選挙001

七月のバトルフィールド

このところニュースを見ていると、必ずといってよいほど選挙の特集コーナーがある。選挙期間中だから、そんなことは当たり前である。だが、そこで選挙の候補者たちの言っていることが、どこか遠い世界のことを話しているように聞こえてしまうことがよくある。

まあ、冷静に考えれば、それも当たり前のことであるのかもしれない。あの人たちは、カメラを向けられてマイクに向かって喋っているだけで、いまのわたしの生活に向けて直接何かを語りかけているわけではないのだから。

そして、彼らは、ちゃんとまじめに働いて、まじめに生きている人たちを(基本的に)相手にしている。ちゃんと国民の義務をしっかり果たしている人が、彼らの話しかける相手なのだ。そんなまじめな有権者のひとりひとりにカメラやマイクを通じて真剣に語りかけているのだ。

国民の三大義務というものを、まったくしっかりと果たしていないのだから、選挙があってもどこか蚊帳の外のような感じを抱くようになってしまうのは、当たり前といえば当たり前のことなのである。結婚もしていないし子供もいないので、保護すべき子女に教育を受けさせてはいない。勤労の権利は自分の好きなようにしかどうこうしようとしていないので、国家が国民に求めているほどの義務を果たせているとはちょっと思えない。しっかり労働してがっぽり稼いではいないので、国家が一般の国民に求める程度の納税の義務をちっとも果たせてはいない。

それでも国家はわたしを有権者と認めてくれているようだ。ぜひとも投票に来てくださいと、ちゃんと招待状が届くのだから。しっかりと国民としての義務を果たしていないわたしが国家に疚しさや負い目でも感じていると思っていて、現行の国家をよろこばせるような一票を率先して投じるとでも考えているのであろうか。

さらに景気が悪くなるのは勘弁してほしいし、貧富の格差がもっともっと広がったり、楽しい思いばかりしている人たちと苦しい思いばかりしている人たちを分つ階級社会的な有り様がこれ以上明確に目に見えてくるというのは、ちょっともう本当にたえられない。

もちろんこの国が国家として(ふたたび)戦争をするなんていうことはもってのほかである。しかし、この国にはあちこちにすでに戦争よりもひどい状況が現実に存在していたりする。華やかなのはごく限られた都市部と観光地のみなのである。

とりあえず、もうちょっとまともな国になってもらいたいと思っている。いまのこの国で、もうちょっとうまくやってはゆけないなと感じているような人たちが、もうちょっといきいきと楽しく暮らしてゆけるような国になってくれたらいいなと思っている。

選挙をして、新しい代議員を選んで、いまのこの国の腐りかけている部分は、ちょっとはましな状態に戻るのであろうか。ニュースで見かける、全く伝わってこない言葉をべらべらと喋っている候補者たちが、もうすでに腐りかけているものを何とかできる人たちであるようには、あまり思えない。

政治の世界だけで通用する言葉で喋らないでくれないか。そんなへんてこな言葉で考えたり選択したり決断したりする世界にはまったく関わりたくもないのだ。選挙という特別な政治イヴェントには、参加したいものだけが参加すればよいとでも考えているのか。その選挙は本当に政治なのか。政治とは何か。蚊帳の内側にあるのが政治で、その外側にあるのは政治ではないのであろうか。

何かもう少しこんなわたしにもビビッと響くような言葉を喋ってくれないだろうか。自分の好きなことばかりしていつもふらふらしているあなたのような人のこともこの国はしっかりと最後の最後まで面倒を見ますよ。大丈夫です、安心してください、と言ってくれないだろうか。始まる前から蚊帳の外にしないでくれないだろうか。ここでだた何をするわけでもなく無為に生きていてもよいと言ってくれないだろうか。もしも、ちゃんと有権者だと認めてくれているのならば、何か本当に響くような言葉で語りかけてもらえないだろうか。

それでもわたしは投票する。それでも有権者として認めてもらえているのだということの負い目を、その鈍い重々しさをたっぷりと味わうために。スカスカの投票箱に投げ入れるのは投票用紙という手榴弾だ。これが政治だ。投票所は戦場だ。すでに召集令状は届いている。出征の日は近い。できるだけ芯を尖らせた鉛筆を用意して待っていてくれ。

ここから先は

0字 / 1画像

¥ 100

お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートはひとまず生きるため(資料用の本代及び古本代を含む)に使わせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。