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故郷にて⑧

 ずいぶんと遠いところに来たな、と思った。
距離ではなく、時間で。

 今日、入社一年目の時によく通っていた場所を訪れた。3年ぶりくらいである。知っている顔を何人も見かけたが、あいさつはせずそっと遠くから眺めた。みんな年をとったように感じた。不思議である。たったの3年、されど3年。変化するには十分な時間だった。

 入社したての、右も左も何もわからず、先輩の言うこと、上の言うことは絶対だと精神的にたたかれながら、周りに味方などいないと思っていたあの頃、この場所が唯一の癒しだった。周囲の人に励まされながら、心折れかけながらもこの会社でやっていこうと、励ましてくださった方たちのためにもこの会社で強く生きていくんだと、そう思ったあの日が本当に遠い。いま、無職でこの場所に佇んでいる。両手に将来への希望だけ携えて。

 あの日、他者からの親切で胸がいっぱいになっていたあの日、あそこからいまの私はずいぶんと遠いところに来たな、と思う。とても遠いところまで。自分が予想だにしていなかったところまで、やって来た。波にさらわれた部分もあるし、自分の意志を貫いたところもある。うまくいかなかったことの方が多いけれど、うまくいかない中でも得られるものがあった。納得できない部分もあるけれど、いまは幸せだ。

 一抹のさみしさはいつもある。置いて行ってしまった人、記憶、思いのことを考えると、いつだってさみしさがある。かつて私を励ましてくれた人たちに、声をかけようかずいぶんと迷って、やめた。忘れられていたらさみしすぎるし、何より、私は記憶の中のその人たちの姿を大切にしたかった。どれだけさみしくても、もう、過去の話だ。

 容赦なく過ぎていく時間の中で、あの人たちが私に(どういう意図があれ)優しくしてくれた記憶は、これから先もずっと、たとえ私が忘れても、私の一部として残り続けてくれる。私がここまで来ることができたのはこの人たちのおかげだから、その事実は、私が忘れてもなくなりはしない。それでも忘れないでいたい、このさみしさと、あの日私に注がれていた温かい優しさのことを。

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