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骨へ

私の前でタバコを吸って、演歌を歌っていたあなた。うっかり灰を落としてしまって、絨毯を焦がすあなたの背中とお別れして何年経ったか。
窓を開けても部屋に充満する煙の中、いつも強さを見せるあなたが目を潤ませてわたしに言った。
「はやく死にてぇじゃ、変わるのが怖い」と。

わたしはあなたの頬に伝わる涙を拭うだけで、もらった愛を返せないまま。怖いと怯えたあなたを守れなかったまま。あなたを病院に追いやって、たまに会いに行くだけで見てみぬふりをした後悔は大きい。あなたは最後までわたしを忘れなかった。家に帰りたい、という願いを叶えられたのは一瞬だった。寒さで鼻がつーんとする朝、けたたましく鳴る家電のメロディーはあなたが危ないという電話だった。その日は平日だったから、わたしは学校に行き、祈ることしか出来なかった。息があるあなたに会いたかったのに、最後なんて都合よく用意されていなくてわたしが見たのは安らかに眠るあなたの顔と、もうわたしの手を握り返さない冷たい身体だった。米とぎを教えてくれた時の冷えた手だったり、冬の夜散歩した時に繋いだ手のようであんまり悲しくはなかった。握り返されなかったけれど、あなたの身体がまだある内にぎゅっと握った。後悔しないように。

あなたが焼かれた煙を見た時、何を思ったかは忘れてしまった。ただ、あなたが焼かれる前、涙が止まらず困り果てた。やめて、と。ブラウスに吸い込まれたその水分を見たとき、もう私の涙を拭う人はいないのだとただ悟った。

あなたの骨を拾う時、その硬さに驚いた。ぽろぽろとこぼれ落ちてしまったものもあったけれど、丈夫な骨は壺にトン、と存在感を魅せて入った。わたしはあなたの骨を膝に乗せて、軽くなったあなたが入った箱を撫でることしか出来なかった。


あなたの骨は雪のようにお墓に吸い込まれていった。天気はあいにくの雨だけど、灰色の空はわたしがあなたと出会ってからの髪色と似ていてなんだか嬉しかった。わたしはあなたの髪が真っ黒だった頃を知らない。


あなたがいなくなった部屋は、あなたの匂いが満ちていてしばらく入れなかった。タバコを吸うようになったわたしを見たらあなたはなんて言うんだろう。家族は許さないだろうけれど、わたしはあなたがいた部屋であなたが吸っていたタバコを吸うのが夢だよ。
しぶとく生きてるから、
安心してと伝えたい。
多分わかっていてくれてるけど。



あなたが吸っていたタバコを吸いたいなんて言ったけど、あなたが吸っていたタバコ、煙にまみれて覚えていないよ。

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