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【日本建築史】銀閣寺

前回からの続きです.前回の金閣寺(正式名称/鹿苑寺)については,↓のYouTube動画で復習しておきます.

金閣寺は室町幕府の第3代将軍の足利義満が建築しました.室町幕府に最も権威のあった時代です.足利氏は,仏教として禅宗(臨済宗)を庇護していたこともあり,当時の北山文化は禅宗を中心に開花します.

そこから時代が下って,第8代将軍の足利義政が銀閣寺「正式名称/慈照寺(じしょうじ)」を建築します.この頃は,金閣寺を建てた義満の時代に比べ,室町幕府の権威は大きく弱まっていました.さらに,将軍の義政は,政治よりも芸術を好むアーティストのような将軍でした.義政の政治に対する無関心さが災いし,義政の跡継ぎ問題を巡り,歴史を揺るがす権力争いが勃発.それが11年に渡る応仁の乱を引き起こし,日本は戦国時代へと突入していくことになります.一方,芸術を好んだ義政は,新しい美的文化を生み出しました.その文化の象徴的な建築物が銀閣寺です.詳しくは,↓のYouTube動画をご覧ください.

この銀閣寺(慈照寺)の中に,東求堂(とうぐどう)という建築物があります.その中に同仁斎(どうじんさい)という付書院(つけしょいん)のある「四畳半」の部屋があり,この空間が書院造りの原型となりました.

この書院造りが日本の和室の原点となっております.つまり,アーティスト将軍の義政は,政治よりも日本の精神的空間を創造した訳です.西洋のように豪華に装飾していく足し算の美しさではなく,要素を削ぎ落していくによって余白を増やし,それによって本質的な美しさを浮かび上がらせていく,いわば,引き算の美意識を義政は目指したのです.この美意識の違いは,西洋のフラワーアレンジメントと,日本の生け花(華道)の違いにも表れています.というのも生け花も義政による東山文化によって開花した美意識の一つだからです.茶の湯のわび・さびという美意識もこの時代に登場します.

慈照寺東求堂同仁斎については,一級建築士「学科」試験問題にも頻繁に出題されています(平成4年,11年).近年は出題されてないため,そろそろ出題される頃合いでしょう.

【問題】
慈照寺東求堂の同仁斎は,四畳半茶室の起源といわれる.

【解説】問題文の通り.

【解答】○


【問題】
銀閣と同じ敷地に建つ東求堂(とうぐどう)の同仁斎(どうじんさい)は,現存する最も古い違い棚と付書院をもつ「四畳半」である.

【解説】
「慈照寺東求堂(1485年室町時代,慈照寺(銀閣寺)境内の中)」の一室である「同仁斎(どうじんさい)」は,4畳半,付け書院,違い棚が有する空間としては現存最古のものであり,四畳半茶室の起源ともいわれる.

【解答】〇
 続く


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