人が読むことを前提とした日記

古典から最近のエッセイ、それからいろいろなブログで公開されている、色んな人の「人に読ませることを前提とした日記」が大好きなので、わたしも私以外のどなたかが読んだとしても差し支えのない、自分が読み返しても削除したくならない日記を書こうと思いました。

日記を書くのは、本当に苦手だ。と思い続ける人生を送ってきました。
世の中の「へえ!こんな赤裸々な気持ちをワールドワイドに発表してくれるんだ。その勇気よ!」という文章を読ませてくれる人たちを、本当に、尊敬します。

今までに何度となく、とても個人的な日記を手元のノートや日記帳に試しに書いてみたことはありますが、数日、数ページ書いてみて、そして読み返してみて「だめだ。これは恥ずかしすぎるし、万が一この可視化されたものを誰かに読まれることがあったら、耐えられない」と思って、破り捨てるの繰り返しでした。

そういえば、小学校のときに頻繁にだされた「日記」という宿題に
「先生に読んでもらうようなことは何も起こらなかった日でした。何も書くことがない、という日記です」
と書いたら、激しめの赤ペンの文字で怒られたことを思い出します。
それに対して更に「そういう日だってあると思います」と小さく書いたら、次の日記の宿題の提出のときに、その日の日記は、激怒した先生に破り取られました。

私はこういう大人にだけは、絶対にならない。と心に誓った日でもあります。そういう大人に今、なっていないといいな。

夏は夏休みがあって学生さんたちを日常生活の中で目にする機会がいつもより多いからか、他の季節よりも子どもだったころの思い出を振り返る気分になったり、積極的に思い返さなくても、些細な瞬間に些細なエピソードを思い出すことが多いです。

私の幼稚園、小学校時代は、私の時代の教育がそうだったのかたまたま私がそういう環境にいて、更にそういうふうに感じてしまう感受性を持っていたからかはわからないけれど、とにかく、理不尽だな嫌だな。っていうことが、すべての記憶の根底にあったような気がしています。楽しい出来事もたくさんあったはずなんだけれども、40歳を過ぎたいま強い印象で記憶に残っていることは、諦めや悲しいことのほうが多いです。でも、何不自由なく育てもらってはいたので、トータルでは幸せな子ども時代だったはずですが。

過去にたった1日前だったとしても、戻りたいな。と思ったことは、そういえばありません。

今までの経験が積み重なった今日が、今日の私が、私史上一番知識も経験も豊富で楽しいことも一番たくさん知っているし、そんな今日が今までのなかで最高の日でないはずがないのでは。と、いつからか自然に思うようになりました。自分で自分を洗脳するスピリチュアルや、マインドコントロールではなく、そこまでの激しい前向きさではなく、なんとなくぼんやり、そう思っています。

そんな風なことを考えて、なんとなく、日記を書こうとおもいました。


ーーー
ある日。

朝からものすごくいい天気。このところ毎日いい天気だけど今日は特別いい天気な気がする。
去年の夏は、こんなに暑かったのかな。今年の冬があまり寒くなかったことは覚えているのだけど、去年の夏となるとさっぱり思い出せません。日記でも書いておけば良かった。

少し前に、洗濯物を干すときに蹴飛ばしてひっくり返したせいで、中の土がすっかり少なくなり根が露出してしまった多肉植物が、まさに今、瀕死の状態というよりも、すでにほぼ息絶えた状態になっていることを発見しました。正確には数日前から気づいていたのだけれど、植物用の土を切らしていたうえに、怠惰心ですぐに土を買いに行くことをしないがために日に日に弱っていく多肉植物のハオルシアを、見ないふりをしていたらついにそうなってしまった。

本当に遅いんだけど、急いで園芸店に土を買いにいって、植え替えたけれど、二株あったうちの片方は葉が腐って崩壊してしまって、私のせいではあるのですが、すごく心が痛み思わずごめんなさいと謝りました。
もう片方も、ほぼこれは可能性がないような状態だなと思ったのだけど、かろうじて、植え替えて今後に勝手な期待をしているところです。

そんな出来事があり、ハオルシアたちには本当に申し訳なく私という人はなんと勝手で能天気なことよ、とは思うものの、今日はBTSの新曲の公開日だということで、基本的な気持ちはもう朝から楽しみでしょうがない最高の日なのです。

13時の公開を前にした「カウントダウンライブ」で、彼らの会話は韓国語なので全くわからないのですが、仲がよくご機嫌な姿を見せてくれることに、とにかくありがとう。と思いつつ待つ時間は、幸せで、世界中のARMYがこんな気持なんだろうなと想像したら、何だろうかこの幸せは。この贅沢は。と思いました。13時に公開されたMVは、とにかくハッピーで多くの人達の共通の幸せを具現化するとこういう風になります。というのをお見せいただいたような、なんとありがたいものを見せていただいて…といういい気分でした。

BTSの曲、特にMVになっているような曲たちは、他の曲につながる伏線が緻密に張られていたり、アートワークも重めで深遠なストーリーを感じさせる雰囲気のものが多いのですが、こういうとにかくハッピーっていうのも、すごく嬉しいし安心する。

彼らの売りの一つであるものすごいダンス、これは今しか踊れないんだろうなと見るたびに一抹の切なさがあり、でもそれが彼らの魅力の一つなのだろうけど、遠くない未来に終わりを迎えるストーリーを見ているようなヒリヒリ感に、心が痛むような気分になることも多かったのですが、今回のこの曲は、ああ、これは彼らが”おじさん”になっても長くできるな、という安心感も勝手に感じて、彼らがインタビューで「これは、今のこの時期を過ごしている皆さんへのヒーリングソング」と話していたとおり、私にとっても本当にヒーリングソングでした。


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