7月16日(日)

ハッと息を呑む瞬間が人生に何度もあって、その度に、思い出しようもない光景を思い出す。濃縮された時間が、息をすることさえも忘れさせる。
ちいさな島国で生きてきた。海辺の街だった。父は夜中に家を出て、夕暮れ前に帰ってきた。わたしは父の布団に潜って眠りたかったが、いつも母に止められ泣いた。母と眠るのは苦手だった。母は、砂のような匂いがして、体はとても硬く、痛かった。でも、抱きしめられるとあたたかい。砂漠のような人だ。オアシスをずっと探して旅をしているから、喉を潤わせてくれる何かが見つかるまで、この人はずっと生き続けるしかないのだと思った。父は毎晩のように海へ向かうけれど、海水は母の心を満たせないようだった。塩辛い水で、母の喉はいっそう乾いた。あるとき、父は海へ行くのをやめた。母が袖を引くたびに父の決意が揺らぐ、そんな5年を経てのことだった。父は最後にわたしに言った。忘れなさい、とただ一言。わたしはいったい、何を忘れればよかったのだろう。
ピリオドが打たれて、思い出は物語になるらしい。羊水のなかでみた夢。やがて、砂漠は海を飲み干すだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?