見出し画像

「ポカリスエット」の話

ちょっとお尋ねしてもよろしいでしょうか。BSよしもとって、ご存知ですか。よく見ておられるでしょうか。なんて言いつつね、あまり吉本的な笑いが得意ではないので、わたしとしては、なかなか見る機会はないんですけど‥‥。でも、ちょこちょこ「花王名人劇場」の再放送をしているんですよね、あそこで。これは、ちょっと捨ててはおけぬ。なわけで、「花王名人劇場」の再放送に関しては、目ぼしい放送回をチョイスして、録画して見ています。主に、国立演芸場で収録されたもの。東西の人気落語家の共演という形式のプログラムが狙い目です。

先日放送されていたのは、1982年5月16日に放送された「新作‼おもしろ落語三人衆」。今から四十年も前の番組である。出演は、司会というか狂言回しのコント赤信号、そして桂文珍、三遊亭円丈、春風亭柳昇の三人衆。タイトル通り、東西の新作落語の人気者の共演を楽しむ回である。柳昇、円丈、文珍といったら、今やもう巨匠というカテゴリーに入るような伝説の新作落語家である。文珍師匠は、まだまだお元気なので、巨匠だの伝説だのといってあまり崇め奉らないようにしたいところだが。

円丈師匠は、むちゃくちゃデンジャラスである。今のテレビではおそらく放送が許可されないようなことを、ばんばん喋りまくっている。ただし、そのあたりを客席もよく理解していて、ちょっと危なすぎるネタのときは、静まり返ってドン引きしていたりもする。それでも、ちょっと危ないラインに踏み込んだぐらいのグレー目のネタのときは、若い女性も眼鏡をかけたおじさんも思い切り大爆笑しているのである。そのぎりぎりのラインの出し入れを客席の反応を見ながら絶妙に調節して、危ないことをばかばかしくちょっととぼけた調子で喋り倒してゆく円丈師匠、これぞまさに話芸である。
今でいったら、すぐさま山上徹也(容疑者)あたりをネタにしてしまうのではなかろうか。それも全方向にずばずばと切り込むような鋭い笑いに変換して。そういうモロに危ないネタは、今じゃもう流行らないのかもしれないが。ちょっと見た感じでは、若い人なども積極的に「安倍さん、ありがとう」と感謝していたり深刻に追悼していたりするようだから。昔よりずっとずっとゆとりやさとりがある時代に、もはやブラックな笑いのセンスは通用しないのだろうか。必要とされないのであろうか。いやいや、今(だから)こそ円丈なのだ。四十年前の三面記事ネタ、時事ネタが、今聞いても相当にデンジャラスなのって、ちょっとやばくなくないですか。

巨匠柳昇師匠は、「日照権」。意図的に多少ぐだぐださせているまくらが、文珍・円丈の高座でしこたま笑った客席との間合いをはかっているようで、何ともいえぬ味わいである。場の空気をそれとなく把握したところで噺に入る。新作落語なのに、そこらへんの古典落語よりも、よっぽど古典的な香りのする落語なのである。大きなことを言うようだが、至芸である。さらさらっと演って、聞くものを煙にまきまくるとんちき話法をぐりぐりと押し込み、この先どうなるのかしらと思わせておいてちょん。
昔の議員とかお偉いさんとか似非インテリというのは、結構ああいう感じで実際に喋っていたものである。今の政治家のように、中身のないことをぺらぺらと得意げに喋ったりなんかしないのである。最初からちっともちゃんと喋っていない。それこそが喋りなのだ。時折、どこかで聞いたことのある単語の断片らしきものがちらちらと顔を出すのがまたいい。大きなことを言うようだが、至芸である。

で、本題の文珍である。いや、ここでの本題は、文珍ではなく、ポカリスエットである。新作落語とはいっても、ここでの文珍は噺的なものは演らず、ほぼ漫談的な喋りで客席を沸かせている。「花王名人劇場」風にいえば、座って演る落語トークである。
古典落語には古典落語ならではの、さまざまな仕草がある。畳んだ扇子を使って煙草を吸ったり、見えない茶碗をもって酒を飲んだり。煙草を吸うのにも、吸う人の職業や身分の違いによって仕草にさまざまなヴァリエーションがある。噺家は、扇子と手拭いだけで、もしくは扇子も手拭いも使わずに、ありとあらゆるものを表現しなくてはならない。そこで、新作落語の噺家にも新作落語の噺家ならではの、さまざまな仕草がなくてはならないだろうと、文珍があれこれ実演してみせてくれる。
その現代的な仕草のうちのひとつに、ポカリスエットを飲んだときの仕草があった。見えない缶の蓋を開けて、一口ごくりと飲む。その直後に、「うわー、何これ、不味い」というような渋い表情を大袈裟にして見せる。これを見て、客席が大爆笑する。ポカリスエットを飲んで、変な顔をして、大爆笑。この「うげー」っとなる感覚が、時代の共通認識であったからこそ、その大きな笑いにつながっているのである。
この飲んで「うげー」っとなる感覚は、今ではもう(おそらく)どこにもない。現在四十代以下の物心ついたときにはポカリスエットが当たり前に存在しいてた世代には、この一瞬の飲む仕草で、何がおかしくて笑っているのか、ちょっと理解ができないかもしれない。最初から何の疑いもなくスポーツ飲料・飲み物としてのポカリスエットに接することができた世代の感覚としては、それで正解なのだろう。
だがしかし、まだポカリスエットが当たり前に存在していなかった世界を生きた経験をもつ世代というものもいる。1980年4月、大塚製薬から発売されたポカリスエット。このスポーツドリンクというものと物心ついてから初めて接することになった世代である。いきなり出現した、この得体の知れないポカリスエットなるものと、われわれ旧世代は、あの当時に、いわば未知との遭遇的な接触をしたのである。
初めてポカリスエットを飲んだのは、小学校の高学年か中学生になったぐらいのころだったと思う。そして、やっぱり桂文珍がやっていたように、最初は「うげー、何これ」という反応をしたと記憶している。多分、文珍がやっていたような、ひどい顰めっ面にも瞬間的になっていたであろう。ポカリスエットは、そんな反応を起こさせる、それまでには口にしたことがないような非常に独特な味のする飲み物であった。
印象としては、普通の水に少しだけ色と味をつけただけのもののように感じた。だが、実際そんなようなものだった。汗をかいて失われたイオンとナトリウムを補給するための水が、ポカリスエットだった。発売元が大塚製薬だったので、口に入れてちょっと薬っぽい「うげー」っとなる感じがあるのも、まあ当たり前といえば当たり前なのだなという気がした。汗をかいて体が疲れているときに飲む特別な飲料水なのだから、あの特別な口当たりも仕方がないのである。良薬口に不味し。次第に、そう思えるようになっていった。
最初の「うげー」から始まって、ポカリスエットは段々と普通に身の回りにある飲み物、ちょっと特別な水として、受け入れられていった。当時、中学校の部活などがあり、市の大会の日などのために粉末のポカリスエットを買ってきて、それを水筒に入れてもっていったりしたような気がする。いや、ポカリスエットのロゴの入ったプラスティックのボトル(蓋に刺さっているストローの先を、きゅっと捻じ曲げて蓋にある穴にストローの先端を突き刺しておくタイプ)と粉末タイプのポカリスエットがセットになって、当時は売られていたような気もする。そのボトルに一リットルのポカリスエットを作って、部活の市の大会などにもっていっていたのである。
大塚製薬のホームページに「ポカリスエットの誕生秘話」が紹介されている。その秘話の最後のエピソードのタイトルが「みんなの嫌いが好きに変わった日」なのである。つまり、最初は誰もポカリスエットが好きではなかったのだ。そう発売元が認めているのだから間違いない。まだスポーツドリンクなんていうものは、それほど一般的ではなかったし(粉末から作るゲータレードは、たぶんポカリスウェット以前にもあって、飲んだことはあった)、うっすら風味のついた水が「うげー、不味い」となるのも致し方ないところだったのだろう。
そこで、すかさず桂文珍は持ち前の目ざとさを発揮してポカリスエットを飲んだときの感じを仕草ネタに組み入れて、若い女性の落語ファンを爆笑させていたのである。笑いが起きている客席に向かって、文珍は「これ、お飲みになられた方には、大体お分かりいただけるのでございますけど」などといっている。これは、ポカリスエットとは、主にスポーツなどをして汗をかくアクティヴな若者向けの飲み物で、年配の方々にはあまり縁のない飲み物なのではないでしょうか、という当時の時代の空気をとらえた感覚が前提となっているセリフなのだろう。後に続く、円丈や柳昇とは違って、自分の新作落語はヤングな落語ファン向けのものであることを、こういう現代的なネタで強調しておきたかったのかもしれない。実際、この日の客席には、いつもは缶のポカリスエットを片手にテレビでコント赤信号を見てげらげら笑っているような年代の若者の姿が目立つ。
このとき、桂文珍は、つまり「みんなの嫌い」を笑いに変換していたわけである。しかし、「ポカリスエットの誕生秘話」には、発売から二年目の夏に、ついに爆発的大ヒットをしたと書かれている。これは、つまり1981年の夏のことになるだろうか。桂文珍が出演した「新作‼おもしろ落語三人衆」は、その翌年の5月16日に放送されたものである。ということは、みんなの嫌いが好きに変わった1981年の夏の後なのだ。ポカリスエットがついに爆発的な大ブレイクをした直後の、まだ一口飲んで「うげー」っとなる仕草で辛うじて笑いがとれた時期の最末期、もしくは一口飲んで「うげー」っとなった記憶を懐かしんで笑えるようになった時期の最初期に収録されたものといえるのかもしれない。
まだ学生であった旧世代の若年層は、夏場の部活の場面などで比較的早くからポカリスエットを適切な形で受容することができていた。よく夏の暑い時期には、学校の水飲み場の蛇口の先を上向きにきゅっと回して、それこそただ水をがぶがぶがぶがぶ思い切り飲む場面というのが多々あった。その水の代わりになるものとして、ポカリスエットは普通に飲まれるものとなっていったように思う。水の代わりなので、味はそれほど問題にはならなくなっていた。だたただ、喉や体の渇きが癒えればそれでよかったのだ。若さゆえ、イオンやナトリウムといわれると、何だかとても疲れているときに効果がありそうな気もしたし。しかしまあ、まだ若いので、放っておいても回復するものは回復するのだけれど。
だが、旧世代の大人たちは、そういう接し方はできていなかったようである。桂文珍は二日酔いには何故かポカリスエットなんですななどといっている。確かに、発売当時から二日酔い時の水分補給にポカリスエットというのは売り文句としてあったと記憶している。スポーツする子供や若者に対するのとは異なる大人向けのセールスポイントとして、そういう効用が取り上げられていたのだろう。だが、あの味であるからして、そりゃあ二日酔いの朝にポカリスエットを飲んでも大抵の大人は「うげー」っとなったことであろう。
あの夏、みんなの嫌いは好きに変わった。しかし、大人たちの嫌いが好きに変わるまでには、もう少し時間が必要だったのかもしれない。

ここから先は

0字

¥ 100

お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートはひとまず生きるため(資料用の本代及び古本代を含む)に使わせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。