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【クライバーンとポリーニ】儚い強烈な煌めきか、永遠に響く調べを紡ぐか

ヴァン・クライバーンは、クラシック音楽のアルバムとして、ビルボードのアルバムチャートで1位を獲得した唯一の人物です。すんげえですね。そんな彼が達成したこの偉業について、簡単にまとめちゃいます。

アルバム(レコードですからね)とその内容

  • アルバム名:「チャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番(Tchaikovsky: Piano Concerto No. 1)」

  • リリース年:1960年

  • レーベル:RCA Victor

このアルバムは、クライバーンのピアノ演奏と、指揮者のミトロポリタノスと、ロシア・ソヴィエト国立交響楽団による演奏が収められたものです。

アルバムの中で特に人気が高かったのは、やはりチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の第1楽章だそうな。彼の技巧的な演奏と感情的な表現が際立っており、広く称賛されたといいます。

クライバーンのこのアルバムは、クラシック音楽の大衆的な成功の象徴であり、クラシック音楽のファンのみならず、世界的に幅の広いリスナーを獲得しました。

ちなみに中でも人気のあったその曲の YouTube リンクを置いておきましょう。「パッパッパッパーン!ジャンッ!!!」の出だしで有名な曲ですね。


一方、この時期のマウリツィオ・ポリーニには、商業的な成功を収めたアルバムや曲はありません。彼の活動はごく限られたもので、メディアへの露出もすぐに減っていきます。この時点での彼についての情報は以上です。

さて、そんな二人を対比して、「人生の成功」について、考えていきます。

「なんでこの二人なの?」という質問は、この記事の最下部に元ネタのリンクを置いておきます。余談でしかありませんが、ウラ・コミュリーマンはクラシック音楽を学ぶ note 記事を書いていくんですが、基本的に僕の「ペルソナ」がまだ定まってないのでね、そこは探りながらやっていきます。しかし「オモテ」も「ウラ」も、結局んとこ中の人がやりたいことの本質は全くもって一緒なんですけどね。別人格を作り上げながら楽しんでいきます。

ウラリーマン




ヴァン・クライバーン

「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」という、米国テキサス州フォートワースで開催される国際的なピアノコンクールがありますよね。

歴史を遡れば、1958年、アメリカ人ピアニストのヴァン・クライバーンが、冷戦期にソビエト連邦で開催された「第1回チャイコフスキー国際コンクール」で優勝しまたことが切欠で、創設されたコンクールです。

当時は東西冷戦中だったんですが、ソ連は「科学技術では我が国がアメリカに圧倒してるんだ!宇宙開発で先行してるぞ!」と言ってたわけですが、「でもそれだけじゃなーい!」ということも大声で言いたかった。(はず)

「我がソ連は、芸術面でもアメリカに勝ってるんだ!」っていうことを知らしめたかったわけです。欲張りますねえ。

当時のソ連には、素晴らしいピアニストがいっぱいいましたから、そういうコンテスト=「第1回チャイコフスキー国際コンクール」をやったんですけども、そこモスクワに乗り込んでいった若き日のヴァン・クライバーンが、なんと優勝しちゃったんですよ。栄えある第1回大会を、です。

「ヤバババババ!!!!ヤバイ!ソ連キレちゃうんじゃないか!?」と思いますう?そんなことはしないんですよ、当時のソ連の皆さん。

これはすーっごいフェアですよね、ソ連の人たち。審査員はソ連の人たちが多かったんですけども、そこはやっぱりさすが「芸術・アートの世界」で、 「これはもう1位はバンクライバーン君だろう!」ということで、見事に優勝しました。この時、23歳なんですね、クライバーン。

この優勝を切欠に、アメリカ国内だけでなく国際的にも大きな話題となり、クライバーンは一躍世界的なスターとなります。この成功がアメリカの音楽界に大きなインパクトを与え、若い音楽家たちの励みにもなりました。

そしてこの直後にクライバーンリリースしたレコードが、冒頭で紹介したそれです。「パッパッパッパーン!ジャンッ!!!」です。

クライバーンの録音したレコード「チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番」は、実に300万枚以上を売り上げ、クラシック音楽アルバムとして初めてプラチナディスクを獲得します。

さらにこの録音は、1958年のグラミー賞で「ベスト・クラシック・パフォーマンス賞」を受賞し、10年以上にわたってベストセラーとなりました​。

また、彼のコンサートや録音から得られた収入は多額で、当時最も高給取りのクラシック音楽家の一人となりました。(当然?)

いかに当時のアメリカにおける「クライバーン・フィーバー」がすごかったかっていうこと、もうめちゃくちゃ世界的な名声があったがために、世界中から「来てくれ!来てくれ!」ってスーパーラブコールを送られるわけですよね。国家元首なんかからも引っ張りだったとか。

もう本当に。サル回しのおサルさんのように全世界を引きずり回されたそうです。これにはマネージャーとか工業主なんかもいるわけですが、まあ儲かりますからね。行かせたがるでしょうよ。クライバーンのことを「大金」としか見てなかったんじゃないでしょうか?(言い過ぎ?)

ここでちょっと、クライバーンの名を冠したコンクールの概要も紹介しておきましょうか。


ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール

ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールは、クライバーンの歴史的な成功と、それを記念し若手音楽家の育成と国際的な文化交流の促進を目的として創設されました。今もクラシック音楽界における重要イベントであり、世界中の若いピアニストにとっての登竜門としての役割を果たしています。

概要

  • 創設年:1962年

  • 主催:ヴァン・クライバーン財団

  • 頻度:4年ごとに開催

  • 参加者:世界中の若手ピアニスト

背景

コンクールは、1958年の第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、国際的な名声を得たアメリカ人ピアニスト、ヴァン・クライバーンの名を冠して創設されました。この勝利は冷戦期のアメリカとソ連の文化交流の象徴となりました。

特徴

  • 厳しい審査:参加者は予選を通過し、本選に進むために高度な技術と芸術性が求められます。

  • 幅広いプログラム:クラシックの主要なピアノ作品を含む多彩なレパートリーが必要です。

  • 審査員:世界的に著名なピアニストや音楽家が審査員を務めます。

目的

若手ピアニストに国際的な舞台で才能を発揮する機会を提供し、キャリアの発展を支援することを目的としています。また、クラシック音楽の普及と振興にも寄与しています。

上位入賞者には賞金や演奏機会が与えられ、特に優勝者は国際的な演奏活動を展開するためのサポートを受けることができます。

ちなみにこのコンクール、私のような音楽弱者にも比較的「馴染み」があります。理由は日本人初(アジア人としても)の快挙としても知られていますが、2009年に開催された第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールにおいて、辻井伸行さんが優勝しているからです。


その後のクライバーン

そんな人気絶頂を誇ったクライバーン、その後どうなったのか?「ウヒョウヒョフィーバー」は生涯に渡って続いたのか?


商業的な成功後、彼のスケジュールはどんどんに過密になり、演奏旅行のストレスが大きな負担となっていきます。演奏活動は過度に商業的なもに成り下がり、彼自身の音楽的探求もその犠牲になりました。演奏の質が安定しなくなり、一部の批評家やファンからは彼の技術や表現力に対する不満が出始め、そして1970年代には彼のパフォーマンスの質は「高くない」と、こう評価されるようになってしました。

資産はありました。晩年においても150万ドルの資産があったといいますから、1ドル150円の計算で2億2,500万円くらいはあったそう。(下世話?)

しかし結局のところ彼は、ピアニストとしては大成立できませんできなかったんです。最後は、ムードミュージックを弾くぐらいのピアニストになっちゃったんです。


マウリツィオ・ポリーニ

一方、対照的だったのが、マウリッツィオ・ポリーニという、イタリアのピアニストです。

彼はですね、クライバーンよりもさらに若くて、なんと18歳でショパン・コンクールに優勝するんですね。クライバーンがビルボード1位を獲得した1960年の時です。

この時の審査員には、あのアルトゥール・ルービンシュタインがいたんですけれども、彼はポリーニの演奏を「演奏テクニックという点ではここにいる審査員全員の誰よりもすでに上だ!」という評価をしました。

ポリーニはその若さにもかかわらず、技術と表現力で審査員たちを圧倒したわけですが、巨匠ルービンシュタインにそんな評価をされたポリーニ、どんな気分だったんでしょうね?

ポリーニ自身は非常に謙虚な性格で知られており、その後も一貫して真摯に音楽と向き合ってきた人物ですが、いやあ、気になりますよね。

ところで、商業的な成功を収めたアルバムや曲は特にないポリーニ、コンクールの優勝後どうしちゃったのでしょうか?

はい、この後のポリーニがどうするかというとですね、驚くなかれ、実に約10年ぐらい「隠遁」しちゃうんですね。

表だった演奏活動をしなくなっちゃうんです。

では何をやったか?というと、例えば、ナポリ大学に行って物理学の勉強をしたりとか、あとは彼もすごい有名な素晴らしいピアニストなんですけれども、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリという人に付き従って、さらに音楽性を深めるという勉強をし始めるんですね。

1960年の時に、ショパンコンクールで優勝して大騒ぎになったんですけれども、大学に行って勉強をするとか、世界中旅行をするとか、 あとは高名なピアニストについてさらにピアノの勉強をするということをやって、そして国際的な演奏活動を開始して、初めてのレコードを出すのが1971年なんです。

ですから、コンクールに優勝後、正面から世に出るのが11年なんです。

ポリーニは、ピアニストとしてどんどん円熟していってですね、今年2024年3月に82歳で他界しましたが、おそらく「現在の世界で最も評価の高いピアニストである」と、評される人物に成ったわけですね。

これはですね、ポリーニの当時の状況を考えると、彼の国際的な名声を利用してお金儲けしてやろうという、クライバーンを食い物にしたパラサイトというか、ヒモというか、ゴマすりというか、イエスマンというか、コビヘツラーというか、とにかくそんなクソみたいな人もたくさんいたと思いますし、本人も「大学に行かない」「先生に付き従っての勉強なんてしない」そんなことなどはやめて演奏活動をやっていると、軽く数億の年収が入ったと思うんですよね。

20歳にもならない若者ですよ?20歳そこらの若者で、演奏活動を引き受けさえすれば数億の年収が入ってくるという時に、これらを断ってまで、非常にささやかな経済的状況の中で大学で勉強するというオプションが取れる。

これは本当に、「人生の達人」だと思うんです。

人生というのは、ものすごく「ロング&スロー」です。

ロング&スローゲーム=人生なのですから、これは短平均に成功させない方が良いという示唆をくれますよね。

50年、60年くらいの長いスパンでもって、このゲームを最終的に幸福な状態で終わらせるためにどうすればいいか、そういう知性があったんだなと、ポリーニの人生を知るとこのように思います。


若すぎる成功は、果たして良いものか?

「若いタイミングで成功しよう!」「爆速で億り人になって港区で毎晩イェイ!」「スタートアップ企業で目指せアーリーバイアウト!」などなど、今の成功のモデルはこのような言われ方、理想の人生はこう、というみたいな言われ方がされています。

しかし、クライバーンの人生を見てみても、若すぎるタイミングで成功しちゃうと非常に良くないと思います。あまりにも早いタイミングで脚光を浴びたり成功してしまうっていうのは、実は非常に危険なんだっていうことを、最後ものすごくロジカルに、「エコノミクス」の観点から説明します。

例えば、小室哲也さん。彼が一時期、仰ってたことなんですけれども「誰も自分の曲にダメ出ししなくなった」と。

安室奈美恵やglobe、TRF、華原朋美、果ては H Jungle with t(お笑い芸人ダウンタウンの浜田雅功とのユニット)などを世に放ち続け、飛ぶ鳥そのものでもって成功を収めていた小室さんの言葉なわけですが、これアーティストとしては結構、厳しいことで、これでどんどんどんどん自分の曲作り、インスピレーションが出なくなったっていうことを仰っていました。

あるいは、ビートルズ。ビートルズって、よくロックバンドのランキングを取ると1位に上がるんですよね。1位に上がるんですけれども、活動期間がめちゃくちゃ短いんですよ、あれ。

活動期間、たったの7年ですよね。1963年に「ザ・ビートルズ」でデビューして、1970年の『レッド・イット・ビー』でもう解散ですから。

7年しか活動してないのにも関らず、ランキングを取れば1位に上がる。だけども、名の知られたロックバンドとしては、活動期間が異例に短い。

これ、なんでこんなにも短かったかっていうと、理由は明白で、めちゃくちゃ「ストレスフル」だったということでしょう、環境が。メンバー同士がお互いにライバル視し合ってて、中でも一応リンゴ・スターがまとめ役でやってるわけですけれども、しかしまあものすごい競争意識があって、良い音楽を作っていくっていう競争をやってますから、非常にストレスフルだったと思うわけです。

このストレスの高さっていうのが、曲のレベルの高さっていうのと同時に、バンドの短命さに繋がったんじゃないかって思うわけです。ですから小室さんの話すように「厳しいフィードバックがない」とか「居心地のいい状態になっちゃう」って、実は「生産性っていう観点から」見れば、とてつもない問題があるっていうことなんです。

話を元に戻せば、「成功すると満身する」とかですね、「周りの人がいろんなことを言ってくれなくなる」っていうのも、それももちろんあるんですけども、この成功の弊害を「エコノミクス」の観点で説明しましょう。

ということで、成功の弊害を端的に言ってしまえば「成功すると時間を売るとお金が入ってくるようになる。というこのことに気を付けなければいけない」。ということなんですね。これはわかりやすいですよね?

要するに、「話しに来てくれ」とか、クライバーンのような音楽家であれば「コンサートやってくれ」っていうような話をどんどんと引き受けて、その通りにコンサートやれば、もちろんバンバンお金が入ってくるわけです。

しかしですよ、そうなると「二つのこと」が犠牲になるんですよね。

その一つは、「学ぶ」っていうことです。

頼まれるままに時間を切り売りすれば、「学習する」「勉強する」ってことができなくなります。しかし深く考えずに言ってみれば、「学習する」とか「勉強する」って、これリターンゼロですからね、短期的には。コストしか発生しないわけですよね?短期的には。学習も勉強もせず、稼げるんですから、短期的には。短期的には。「た、ん、き、て、き」には。

あともう一つは、「試す」っていうことです。

試すっていうこともできなくなりますよね?だって、もう既に何をやったらお金が入ってくるかっていうのは明白になってるわけですから。頼まれる分だけ時間を切り売りすれば、短期的には儲けられるわけです。

でも、本当であれば、もっともっと他にも色ーーーんなことをやってみると、その人「本人の人生の豊かさ」を増してくれるようなね、いろんな営みがあったかもわからないんですけれども、しかし「ある一つのこと」をやると「確実にお金が入ってくる」っていう状態になってしまうと、当然ながら他のことを試す機会費用が大きくなりますよね。楽に走るよねえ。

ですから、「学ぶ」と「試す」っていうことができなくなる。

それが、名高いコンクールにも名を冠するピアニストだったわけです。

皆さんは、どうお感じになられるでしょうか。



【元ネタ】

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