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忘れられない占い師

あれは冥王星が山羊座に入る前年だった。

木々の緑に透ける北欧の夏特有の透明な光、わたしの手をそっと包む褐色の丸みをおびた手、カールした豊かなまつ毛が頬に落としていた影。今となっては、そんな断片的なことしか覚えていないけれど、十数年以上経っても忘れられない占い師がいる。

大学生の頃、わたしは交換留学のために1年間ほど北欧某国に滞在していた。プログラムを終えたあと、なんだかすぐに帰国するのも惜しく、隣国の国立大学が主催するサマースクールに参加することにした。

参加者の半分はアメリカ人。これは元々サマースクール自体がアメリカの大学との協定で始まったことかららしい。そして残りの4割は欧州近辺や中東の学生たち。とくに元紛争国からの学生が多かった。平和に貢献した個人・団体を表彰する賞を授与する国らしく、サマースクールの前に別の街で平和学習のためのピースキャンプが行われており、ほとんどがその流れで参加していた。国や大学、団体から参加費を支給されている彼らは、いずれも優秀な学生たちで、流暢な英語を話していた。学部レベルのコースから大学院生・研究者向けの高度なコースも用意されていたことから、年齢や人種は多様だった。そして残りの1割はわたしのような自費参加者で、地元の男性と結婚して語学学習のために参加している日本人や当地の文化・言語が好きで参加している欧州人、省庁から派遣されている人など様々な立場の人たちが参加していた。

夏の一月半、わたしはそのサマースクールで、当地の美術史を学ぶコースを履修していた。2人部屋のルームメイトはスロバキア人の少し年上のお姉さん。コースメイトは、やはり半分はアメリカ人で、半分は欧州近辺の国々の学生だった。国籍は様々だったが、ジョージア、アゼルバイジャン、コソボ、セルビア、チェチェン、ウクライナなど、旧ソ連やロシアとの関係の強い国々から来た学生が多く、紛争を体験している同年代の学生も少なくなかった。

意外にもオープンマインドと言われるアメリカ人たちは彼ら同士で固まって他国の学生と交流することは少なく、わたしは様々な国の学生たちと過ごすことが多かった。彼らは英語がおぼつかない私にも親しく優しく接してくれた。

ふとした機会に教室からアメリカ人たちがいなくなったとき、スイッチが切り替わるみたいに一斉にみんながロシア語で会話をしはじめて、一瞬どこか別の世界に迷い込んだような錯覚に陥ったことがある。外国語といえば英語、海外といえばアメリカかメジャーなヨーロッパの国々、西洋的な価値観に影響されて生きていた自分からすると衝撃的な出来事で、「これが東西冷戦の東と西ってことか」とわたしがそれまでの人生で知らなかったもう一つの世界があるのだと体感させられた出来事だった。

そんなこんなでもしかすると1年間の留学生活よりも濃厚な日々を過ごしていたところ、ある日の昼休みに女子たちが突然テラスに大行列を作っているのが目に入った。

「何で並んでるの?」と近づいてみると、「占いができる人がいるんだって!」とのこと。女子の占い好きは万国共通なのか、皆はしゃぎながら行列をつくり自分の番を待っていた。その頃から占い好きだった私はもちろんすかさず行列に並んで、昼休みが終わるのが早いか、観てもらえるのが早いか、ジリジリしながらルームメイトと何を聞こうか、結婚かな、進路かなと相談しながら待っていた。

ようやく自分の番が回ってきたとき、目の前にいたのは中東からきた女性だった。当時のわたしより一回りほど年上で、豊かな体つきの優雅なひと。手相が分かるというので、「宗教的に占いって大丈夫なのかな……」と思いつつ、手を差し出した。結婚の時期やこれからの進路など色々なことを聞いた気はするけれど細かなことはほとんど覚えていない。
ただ、「あなたは人生に悩みすぎてる。人生は罰ゲームじゃないのよ。もっと楽しく生きてもいいの」という彼女の言葉だけを鮮明に覚えている。

「人生は罰ゲームじゃない」

胸の奥にスっと踏みこまれた気がした。今でもすこし悩みやすいけれど、あの頃はまだ若く今より何倍も日々生きていくことが辛かった。身体は健康で、親からは衣食住を十分に与えてもらい、教育を与えてもらい、こうして留学にまで行かせてもらって、愛情ももらっているはずなのに、自分はどうしようもなくダメな人間で生きていて良いのか分からなかった。何が正解なのか、どう振る舞えば正解なのか分からなかった。人生は罰ゲームのようだと思っていた。留学を終えたあと、何をしたら良いのか、何をすべきなのか分からず、日本に帰らないで当地で果てた方が良いんじゃないかと思っていた。

「人生は罰ゲームじゃない 」

本当にそうなのだろうか。グッと突然涙ぐむわたしに驚いた彼女が何か慰めの言葉を言ってくれていたけれど耳には入らなかった。

あれから十数年、人生のなかで何度もあの言葉を反芻してきた。

一時期、気づいたら手鏡のように自分の手を見つめて「人生は罰ゲームじゃない」と言い聞かせていたことがある。完全に無意識の行動だったが、歩きながらだったり、お風呂の最中だったり、ずいぶん頻繁にやっていた。ちょうど前の会社を休職して辞めるかどうか考えていた時期だった。
後から知ったのだけど、死を目前にしたひとが自分を覗き込むように手鏡をつくることがあるという。
多分、あの頃は色々と限界で、わたしは境界を歩いていたのかもしれない。

そんなこんなで繊細な感じで書き進めてきたのだけど、わたしも年をとりエネルギーが少なくなったからなのか、若さ特有の自意識が薄れてきたからなのか、あの頃のような濃度と熱量で悩むことがほぼなくなった。というか出来なくなった。今でも落ち込みやすく悩みやすくはあるけれど、自分だけの問題で、あの熱心さではもはや落ち込めない。
年をとるなかで、人生にはもっと強固で動かしがたく、でもどうにかするしかない現実的な問題がたくさん存在すると知ったから。

「人生は罰ゲームじゃない」

いつかそう言い切れるだろうか。

あの時一緒だった「未だに飛行機の音が怖いんだ」と語っていたチェチェンの男の子はアメリカに渡り平和な家庭を築いている。あの時一緒だった「僕は戦争でふつうの子供時代を送ってこなかったから、普通の子供時代ってどんな風か教えてよ」と尋ねてきたボスニアのお兄さんは、母国でジャーナリストになったあと、今は世界をめぐる船の船員になっている。あの時一緒だった先生から隠れながらベリーを摘んだクールなウクライナの女の子は戦時下の母国で暮らしている。そして、わたしは日本で平凡な会社員をしながら、ときどき占いをしたり酒を飲んで過ごしている。

「人生は罰ゲームじゃない」

いつ終わるか分からないけど、最後は楽しかった、良い人生だったと終われるだろうか。いや、図太く楽しくたくましく生きていくよ、おばちゃんは!今はそんな気持ちで生きている。

もう二度と会うことはないだろう忘れられない友だちと過ごしたあの夏に、おそらく生涯忘れない言葉をもらった。彼女はわたしの事や占った事自体ももちろん覚えていないだろうけど。そんな、忘れられない占い師の忘れられない言葉と一緒に私はこれからも生きていくのです。


※ちなみに、若さゆえの不躾さで「宗教的に占いはOKなの?」と彼女に聞いたところ、「だって楽しいから……」と言っていた。そうだよね!占いって楽しいよね。
この体験から、しらふはいつか機会があったら海外で占いをしてちょっとだけ人気者になりたいという小さな夢があるのでした。チョトだけ……


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