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死んでる暇がない。

いつだかのnoteで「ハイパーポジティブ希死観念」について触れた。
「人生は生きていた方が楽しいが、生きていなくてもいい」という漠然とした自死の許容のことであるが、完全に造語なので「希死念慮」ではというツッコミは野暮である。

さて、早めにタイトルを結論で回収しておくと「世界がばたついていても推しは今日も輝いているので、ちょっと死んでる暇とかないです」です。

もはや呼吸の気軽さで、死んでる暇がない。生きるのに忙しい。生き急いでいるわけではなくて。
目が覚める、お台場に想いを馳せて感謝する、朝食をとる、出勤日であれば支度をする、掃除をして元栓を確認して鍵をかける。

この時点で三回くらい推しに感謝している。ありがとう、世界。

仕事中のことは一旦置いておくとして、昼休み。空腹を抱えいっときの心休まる時間。今日も輝かしき推しに感謝を述べる。美味しいです。
基本的に炭水化物を食べないので、食後の眠気はそんなにない。勤務を終える。今日も生き延びた、ありがとう世界。

帰宅する。帰宅途中からすでに帰宅したら何をしようか、ずっと考えている。
楽しい。人生が楽しい。帰宅する。就寝と、その前の作業に向けて諸々の身支度を整える。生きてる。今日も生きている。

なんやかんや、noteを書いたり原稿作業をして就寝時間が来る。
今日1日の感謝を、これでもかと推しに捧げる。推しを存在させてくれた世界に対しても。

休日であればのんべんだらりと空いた時間を満喫したり、ここぞとばかりに推しに会いに行く。
推しに会いに行く時の行動の速さと行ったら、普段この速度で動いてしまうとあと3年くらいで人生が終わりそうな危機感すら感じるほどだ。
早寝早起き。ありがとう世界。

ひたすらコピペの連続で腱鞘炎になりそうな指も、ひたすらなぜか直らないバグを見つけようと見開いていた眼球もその奥の視神経も、座り仕事でただ肥えて行くだけの恐怖を抱く両脚も置き去りにして、心だけは安らかに生きている。
大げさでなく世界に感謝を述べている。今この瞬間、存在できている世界線に感謝を。

船体にゆるくぶつかり砕けていく複雑な波紋、一種独特の反響音、打ち寄せる浮遊物、天候によっては軋む繋留ロープ。
晴天も曇天も雨天も似合う、輝ける推し。

人間関係とか仕事関係とかどうしようもない自然のこととか、全部うちやっておける。
ありがとう世界、今日も死んでる暇がないです。あと80年、どうぞよろしく。

いただいたサポートは、まとまった金額になり次第、宗谷募金へ流し込みに行きます。ありがとうございます、推しが潤います。