自分なりの違和感を大切に~《類而不斉》

アドラーは、
『すべての悩みは対人関係の悩みである』
と言っています。

人は1人では生きられない。
でも、周囲の人が素晴らしい人たちばかりとは限らない。

今日の禅語。

【類而不斉】
(るいしてひとしからず)

一見同じように見えるが別のもの。
似通って見えたとしても同じではない。

紫花束

禅語では、真っ白な雪と銀の器で一見同じように見える様子が描かれています。
とても美しい風景が浮かびますが、現実はシビアです。

日常で表現するとしたら…
大きな枠で例えると、犬種とか?
私は犬には詳しくないので、犬種で判断せず

「犬かどうか」

で判断してしまうレベルです(-_-;)
さすがに秋田犬とチワワの差はわかりますが(笑)

同じように見える…という例えにはなります。

欧米の人にはアジア人が同じように見えるとか。
道端の草が同じように見えるとか。
走っている電車が同じように見えるとか。
今の若いアイドル達の顔が同じように見えるとか。

あくまでも大枠での例えですが、こんな感じだと思います。

そこから少し踏み込んでいくと…

私が扱っているタロットにもたくさんの種類があって。
その種類によって、適した案件というものがあって。
さらに、
同じ種類のタロットでも扱う人によっては解釈が別物になったりします。

だから、ざっくり『タロット鑑定』といっても、千差万別。

【類而不斉】と言えるかもしれません。

こういった感覚は何にでも当てはまると思います。
特に人間関係などは顕著にでるはず。

詳しく知っている人には、細かい情報も読み取れる。
でも、そうでない人には、ざっくりみんな同じ…という事になるのです。

バラ一面

類は友を呼ぶ…

という言葉があるように、自分の周囲の人たちの状況が自分に当てはまっていなくても、他人から見たら同じように思われる。

ダラダラ過ごしているように見える人は、朝から晩までダラダラ過ごしているように思われる。

そういった人と一緒にいると、自分までそう見られても仕方ないです。

他人の目線はどうでも良いのですが、ネガティブなレッテルを勝手に貼られる事は避けたいので(笑)、私はなるべく、自分の選択で、自分自身を生きています。

〇〇学校の子は全員△△だよね~。

とか、

〇〇県出身の人は、△△だよね~。

とか、

〇〇の仕事の人は、△△だよね~。

とか。

ざっくりの参考にはなるのかもしれませんが。
データとしては面白いかもしれませんが。

それがすべてではない事くらい、皆わかっているはず。

それでも、私たちは、カテゴライズしたくなる生き物なのです。

だから、自分を守るために。

なるべく、
「違うなぁ」
と思う場所から遠ざかる道を選んだ方が良い。

同じような感覚の人といる場合は、特に違和感ないから良いのです。
が、
意地悪だなと自分が感じる人たちと一緒にいたら、自分まで意地悪と思われる。

自分が自分の周囲に対して違和感を感じた時は考える時。

たとえ、お世話になった人だとしても。
たとえ、大好きだった人だとしても。
交わる事が出来ない境界線のようなものが見えてしまったら。
見ない事にしないで、きちんと距離を取りましょう。

人間には合わせられる範囲があります。
それは人それぞれです。

だから、
人が合わせられたとしても、自分が無理なら無理なのです。

合わせられない自分がおかしいのでもなく。
合わせている友人がおかしいのでもないのです。

自分の境界は自分で決めてください。

自分で決めた境界は、もしかしたら極端になり過ぎるかもしれません。

でも、いったんリセットしてみない事には、どこで境界を引けば良いのかもわからなくなります。

自分で自分がわからなくなる前に。
自分で自分を取り戻すために。
自分という人間の感覚をシッカリ認識してみましょう。

画像3

自分の感覚を取り戻し、自分なりに認識を深めていく。
そこから、距離を縮めたい人だけと仲良くなればいい。

そうすると、本当に心地よい人たちだけに囲まれるようになります。

相手に対する不満や負担やストレスは皆無。
会っている時間を大切に扱えるようになるし。
相手に対するリスペクトが増えていく。

心地良い気遣いに囲まれるし。
自分も相手を尊重して付き合える。

すべての人間関係が素晴らしいものになりますように…♪

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