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4/28 遠路はるばる児相と面談した話

昨夜一時保護された息子’sの身を案じ飛び出す東京。

前日のお話。

が、飛行機の機材トラブル(?)で飛行機の変更に加え、管制塔からの許可が1時間近く掛かり、座席で寝て覚めても飛行機は成田空港の駐機場に居た。先行き不安。

飛行機の変更を待っている間に児相へ連絡し、お昼ごろに伺うと伝えておいた。児相からは、まだ息子’sの担当は決まっていないが、着くころには決まっているので再度連絡をもらえれば、とのことだった。


児相との面談。その流れ

家を出て15時間弱。ようやく地元へ到着。
児相へ連絡し、空港からバスに乗り1時間ほどバス旅をして児相へ到着。

トトさんは近くのお店で待ってもらい、私だけ児相に入った。
コロナ対策で熱を測られ、担当が来るまで待合室で待機する。なぜか消毒液が無かったので、自宅から持ってきた除菌シートで手指消毒。電車でも飛行機でも手と座席テーブルとひじ置きをひたすら拭いていた私です。

数分後、担当のおば様登場。優しそうなおば様と書記なのか若い男性職員も一緒になり面談室へ。
東京から来てる事を伝え、面談室の窓は全開放してもらい、ドアも少し開けて、円卓を挟んで面談開始。

面談の内容と流れ

・今回、一時保護になった経緯を担当者から説明される(前日に聞いた警察からの説明と同じ)

・警察が関わる前までの話を順に説明する。
・離婚の原因と、父親へ親権が渡った経緯を説明。
・父親が親権を持った後の息子’sと私の関わり方を説明。

・児相の役割を担当者から説明される。
・これから児相が行うプログラムを簡単に説明される。

この『児相が行うプログラム』とは厚生労働省のサイトにも『第5章 一時保護』と出てきて詳細を書いている。が、めちゃくちゃ長い。

ざっくり言うと、

①一時保護された子供は、2週間は親権者とその身内との誰とも面会はできない。理由は施設に慣れてもらう事と、親子の冷却期間を持つため。

②一時保護は最長で2ヵ月。

③その間、子供 対 担当者、親権者 対 担当者で面談を繰り返し、子供と親権者双方が『もう一緒に暮らしても良い』等お互いを受け入れるまでは面会はできない。

④親権者側に問題がある場合は『しつけとは』とお説教される。

⑤お互いを受け入れた後もすぐに児相から退所ではなく、最初は親子での外出、2段階目に宿泊での交流、その間に問題なく関係が戻っていれば晴れて退所となる。

といったようなプログラムを基本的には行うと担当者に説明された。
もちろん例外も多く、入所すぐに退所できるパターンもあれば、一時保護が延長されるパターンなど、親子の数だけパターンは様々だそう。

しかし基本的には、子供の主張を最大限に汲むのでいくら親権者が泣いて謝って懇願してもその場凌ぎの可能性も考慮し、子供が納得できるまで面会はそう簡単に叶わず、児相から子供に親に会ってみるよう説得することはあまり無いとのこと。(これも状況により様々だとは思いますが)


そんな説明を受け『2週間!?は?!』となったのは言わずもがなで。地元に飛んで帰った意味が!とも成ったが、ここは打算人間・私。子供の一大事に飛んで来た行動力は児相への心象に少しは影響があったなという手応えを感じ、K-POPさながら銀髪の母は面談を終えた。(心象もクソもない)

この面談時に過去の記録が芽を出していたことも追記しておく。

1年ほど前に息子①が家の鍵を失くしたという理由で、見つかるまで帰ってくるなと夜の9時ごろまで家を追い出されていたことがあった。
息子①はその時の父親のキレ具合にビビり、過呼吸さながら泣いて電話してきていたことと、鍵が見つからない事でまた父親にどやされる恐怖があり、父親が先に寝てもう起きないだろうという時間まで家に入れずにいた。

その時、何時までそうやって外に居るか分からなかった私は警察に保護でもされた際には事情が分かり易くなるため、児相へ電話し子供の状況を伝えていた。面倒くさい親と思われそうだが、そんなの知ったこっちゃない。側で守れないならそういった機関を使うしか出来ないのだ。

この記録が今回の面談中にも話題に上がっていた。父親の異常なキレ方は今に始まったことじゃないという証拠にもなっている。


この日、担当者は息子’sと最初の面談を直前に終えていたらしく、息子’sは頑なに私の元で暮らすと訴え、父親の元へは帰らないと強く担当者に言っていたそう。

最後に私からの質問として、一時保護中に親権変更の申し立てを進めることの影響を聞いた。
答えは、児相は何も影響を受けないがその最中に息子’sが親権者の元へ戻ることになったとしても、それは児相が親権変更を考慮して留め置いたりする措置は何も出来ない、とも言われた。

あくまで子供たちと『親権者』の関係を良好にし引き渡すのが児相の役割なのであって、親の紛争など関係ないのである。

それは当たり前のことなのだけれども、なんだか昨日の警察と云い今日の児相と云い、最近の行政のリスク回避発言が分かりやすくて面白い。それだけクレーマーというか理性ぶっ飛びの暴言をかます人間が多いんだろうと思った。ご苦労様です。


M兄宅へお礼参り

児相での面談は無事終わり、M兄宅も近かったのでコンビニでひたすらM兄家の人々へのお詫びの品を買い占め、訪問。

M兄は仕事で留守だったが、兄嫁はマシンガントークの持ち主なので初対面のトトさん相手だろうが関係なくマシンガンを打つ。

息子’sが避難してきたときに持って来た荷物を見せてもらうと、軽い引越しレベルで、決意の固さを目の当たりにする。

息子’sの荷物はしばらくM兄宅で預かってもらうことにした。
児相では私物は持たせない方針らしく、洋服も児相が用意したものを着るのが決まりらしい。よく分からんが。


M兄宅を後にし、私とトトさんはこの日の宿を探すため近くの駅へ向かうと、児相から連絡が入る。要件は息子’sの保険証がM兄宅の荷物にあるらしく届けてほしいとのこと。病気やケガがあった場合は児相から受診させるためだ。

私たちはまたM兄宅へ戻り、そしてまた児相へ再度訪問し無事に保険証を届けた。

その際に面談でちょっとトトさんの話が出ていたので、トトさんも担当者とご挨拶。世間的に継父からの虐待、なんてニュースも山ほどある。児相にもトトさんの身分を明かし、息子’sとの今までの関わりと仲良くしているという事実はいくらでも知ってほしかったからだ。

世間的に感じるであろう不安材料は早々に消していかないと、である。

親権変更の申立てで家裁がどこからどういう情報を持ってきて話を聞いてくるかはアバウトには分かるものの、細かい質問なんてのは調停員と調査官次第なのだが、親権変更を求める母親の横に居るパートナーの存在はアバウトに見ても懸念材料のひとつになり得ることは分かり切っていた。

だから必要とあらばトトさんは前に出るとこは張り切って出ていくし、必要なければ黙って静かに待ち、次の出方を伺っている。私以上の打算人間なのだ。


その日の用事はすべて終わり、私たちは中心街でホテルを取った。
ステイホーム真っただ中で食事をする場所を探すのも困難だったが、頑張って営業をしている居酒屋を見つけ、24時間ぶりのまともな食事を摂った。

居酒屋も次亜塩素酸水を浸した雑巾で靴底をぐりぐり拭き、手指消毒を徹底し、席も隣の席とだいぶ距離を取っていたのでまぁ安心かな。

半年以上ぶりの地元料理をひたすら食べ続け、トトさんは疲労した体にお酒が効いたのか、ホテルに帰るとトイレと仲睦まじく過ごしていた。


軽くまとめ

児相は基本的には『こども』と『親権者』との関係を第三者として介入し、良好な親子関係を築くための機関です。間違っても親子関係を引き裂く機関じゃありません。

親権者と子供以外の人間の立ち入りはどうなの?とも思いましたが、今回の私の件のように『親権者』で無くても子供の身内であれば、きちんと対応し、話を聞いてくれる場所でもありました。もちろん『親権者』と『そうでない者』の線引きがあり、話せる範囲というものはあります。

私が親権者変更の申立てをする上で、児相の一時保護はちょっと安心感もありました。

それは、家裁での調停中に父親の元で嫌な思いをせずに暮らせるのでは?という点です。その点だけが今回気がかりでした。

子供たちが安全な場所に居る状況でなら、こちらも安心して申立てが出来るというものです。

親権者変更にも『審判前保全処分』という手続きをすれば、子供たちを意図的に保護してもらう術もありますが、親権者変更の申立てと同時であることと、その申立てが相当であると認められなければならないので時間も掛かるし、叶わなければ意味がありません。

施設にいる時点で息子’sの負担はあると思いますが、父親の元で常に不機嫌に晒され送る日常に比べれば精神的な負担は幾分軽いのでは?と感じています。




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