。動きのある画面で、狙った被写体を中央に捉え続けるのはいいが、それ以外のものはアウトフォーカス気味で少し先の場所にあるものはかなりぼやけてしまっている。奥にあるものなどは完全にモヤの中だ。かと思うと、画面全体がぼんやりぼやけてしまっていたりする。スーパーボウル中継の国際映像でこんなことは今までにはなかったと思う。そのぼやけたモヤの中から近くにいる人物が段々とはっきり見えてくる。これは、わざと近くにいる人だけを見せて、遠くのものを見えにくくしているのだと直感した。なぜならば、今年のスーパーボウルは新型コロナウィルスの感染予防措置のために観客を二万二千人だけ入場させる形で行われているからだ。そのため巨大なスタジアムの座席数の約三分の一ほどしか埋まっていない。そんなちょっと寂しい状態の観客席の様子を度々はっきりとカメラでとらえないようにするために、わざわざ遠景のピントを合わせずにアウトフォーカスしているのだと思ったのだ。毎年、超満員の観客を集めて盛大に催されるプロ・スポーツの一大祭典であるだけに、見ている側としても客席に人が疎らにしかいない光景に違和感を覚えてしまうこともあるだろう。そうした違和の部分を億単位の視聴者に与えないようにする配慮の表れが、あのサイドラインのカメラの奥行きをアウトフォーカスした映像であるのだと思っていたのだ。しかしながら、実際にはそんなこととは全く関係なしに、ただただ迫力のある映像を8Kカメラでとらえようとしていたことが原因で、あのような独特の映像になっていたようなのである。鮮明な画像を撮れるという8Kカメラであるが、熟練したカメラマンでも動いているものに瞬時にピントを合わせるのはまだ至難の技であるらしい。ましてや、フットボールの試合に出場している躍動する選手の動きをサイドラインを移動しながら画面にとらえつづけるのは、まさに神業といってもよいのだろう。今回のスーパーボウルの中継に携わっていたカメラマンは、時折画面全体がアウトフォーカスしていることもあったが、大抵の場合は狙った被写体を画面の中央にはっきりととらえることができていた。特殊な技術を要する8Kカメラが腕におぼえのあるものにしか扱えない代物であることを考えると、あのサイドラインの臨場感に溢れる映像を撮っていたカメラマンは、相当なレヴェルの達人であったとしか思えない。フィールドでビッグ・プレイを行なった喜びを爆発させて身体全体で表現する、ちょっと予想のつかない動きをする選手たちを、間近で8Kカメラで追ってしっかりととらえ続けていたのだから。それはもう素晴らしい技術である。そこにいる選手が、画面中央に明るくくっきりと鮮明に見えている。すぐそばに本当にいるような錯覚さえ覚える。試合中のサイドラインに自分がいて、間近でそれが起きているかのような臨場感さえあった。ごく普通の薄型液晶テレビで見ていたのだけれど。この8Kカメラの映像をちゃんとした8Kに対応した画面で見て音響の設備もバッチリと整えていたら、実際のレイモンド・ジェイムズ・スタジアムの観客席で見るよりも間近でスーパーボウルを観戦しているかのような特別な視聴体験が可能となるのではなかろうか。たぶん東京オリンピックの計画段階でも2020年までにはそういった仮想現実空間的なスポーツ観戦のスタイルが確立されているはずという話(スタジアムの観客席で他会場の競技を巨大ホログラム映像で観戦するCMがあったような気がするが。5Gなら楽勝です的な内容で)があったと思うが、今はもう肝心の東京オリンピックそのものがあるかないかわからないような状態である。脳みそが腐ったジジイやオジサンたち(ひとまとめにしていうと、クズ)のせいで、世界の人々が日本人ほど質の悪い民族はいないと気づきはじめている。平和の祭典などといっていられるような場合ではない(日本型変異ウィルスが世界中に撒き散らされ、人類を地獄に突き落とす可能性もなきにしもあらずだ)。かつてのユダヤ民族のように日本人が日本人というだけで白い目で見られるようになる可能性は大である。悔い改めるべきところは悔い改めるべきだろう。
今回のスーパーボウルは初めて女性審判が起用されたことでも話題だった。初の女性副大統領が誕生した年にプロ・スポーツの世界でも画期的な変化が起きたということは、とても象徴的なことであるし実際に時代が大きく動いていることを実感させる快挙となった。ガラスの天井はもはや見上げるためにあるのではない。それは、いつか打ち壊されるためにずっとそこにあったのだ。この時代の流れの勢いは、もはや止まることはないはずだ。だからこそ、オールド・ボーイズ・クラブ的な馴れ合いだのミソジニーや差別主義的思考は時代遅れも甚だしいのだ。サラ・トーマスは、史上初の女性常任審判となってわずか六シーズンで最高峰の試合をジャッジする審判団の一員に選ばれた。この抜擢ぶりからだけでもトーマスの能力の高さがうかがわれよう。この試合中にもサイドラインでダウン・ジャッジを担当していたトーマスが大活躍する場面があった。第二クオーター、残り六分十五秒、バッカニアーズが第四ダウンで四十ヤードのフィールド・ゴールを蹴った場面である。キックは普通に成功して、何事もなければ三点追加となるところであった。だがしかし、そのプレイで反則があったことを知らせるイエロー・フラッグがフィールドに投げ込まれていた。このときにトーマスがフィールド中央の主審のところに駆け寄り、どのような反則があったかを報告している。バッカニアーズがフィールド・ゴールを蹴る際、守備側のチーフスの選手がもうすでに大きくニュートラル・ゾーンに侵入したポジションで位置について(セットして)いたためにオフサイドの反則があったというのだ。一世一代の大舞台であるからスナップと同時にいち早く敵側の陣地に駆け込んでフィールド・ゴールのボールをブロックするようなビッグ・プレイを決めたくなる気持ちはとてもよくわかる。ブロックで敵の得点を阻止すれば、必ずや試合のハイライト・フィルムで劇的な超スロー映像とともに決定的瞬間が紹介されるだろうし、それどころか子々孫々にまで語り継がれる家族の逸話となることは間違いない。控えコーナーバックでスペシャルティーム要員であるアントニオ・ハミルトンにとって、こうした場面しか一発逆転で輝くチャンスはなかったのだ。よって、少しでもキッカーに近い位置にセットして、ロング・スナッパーの手の中でボールが少しでも動いた瞬間に猛ダッシュで飛び出して自陣三十ヤードの地点から蹴られたボールに思い切り手を伸ばす。だが、ライアン・サコップが蹴ったボールはブロックされることなく四十ヤード先のゴール・ポストの間に吸い込まれていった。何事もなく決まった、ありきたりなよくあるフィールド・ゴールの光景であった。バッカニアーズが三点を追加して淡々と試合は進んでゆくかのように見えたのだが、ダウン・ジャッジ・オフィシャルのトーマスだけはハミルトンのささやかな反則を見逃さなかった。ビッグ・プレイに飢えて気持ちが逸っているハミルトンは意識的にか無意識的にか相当にスクリメージ・ラインよりも前に出たオフサイドの位置でセットしていたのである。このトーマスが目敏く見逃さなかったオフサイドの反則によって、フィールド・ゴールの成功は帳消しとなりチーフスは自陣で五ヤード罰退し、自動的にファースト・ダウンを獲得したバッカニアーズがダウンを更新して攻撃を継続させることが可能となった。この一連のプレイでのサラ・トーマス審判の活躍ぶりは、まさに黙ってはいけない精神を体現したものでもあるようで、実に頼もしいものがあった。そして、思わぬ形で攻撃を再開する機会を得たブレイディが、その直後のプレイでグロンコウスキーに十七ヤードのタッチダウン・パスを決める。目まぐるしい展開である。たったひとつのオフサイドの反則があったことにより、バッカニアーズの得点は三点から七点へと跳ね上がってしまったのだから。試合の計測時計でいうと、その間わずかに十秒である。ここで試合の流れは大きくバッカニアーズの側へと傾いた。このひとつ前のバッカニアーズの攻撃シリーズは敵陣の奥深く一ヤード地点にまで攻め込みながらもロナルド・ジョーンズのランが止められてフォース・ダウン・ギャンブルの失敗で〇点に終わっていた。その次のチーフスの攻撃はあっさりとパントに終わったが、これがミス・パントとなり、バッカニアーズは敵陣の三十八ヤード地点からのショート・フィールドでの攻撃という絶好のチャンスを得る。しかしながら、これがもしもフィールド・ゴールの三点のみに終わっていたら、テンポよくドライヴして続け様に攻め込んではいるが得点は三点だけ、相手の致命的なパント・ミスがあったものの得点はたったの三点のみと、ちょっと攻撃がうまく得点に結びついていないことに対してブレイディの周りの選手たちが焦りや不安を感じ始めてしまうことにもなっていたかもしれないのである。実際のところ、フィールド・ゴールの三点を積み重ねただけならばスコアは十対三でバッカニアーズが七点のリードで次のチーフスの攻撃へと攻守が入れ替わるということになっていた。これくらいの点差であれば、まだまだ試合はわからないと誰もが思えたはずである。しかし、現実にはハミルトンのオフサイドの反則によって攻撃を再開したバッカニアーズがタッチダウンを挙げ、スコアは十四対三とバッカニアーズがリードを十一点にまで広げる形となった。バッカニアーズの攻撃はおもしろいように進むようになってきていて、調子よく次から次へと追加点をあげられそうな雰囲気が漂い出してきていた。逆にチーフスの攻撃は明らかにバッカニアーズの堅く攻撃的な守備に苦戦していた。足の痛みに耐えながらマホームズがひとり気を吐いていたが、事態を打開することはそうそうできそうにはなかった。どちらに転ぶかわからなかった試合が、ひとつの反則の判定とひとつのプレイによって、バッカニアーズの側にモメンタムが大きく引き寄せられる結果となった。そこに大きく絡んでいたのが、あのときにフィールドに投じられたイエロー・フラッグであったのである。そういう意味では、今回の審判団にトーマスが抜擢されていなければ、試合の結果は全く違ったものになっていたかもしれない。プロ・スポーツの世界で女性審判の進出が進んでいる今この時代であるからこそ、タンパベイ・バッカニアーズの十八年ぶり二回目のスーパーボウル制覇が成し遂げられたのだといっても決して過言ではないかもしれない。間違いなくサラ・トーマスは今回のスーパーボウルの主役のひとりであった。黙ってはいけない、輝かしい未来のために。
令和三年初場所、幕下の湘南乃海が不成立となった立ち合いで相手の頭に頭からぶつかり、土俵上で倒れ込んだまま足が立たずひとりでは起き上がれない状態となるという取り組みがあった。自分の意思では自分の身体を思うように動かせなくなっていて、足や腰などにも全く力が入っていないように見えた。明らかに脳震盪を起こしていて、身体を思うように動かせない状態ということは、もしかすると脳だけでなく首や脊髄にも損傷がある可能性があるかもしれない。しかし、土俵周りの審判団が土俵上に集まって対応を協議している最中に湘南乃海が自力で立ち上がって相撲を続行する意思を示すところまで回復していたために、そのまま何事もなかったかのように取り組みが行われることとなった。結局、湘南乃海がはたき込みで勝ったのだが、対戦相手の朝玉勢はこれは大変にやりにくかっただろう。見るからに身体に異変をきたしている湘南乃海の様子を一番間近で見ていたのが朝玉勢であったのだし、自分の頭に激突したことで湘南乃海に立ち上がれなくなるほどのダメージを負わせてしまったという事実に良心の苛責の念すらをも感じていたのではないか。そこでまともにいつも通りの相撲がとれたであろうか。湘南乃海もこの日の取り組みで勝ち越しがかかっていたこともあり、おそらく取り組み前から相当に気合を入れて土俵に上がっていたのだと思う。それゆえ、何がなんでも勝って白星を掴み取らなくてはならないという思いは人一倍に強かったはずだ。不成立になった立ち合いで頭をしこたま打って、ふらついたり力が入らなかったりと身体に明らかに異変があったとしても、それを周囲には隠してそのまま相撲を取る意思を示すことで再び土俵に上がる道を選択をしたのではなかろうか。ただただ勝ち越しという成績を残したいがために。だが、こうした無理を押して競技を継続する態度が最も危険なのである。脳震盪の疑いがある場合には、まずは倒れ込んでいるその場で無理に身体を動かさずにドクターによる状態の観察が必要である、そこで身体を動かしてもよいと判断されれば湘南乃海の場合には土俵下に移動して、ドクターにより脳震盪の状態のチェックを受けなくてはならない。そこまできてドクターが異常なしだと判断すれば、相撲を続行することも可能であろう。しかし、土俵上でふらふらになって立ち上がることができなくなっていた湘南乃海の状態を見るがきり、あの場面でそういう判断が出される可能性は限りなく低いのではなかろうか。どんなに湘南乃海が続行の意思を示そうとも、すぐさまドクターが指示を出して国技館の医務室か処置室に直行して脳震盪のテストや詳細な診察を受けさせるべきであった。しかしながら、ふらふらになっている湘南乃海の状態などは一向に気遣わず、ただただ土俵進行の対応を協議しているようであった審判団には大いに違和感を覚えた。あの場に自分がいたら大声で叫んでいただろう。マスク着用で声を出さない観戦が義務付けられていたとしても。おい、何してんだよ、早く医務室に連れてゆけよ、と。そして、この取り組みを近くで見ていた観客も、マスク着用で声を出さない観戦が義務付けられていたからか、ただただごくごく普通の態度で湘南乃海の相撲を眺めていた。頭と頭が当たってクラクラしているのなんて相撲ではよくあることなので、別にたいして驚かないという態度が、相撲観戦の反応としては正しいものであるということなのであろうか。よく相撲好きの玄人が、生で観戦していると立ち合いで力士の頭と頭がぶつかったときにゴツッと鈍い骨の音が聞こえるのが迫力と臨場感があっていいね、なんて嬉しそうに喋っていたりする。全くもってド変態である。実に野蛮な趣味嗜好ではないだろうか。世界的にはハードなコンタクト・スポーツの現場において選手の脳震盪への対応は非常に重要な課題となってきている。度重なる脳震盪は選手の健康に対する影響が多大であることがすでに多くの症例やデータによって明らかになっているからである。アメリカン・フットボールの世界においても脳震盪のケアは年を追うごとに厳重なものとなる傾向にある。これまでに多くの選手たちがこの問題で苦しんできた過去があったためであり、健康被害を訴える元選手がリーグを相手取り訴訟を起こすケースも多い。そのため予防措置として様々な対策が講じられることとなった。試合中に激しいコンタクトによって脳震盪が疑われる兆候が見えた場合には即座に症状の確認が行われる。診断はドクターによって行われ、サイドラインでのテストをクリアして許可が出るまでは試合のプレイには戻れない。さらに厳密な診断が必要な場合には一旦フィールドを離れて適切な処置をうけ経過が観察されなくてはならない。大抵の場合、フィールド上で明らかに脳震盪の兆候が見えている場合には、そのままティームのロッカールームやスタジアム内の医療設備に移動してテストを受け、その試合にはもう戻れなくなるというケースが多い。度重なる脳震盪による脳の損傷がなんらかの病状や障害として目に見えて現れてくるまでには長いタイムラグを経ることもある。現役を引退して数年もしくは数十年が経ったころに進行性の脳障害として症状が現れてくることもあるし、試合のあった日の夜に重篤な症状が現れることもある。脳震盪の診断には経過の観察という点が大きな意味をもつ。よって、あまり軽々に判断を下して選手をフィールドに戻すようなことはできないのである。また、脳震盪という大事にまでは至らなくとも、激しいタックルなどでプレイ中の選手の頭、ヘルメットとヘルメットが強くぶつかるだけで、怪我につながる危険な行為であるとして、タックルしていった側がパーソナル・ファウルの反則をとられる。この反則でティームは十五ヤードの罰退を科される。さらに、反則を犯したのが守備側の選手である場合には、攻撃側のティームが十五ヤード進むとともにオートマティック・ファースト・ダウンも与えられる。頭部全体を覆う大きなヘルメットを装着して試合中の外傷から頭部をプロテクトする形で行われているアメリカン・フットボールでさえも、これだけゲームをプレイしている中で(悪質タックルでない限り、完全なる故意ではなくとも)起きてしまう脳震盪に対しては非常に慎重な姿勢をとっているのである。これと比較すると大相撲の世界はまだ脳震盪などの危険度の高い怪我のリスクに対して極めて野放図であるように感じられる。かつて横綱の白鵬が立ち合いで見せる乱暴な張り手やかち上げが横綱とは思えぬ見苦しいものだとして横綱審議委員会からたびたび注意を受けるということがあった。白鵬の強烈な張り手やかち上げは明らかに相手力士の頭部へのダメージを狙ったものである。立ち合いで勢いよく真正面から踏み込んでくる相手にカウンターを食らわせる形で繰り出され、相手が目を白黒させたり一瞬怯んだりする隙につけ込んで攻め込みあっけなく省エネで勝負をつける。遠藤が張り手とかち上げの波状攻撃で大量に鼻から出血し、まさに血祭りにあげられるような敗戦を喫するという場面もあった。場所前の稽古場では力をつけてきている若手の朝乃山を張り手でノック・アウトし、実際に脳震盪を起こさせたというようなこともあったようだ。しかし、白鵬が注意を受けたのは、横綱が目の色を変えて先制攻撃を仕掛けて白星をもぎ取るような相撲をするのは、あまりにも品性にかけ浅ましく見苦しいからであり、脳震盪などの頭部へのダメージからもたらされる重大な健康被害を予防するための措置では全くなかった。力士が脳震盪を起こすような激しい当たり合いこそが大相撲の売りであり、そこを規制したり過度な頭部への張り手やかち上げを禁じ手とすることに関してまでは、日本相撲協会は踏み込めなかったということなのだろうか。初場所での湘南乃海の脳震盪の疑いのある立ち合いを受けて、ようやく審判部は土俵上で力士に何らかの異変が見えた場合には取り組みを無理に続けさせず続行を中止するという決定をしたようだ。しかし、本当に必要なのは早い段階での専門家による頭部の状態の診断とテスト、経過の観察なのである。おそらくはチェックを厳しくすることの弊害もあるのだろう。脳震盪と診断されて土俵に戻れずに場所を休場する力士が続出するかもしれない。力士の引退時期が早まるかもしれない。力士の数が激減するかもしれない。ただ、競技中の度重なる脳へのダメージが、ひとりの人間の健康で幸福な生活の営みを一瞬で奪ってしまうこともあるのだ。最悪の場合、ひとりの人間のかけがえのない生命を奪ってしまうことだってあるだろう。プロテクターを装着した人間と人間が全力でぶつかり合う肉弾戦が見どころのひとつであったアメリカン・フットボールにおいて、実はよく起こりがちなことであったヘルメットとヘルメットがぶち当たるタックルが重大なパーソナル・ファウルの反則となったように、大相撲の世界でも頭突きや張り手やかち上げなどの不必要なまでに頭部を痛めつける首から上への故意の打撃が重大な反則行為と判定されるようになる日も実は近いのではなかろうか。もしくは、力士がヘルメットを装着して相撲を取るようになるか、だ。丁髷付きの変てこなヘルメットは、外国人観光客には大いにウケるかもしれないが。

(2021年2月)

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