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映画『劇場編集版かくしごと―ひめごとはなんですか―』レビュー

【劇場に大音響で鳴る「君は天然色」に震えた】

 大瀧詠一の「君は天然色」を映画館の大音響で聴けるというだけでも、『劇場編集版かくしごと ―ひめごとはなんですか―』は最高だ。そこに、久米田康治による漫画『かくしごと』のストーリーがついて、神谷浩史による後藤可久止の賑やかな喋りと、高橋李依による姫の愛らしい喋りが映像となって大スクリーンで展開されるのだから、こんなに最強な映画はないだろう。

 テレビシリーズのエンディングでも、大滝詠一の「君は天然色」は使われていたけれど、1分半に収めるために途中がはしょられ、松本隆によるあの素晴らしい歌詞をすべては聴けなかった。それが映画では、エンディングにフルコーラスで流れるからこんなに嬉しいことはない。夏に聴く音楽としてはこれ以上のものはないものを、夏の映画館で聴ける喜びをもっと多くの人に感じて欲しいし、自分自身でも改めて感じたいのであと数回は映画館に行くだろう。

 この灰白色の日々をフルカラーで彩るためにも。

 基本的には漫画家あるある話にすれ違いのドタバタを織り交ぜて笑わせつつ、父親が娘を思う気持ちの尊さを感じさせてくれる物語だった、漫画でありテレビアニメの『かくしごと』。描く仕事をしていた後藤可久止が、娘にはそれを隠しておきたい隠し事にしてしまったところから始まる物語だったけれど、もしも早くに後藤可久止にとっては妻で、姫にとっては母親が行方不明にならなかったら、かくしごとをしたのかが気になった。

 たとえエッチな漫画を描いていても、妻には隠していないことを娘にも隠せないと早くに伝えて、すれ違いは起こらなかったかもしれない。そんな母親の行方不明になる旅行を招いてしまったある事態は、アニメ版では描かれていなかった。アニメが終わってから掲載された漫画の最終回では指摘されていて、それが改めてアニメーションに盛り込まれていた。

 なおかつそこから立ち上がったあるエピソードが、大滝詠一の「君は天然色」に唄われていたフレーズとも重なって、埋めていた過去の沈めていた思い出を掘り起こし、呼び戻しては、色をつけて新しく歩み出す決意を示すものになっていた。

 
 だからこそ強く響いた「君は天然色」。ゆえに劇場で観て欲しい『劇場編集版かくしごと―ひめごとはなんですか―』。テレビシリーズだけ見ていては決して味わえない感動があって、感激があって、感涙があると断じたい。

 もちろん、漫画の面白さの核になっていた漫画家あるある話の総量ならテレビアニメの方が多くて、毎週のように楽しませてくれた。映画にも盛り込まれていたサイン会でちゃんと人が並んでくれるか不安で仕方が無く、来る人がすべてサクラに見えてしまう妄想は、漫画家に限らず多くのクリエイターが抱えているものだろう。

 そうした漫画家あるある話が全部入っている訳ではないから、久米田康治ならではのギャグを堪能したいならテレビシリーズを見て原作の漫画を読むべきだ。それをこなしてなおぎゅっと引き締まった物語の世界、父親と娘との好き合ってもなれ合わずお互いに自分を格好良く見せたいと思う気持ちが呼ぶぎくしゃくとした関係に、苦笑しつつも自分と重ねて楽しがりたいなら、映画館に行って劇場編集版を観るべきだ。

 エッセンスは味わえるし感動にも至れる。その上に繰り出される「君は天然色」のフルコーラスへの歓喜は、そこでしか得られないものなのだから。(タニグチリウイチ)

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