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「うさぎのぽんぽ」(原作:童謡『小山の子兎』)

こんこん小山の子うさぎ
なぜにお耳が長うござる
おッ母ちゃんのぽんぽにいた時に
長い木の葉を食べたゆえ
それでお耳が長うござる
 
こんこん小山の子兎は
なぜにお目々が赤うござる
おッ母ちゃんのぽんぽにいた時に
赤い木の実を食べたゆえ
それでお目々が赤うござる

岩波文庫『わらべうた』より唐津地方の古い子守唄。(他の地域の歌詞違いもあり)

 
 随分遠くで子守唄が聴こえる。
 頭上からは怒鳴り声が拳のように振り下ろされ、体の何処にも触れないままに心を打ち砕く。
「いい?私はあなたのことを思って言っているのよ!?」
 言葉の正確な意味を夏菜子は知っている。
「あなたの」ではない。「あなたのお腹の子」だ。
 姑にとって夏菜子は孫の培養器でしかない。
 嫁いびりは結婚当初から酷かった。徒歩15分の距離に新居を構えたのが間違いで、姑は息子夫婦の家に上がり込んでは夏菜子の家事へ文句を言い、また
「蛍光灯が切れたから買って来い」
等と些細な事で呼び付ける。
 夫に報告しても
「母さんは言い方はきついけれど、君のことを思って躾けてくれるんだ」
ぬかに釘。
 やがて夏菜子は姑にいびられながら、言葉を受け流して心を遠ざける術を覚えた。
(・・この唄なんだっけ。確かおばあちゃんが・・・)
 記憶の底から浮かんだ子守唄は、幼い頃に祖母が歌っていたものだった。
 
「今日はお母さんが冷凍のブルーベリーを持ってきたわ。お腹の子の目が良くなるようにですって」
「お礼は言っておいた?」
「勿論よ」
 会社から帰った夫との会話はこれで終了。
 姑が
「うちの家系に目が悪い人は居ないんですからね?ちゃんと食べたか毎日証拠の写真を送りなさい!報告が無かったら口の中に放り込みに来るわ!」
と夏菜子を罵ったことは伝えない。伝えても無駄だからだ。
 夏菜子は小学生の頃から眼鏡を掛けている。姑の理論では、ここまでしても産まれてくる子どもの視力が悪かったら嫁のせいということらしい。
 別の日にはクラシックのCDを持参してこう言った。
「家に居る間はずっと流しなさい。あなたの濁声だみごえでお腹に話しかけるんじゃないわよ!?分かった?」
 夏菜子の声は女性としては低い方だ。
 とにかく姑は嫁の何もかもが気に食わない。
 そして夫は何処までも母親の味方だった。
 
(きっと世の中には、二種類の旦那様が居るのね)
 呆然と夏菜子は思う。
(結婚を親からの独立と考えて、妻と一緒に新しい家庭を築いてくれる人と。親との関係を継続したまま、妻を実家の付属品として扱う人。夫は後の方)
 そして姑はこう考えているのだろう。
(自分が産んだ夫はいつまでも自分の所有物であり、嫁は自分の領域を侵害する異物でしかない。産まれてくる孫は息子の遺伝子を備えているのだから、孫もまた自分の所有物だ)
と。
 昔読んだ本に水責めという刑罰があった。
 罪人の口を開けて腹が裂けるまで水を飲ませる刑罰。
 夏菜子は木の台に縛られて口を広げられている。姑が胎児の成長に良いものを無理やり夏菜子の口に放り込む。腹が裂けて子どもが産まれるまで。
 母体の夏菜子はどうでもいい。
「この教育書を読みなさい!」
「お祓いをしてもらった有難いお水を飲みなさい!」
 蒸気機関車の機関部にシャベルで炭を放り込む勢いで、次々と。
「はい、おかあさん」
「わかりました、おかあさん」
「ありがとうございます、おかあさん」
 夏菜子は心を病んでいった。
 
 気がつくと冷蔵庫も家の中も、姑が持ち込んだものばかりになっていた。夫は
「助かるなぁ、こんなにたくさん」
とホクホク顔。
「僕の実家からの贈り物だから、準備用に貯めておいたお金は僕が使って構わないよね」
 夏菜子が貯めておいたパート代も実家から貰った支度金も夫が取り上げた。
 用途には
「お前が出来ないんだから仕方ないだろう」
と風俗へ通う金も含まれていた。夫への愛情は枯渇した。
 
 腹は膨らみ心はうつろになる。
(おかあさんの言うことって、本当かしら・・?)
 義母から贈られた百科事典が本棚を占拠している。
(口にしたものが胎児を作る。それなら・・・)
 夏菜子は事典のページを毟り取った。 
  
 お腹の子は順調に成長し、夏菜子は姑の理不尽な要求に耐え続けた。時に姑はどう考えてもおかしいような、例えばイモリの黒焼の代わりに蜥蜴とかげの黒焼を食べさせるような真似までしたが、夏菜子は大人しく口を開けた。
「あーらいやだ。本当に食べるの?冗談だったのにぃ」
 姑は高らかに笑った。
「安定期に入った?だったら出来るだろ」
 夫は体を要求した。
 静かな日々が過ぎた。 
  
 産み月が来た。
 里帰り出産の為に夏菜子は実家へと帰った。
 そのまま戻らなかった。  
 
 夏菜子と入れ違いに夫と姑が受け取ったのは弁護士からの内容証明。夫に対しては不貞を理由に離婚を申し立て、姑には虐待に対し慰謝料を請求した。興信所が調べた不貞の証拠は十分過ぎるほど揃っており、姑の言動は録画と録音が裏づけた。夏菜子の請求は全て通り、夫と姑は金銭も社会的信用も失うこととなった。
 
「大変だったわねぇ、夏菜子」
「何故もっと早く相談しなかったんだ」
 産まれた子どもはベビーベッドに寝ている。
 夏菜子と両親はベッドが見える距離で座卓を囲んだ。
「ごめんね。心配をかけたくなかったの」
「大きなお腹で頑張ったわね。興信所や弁護士さんの手配とか、産後のお仕事の下調べまで」
「母は強しと言うが・・夏菜子、何だか別人のようにしっかりしたなぁ。おっとりした子だったのに」
 ふふっと夏菜子は笑う。
「ある意味、これは向こうのおかあさんのおかげね」
 夏菜子は語る。
 百科事典を貪り喰らう中、棚にある別の本が目に入った。家庭の医学と六法全書。孫は医者か法律家にしろと姑が持ち込んだものだ。
「私はお腹の子に栄養を与える容れ物なんだって思い込んでいた。でも本を読んで、違う、この状況はおかしい。私は容れ物なんかじゃない。意志がある人間だって思い出したの。身動きが取れずにお金も無い自分が戦うには、まずは知識を得なきゃと思った」
 夫と姑の目を盗み、家事をこなしながら、書籍とネットの記事を読み漁った。
「私、優しく育ててもらったから。大人しく周りの言うことを聞いていれば幸せは降ってくると思っていたわ。でもダメね。時には戦わないと」
 両親が娘を見る。
 子うさぎのように大人しく可愛かった娘は、柔らかい衣を脱ぎ捨てて強くなった。自分と、自分の子どもを守る為に。
「何でも言ってくれ。応援するよ」
 赤ん坊が目を覚まし声を上げた。
 夏菜子が抱き上げ子守唄を口ずさむ。
 古く懐かしい子守唄を。

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