余命80年は長すぎる! 第3話
次に告知現場に遭遇したのは、前回から二週間ほど経ち、俺たち高校生が夏休みに入ったころだった。その日の夏期講習の帰り、雑踏のただなかで俺は例のゾロゾロした悪寒に襲われた。
世間では解散総選挙が行われていて俺の住む町にも毎日選挙カーの声が響いていた。いまも道路の一角ではどこかの立候補者が街頭演説をしていて、町はいつもよりも人手が多くて騒々しい。
これじゃあゾロゾロの発信源なんてわからないけど。と思って見渡したら意外なところに死神はいた。
選挙カーの上。街頭演説の真っ最中の候補者の横に黒い姿が佇んでいる。候補者の五十代らしき男性が、青ざめて口を開けたまま黒い姿のほうを見ている。
「お前は、これから五日後に死ぬ……」
例の声がはっきりと聞こえた。候補者は「なっ、なにを」と狼狽える。急に様子が変わった候補者に周囲がざわつくのと同時に、死神はスッと消えていった。
このタイミングで告知する必要あるのかねぇ。
とりあえず俺は『高本ゆきのり』というその候補者の名前を頭に入れておいた。
家に帰って冷凍庫からアイスを取り出し咥えながらソファに座ってテレビをつけた。ちょうどニュースの時間である。テレビでは『甲子園ハイライト』と銘打って高校生ピッチャーの真剣な眼差しを写している。
時期ですね~とアイスをはんでいると、さっそく目当ての選挙ニュースになった。ニュースによると件の高本ゆきのり氏は現職で、二人の新人候補者と戦っているらしい。本日の街頭演説の様子もささっと流れたが、青ざめてるシーンはさすがになかった。
今回はっきりしたことが二つある。
一つは『死神は告知される本人と俺以外には見えていない』ということ。あきらかな異形の者が出現したにしては、周囲の反応が薄かったことを考えるとやっぱりそうなのだろう。それにしたって大胆すぎるけど。今回に比べると俺とか古川の前に出た死神は慎み深いやつらだったと思える。
そしてもう一つは『俺は死神の声が、離れていても聞こえる』ということだ。これはいままでもなんとなく違和感はあったが、今回はじめて気づいた。
たしか病室ではじめて俺が死神を見たとき、あいつは俺に耳打ちするように話した。しかしそれ以降、古川のときは階段の下と上、ブランコの彼のときは公園のなかと入り口、そして今回はいろんな音が混じった町のなかと、耳打ちするほどの声量が聞こえるとは思えない距離感が続いている。そう思って振り返ると、恐らく死神の声は俺の頭のなかにダイレクトに響いている感覚がある。これがなにを意味するかはわからないけれど。
ちなみに俺の死神くんはこのごろ姿を見せていない。死神界の人手不足って本当なのかもなと思う。deathする系のノートの死神みたいにいつもいてくれたら事が早いだろうに。まぁそれも鬱陶しいか。今日あたり出てきそうではあるが。
まぁとりあえず情報収集、とスマホを開いて『高本ゆきのり』と入れてみる。
「わーこいつすげー悪いじゃん」
ちょっとスクロールするだけで出るわ出るわ汚職疑惑の数々。SNSでも悪人っぽく見える顔のスクリーンショットを貼られた投稿が何パターンもあげられて一定の拡散を集めている。
うーん……どうしよっかなぁー。
俺はいままでとは違った意味で頭を抱えた。
「別に俺、なにもしなくてよくない? こいつにはさ」
案の定出てきてくれた死神に俺は言う。
「……なにかしてくれとは、言ってない」
「そうだね! そう! たしかにいままでも俺が勝手にアレコレしてるだけだけど」
死ぬ間際の人間をみて「はいそうですかー」と受け流せるタイプではなかったらしいのだ、俺は。案外情に厚いという長所も最近発見してしまった。
「でもこいつ、若者ってわけでもないし、なんか一生分の美味い汁吸ってきてそうだし、五日後に死ぬのも自業自得に思えてさ……」
言ってて薄情な発言をしてる感覚になる。見せるだけ見せられる俺はどーしたらいいんだ? 死神はよくわからない表情をした。
「……なにかしてくれとは、言ってない」
「うん……そうだよな」
むこうは腹黒くて腐った中年で、俺は賢くて前途ある若者だ。こんなやつに構ってる暇ないぜと思ってから、いや俺には後80年あるじゃんと思い出してしまった。
先日の街頭演説の場所は選挙ではおなじみのスポットらしく、待っていたら高本ゆきのりの選挙カーは今日も現れた。
そう、俺は待っていた。わざわざ。ほんとお人好しすぎて自分に参る。
爽やかなブルーのポロシャツの取り巻きに囲まれた高本は、ひとりひとり握手をしてこっちに近寄ってくる。俺の前に来たとき、俺はその手を握って顔を近づけた。
「まっとうに生きませんか? あと少しの命でしょ」
高本だけに聞こえる声で言う。それまで人当たりの良い笑顔を見せていた高木は、その瞬間「なっ」と顔を強張らせた。
「おっお前もアイツらの仲間なのか」
声を殺して俺に言う。目の前の顔がにわかに汗ばんで睨んでくるのを見れば、ひょっとして俺を自分の命を狙う団体の一員とでも思ってそうな雰囲気だった。騒ぎだされないようになだめる。
「落ち着いてよ。俺ただの人間だよ」
「しかし、なぜ……」
「そこ話すと長くなるからさ、アレもホントたまたま見かけただけ」
信じられない、という疑いの目でこちらを見てるが、取り巻きのブルーたちが「なんだ?」という顔になってきてるのを見れば、説明している時間はなさそうだ。
「たとえばあなたが悪いことをしてたならその人たちに謝ってみたらどうですか。悪者のままで人生を終えるのって本望? 最後だけでもいい人でいたらやってきたことは変わんなくても、きっとなにか違うと思うよ。もう選挙なんかもやめちゃってさ、大事な人とかと残りの時間過ごしなよ」
そう伝えた。残りの五日だけでもまっとうに生きてみたらいいんじゃないかと、俺は思うのだ。高本はふんと目を逸らした。
「……なんのことだか。私は悪いことなどしていない」
「そうですか。まぁ、たとえばなので」
こうなるかとは思ってた。でも俺は俺の良心に従って言ったまでだ。信じようが信じまいが、もうあとはこいつ次第でしかない。じゃあ、と手を離そうとしたら高本は最後にギッと強く力を込めた。
「私は絶対に死んだりせんぞ」
凄いな、と思いながら俺は高本のその目を見た。恐怖と猜疑と執念とそれからすごい生命力。こういうガメツサが俺ら若者に足りないのかな、と思ったりした。
翌々日高本は選挙で勝って、その翌日に死んだ。
汚職疑惑議員の当選とあまりに早い退場は、一時センセーショナルに報道されたけどそれも意外なほどの早さで収束した。
***
一人の人間が余命を告げられ葛藤し寿命が尽きたというのに、夏はまだ十分な暑さを保ったまま続いていた。
日陰を求めるようにして歩いていたら急にあのゾロゾロがやってきた。ちょうど建物と建物のあいだの日を遮る場所に例の死神を見つけた。死神の前にいるのは若い男だった。
制服らしきものを来ているから俺と同じくらいかもしれない。さっぱりした短髪に日に焼けた肌。半袖から突き出た二の腕は引き締まり、スラックスの上からでも太ももの筋肉の逞しさがわかる。そんな恵まれた体躯の青年が、強張った顔で死神を見上げている。
こんなやつがもうすぐ死ぬなんて。
信じられない気持ちだった。彼の姿からは『死』の陰鬱な雰囲気を微塵も感じさせない。生命がはじけてるようなこんな人間が余命の宣告を受けようとしている。複雑な思いでその青年を見ていたら、ふと気づいた。
あれ? こいつの顔どっかで見たような……。
そのとき死神の声が聞こえた。
「お前は、これから50年後に死ぬ……」
えっ?
青年はハッとした顔をしたが、すぐさま死神に頭を下げきれいなお辞儀をした。そして彼が頭をあげるのと一緒に、死神は姿を消した。
「……50年?」
思わず声が出た。しかもいま彼は死神にお礼でもしたかのようだった。これはなんだ?
俺の声に気づいて、青年は驚いたようにこちらを見た。俺の姿をまじまじと見て、やがておもむろに口を開いた。
「……もしかして君も『生き残る者』?」
俺はポカンと見つめ返した。
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