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REST IN PEACE.

自分の人生は、諦めという土台のもと成り立っていると感じることがある。
例えば幼少期はたくさん夢を見ていたように思う。パイロットになりたい、ウルトラマンになりたい、挙げ句の果てにはハム太郎になりたいみたいな常人には訳の分からないことも口にしていたらしい(当の自分は全く記憶にないが母親にしょっちゅう言われるのできっと正しいのだろう)。
当然どれも叶えられぬと諦めて今に至るわけで、大小問わず築27年の諦めのコンクリートの上でスクラップ&ビルドを繰り返しながら仕事やプライベートの日々を建設し続けている。そしてその営みは一生を終えるまで否が応でも繰り返されるのだろう。

今自分は、他者との生活を諦め、独り身で生き抜いていくことができるようになるための日々を積み重ねている。
そう腹を括ったのは、自身がヘテロセクシャルではない、つまり異性のみを愛する人間でないという事実を受容した時期に重なる。
自分の場合これまで異性の方と付き合った経験がある一方で、同性の方に恋心を抱いたという事実がある。LGBTQ+の「+」に該当するものが山ほどあるように、今も自分がどういった指向なのか定まっていないのが正直なところだ。そんな状態の自分がもし今後異性の方と結婚を前提にとなったとしても、そうした過去や現状の不安定な立ち位置を踏まえれば相手の方に対して不誠実なのではないかと思う。
あくまで様々な考えや価値観がある前提だが、自分はどうしてもその感情が拭えない。だから気づけば自分の辞書から恋愛や結婚といったページを破いて葬り去っていた。

仕事についても、いつ社会的にキャンセルされてもおかしくないだろうなという諦めの感情を抱いている。
学生時代、診察の練習の一環としてお互いに同性同士で服を脱ぎ聴診器を当てたり触れたりする機会があったのだが、同期から「裸を見て興奮してるんでしょ?」みたいな言葉を投げかけられることがあった。
これまで10何年も手を変え品を変え色々な揶揄を受けてきた身としてはヌルッと躱わす術を体得しているので言葉自体には何とも思わないが、それでも一昔前よりは理解が進んでいるであろうこの時代でもそうした矢が飛んでくる、しかもこの先同じ職業に就くであろう人達からと思うと、世の中そう簡単には変わらないよねという諦めの境地に至ったものだ。
そして同時に、同業者ですらそう思うのだからきっとこの先働き始めて何かのきっかけで自分のパーソナリティが広まった時に、世間から「そういう先生には診てもらいたくない」という声が募り最終的には職場を離れざるを得なくなる、そんな世界線も有り得るのだろうなという考えもよぎった。
むろん嫌だという感情は非常に理解できるし、現代のキャンセルカルチャーの流れを汲み取ればいつ自分がその文脈に飲み込まれてもおかしくないだろう。そうした覚悟を持っているので、仮に辞めざるを得ない時が訪れたとしても何の抵抗もなくまあそりゃあそうですよねと受け入れてその場を立ち去るのだろう。

だからこそ、仕事でもプライベートでも、確固たる強さを持ちたい。
仮に社会的にRIPされそうになったとしても、この人と一緒に働きたい、絶対に欠かしたくないと思ってもらえるような強みを持った人物であれば職を失うことなくこの世界のどこかで仕事を全うできるだろうと信じている、というかそう信じたい。
日々の生活においても最低限の家事を全部ひとりでこなして、食材やインテリアなど何かちょっとしたこだわりを持って過ごすことができるようになれば充分困ることはないように思う。

仕事や一人暮らしを始めてやっと1か月と少しが経ち、今もなお失敗の連続でうんざりする毎日を送っている。
目の前の業務や家事はおろか生き方でさえも器用でないことは重々自覚している。それでも覚悟を持って、NetflixのLIGHTHOUSEで登場したパワーワードである1人RRRよろしくただひたすら突き進んで行くしかない、そんな気分だ。

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