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いまどきのスナフキンの歩き方

「手伝うよ」
「いえ大丈夫です。一人で出来ます」

「借り」を作ることに抵抗を感じる後輩が増えた。困っているのだったらと、気にしなくていいからといっても、援助を断る。金銭ならともかく仕事のサポートでも、相手に負担をかけるような、返せないかもしれない借りは作りたくないらしい。その結果、奮闘する姿をヒヤヒヤしながら見守ることになる。手伝いに回る側には率先してなるため、余計な人間関係を避けるというわけではない。貸し借りのバランスがマイナスになることを嫌っているようだ。止むを得ず力を借りることになった時は、すぐにお菓子やドリンクを買ってきたりして、その場で少しでも清算しようと利息分を払う。これっきり会えなくなるのではないかと錯覚するほど迅速な行動だ。

他人に借りを作らず、誰の世話にもならずに自立して生きることが正しいという幻想は、資本主義社会の枠組みに囚われた現代人の錯覚だ。等価交換が可能な貨幣に置き換える物質的な負債と、ほどこしを受けたという心理的な負債がある。 資本主義経済では、貨幣を介在させることによって様々な決済を容易にした。債務を負っても労働することで貨幣を稼ぎ、片をつけることで負い目を感じずに済む。だが労働を行い自分の時間を使用するということで、一時的に「自由」を奪われるという別の隷属の形を生んでいる。負い目なく手にして良いのはインターネット上の情報だけで、本当の無料が存在しない社会に生きていることを自覚している。

実在の人間からは借りを作りたくなくても、インターネットの中のヴァーチャルな関係であれば、情報やアイデアを借りて自分のものとしても、返済の必要性は生まれないと考えるのは自然な流れと言える。無限に溢れる情報の中から有益な金儲けの原石を探し出し、派手な装飾を施して高く売るのが、現代の賢い錬金術だ。資本も不要で、タイミングよく情報を売買すれば、加工さえすることなく値上がりした情報の差益を手にすることも可能だ。需要と供給のバランスを高速で回転させることで、必要な人の前に情報を提示すれば、生産の無い経済活動が成立するのだ。情報の消費だけが行われるのはサスティナブルな活動ともいえる。
確かに精神的な負債を負わずに済むが、希薄になる人間関係は自分の周囲の人間以外はヴァーチャルな存在になり、存在さえ意識しなくなる。画面の中にしか存在しない人間はただの情報であり、私欲のために犠牲になろうが、感情の負債が発生しないのは不健康ではないのだろうか。

前置きが長くなったが、そこでお勧めしたいのがスナフキン的な歩き方だ。スナフキンは、架空の生き物であるムーミンの友人として描かれるが人間ではない。ムーミンの物語に出てくる孤高の自由人として、憧れの対象とその行動を真似る自分探し系の若者も多い。Airbnbやカーシェアリングを利用すれば、ミニマリストのデジタルノマドとして生きることも簡単になった。物語ではニートでホームレスのスナフキンだが、リモートワークで金を稼ぐことが出来れば、進化版として生活が可能だ。

だが学びたいのは、お調子者のムーミンに的確なアドバイスをする知識人としての彼の顔だ。スナフキンの持ち物は、テントや鍋や釣り竿など生活に必要な最小限のものだが、ハーモニカ(アニメではギター)を奏で、コーヒーを好み、パイプをくゆらせる文化人的な側面を持つ。モノに執着せず物静かであることから、物質的にも精神的にも自由であることから、その言葉は神格性をおびる。ムーミンたちが冬眠する時、彼は旅に出て見聞を広め、新しく仕入れた話をしに戻ってきてくれる。ムーミン谷を拠点とするが、ふらっと不定期に戻ってくる姿は、葛飾柴又をホームとする寅さんのようでもあるがそこまでの人情家でもない。浮世を超えた半俗の存在であり、本気で怒ることは多くない。いくつかのコミュニティを渡り歩き、新しい知恵を与えることで進歩を促し、浅く社会をかき混ぜ変化を促す存在である。

所属にも執着することなく中距離の関係を保ち、俯瞰的な視点から危険を察知しアドバイスを送る。その距離感をゆるくつなぐのは、その土地の住民との貸し借りの関係だ。貨幣で清算する資本主義的な関係ではなく、共同体の一員として必要なものを融通し合い、受けた恩を「借り」として返済を次回に回す。繰り返す受け渡しの貸し借りの数が絆を太くし、揺るがない信頼関係を作り出す。そして彼の少しの人間臭さが、共同体の住民に安心感を与える。ハーモニカとコーヒーとパイプ、音楽と、食事と、趣向だ。

音楽は、リズムや音色で感情を表現することが可能で、単語や文法を介さない世界の共通言語だ。奏でる音楽は過去の経験を語り、きざむリズムで今の感情を伝える。お気に入りの音が自分自身を紹介し、これから始まる未来の関係へのプレリュードになる。なぐさめが必要な時も、奮い立たなければいけない時も、音楽は、主人公のサウンドトラックとして雄弁に語る。

食事は、数値化ができても多様な条件に左右されるため再現性が低く、記録ではなく記憶に依存する行動だ。素材や調理法だけでなく、いつ誰と共有したかによって記憶は変化する。パラメーターの無限の組み合わせによるため厳密に同じものは作れない。記憶の表現が数字ではなく味覚というあやふやな感想で表記される。美味しかったという印象だけが、記憶を反芻して思い出の幸福感を求める。人それぞれの好みがフィルターとなり、正確に他人と共有することができず、そのズレが安定しない揺らぎを生み、終わらない継続性をもたらす。

趣向は、個人が最も幸福を感じる行為の選択だ。他人のレコメンドに頼ることなく、誰かを崇拝するのではなく、自己を表現するキーパーツになる。執着をしなくても、所有することで幸せを感じるモノや行動がわかっていれば、それは人生のリズムを作る。繰り返すショートブレイクは、少しづつ変化し、カスタマイズされ、本人とともに成長する。

誰かと友達になりたいと、もっとよく知りたいと思った時、きっとこれらのことをたずねている。人付き合いの損得とは無関係に、住んでいるところも、年収も、年齢や性別、容姿にも左右されずに、時間をシェアしあう人を探す基準になる。個を大切にしながら、分かち合うことで生まれる変化が、孤独の形を変えてゆく。

スナフキンは言う。
「大切なのは、じぶんのしたいことを、じぶんで知っていることだよ。」
自分探しの答えをじぶんで見つけることはできない。他人の行動から映る自分の姿を読み解くことで、発見しなくてはならない。そのためには、正しく写すために自分を偽らず、磨くための摩擦を怖れては始まらない。自分が生きる意味に正面から向き合うことを避けて、忙しい日常を作り出して逃げてしまうのは簡単だ。だけど一人で生きているという幻想から抜けるために、面倒に見える人間関係を背負いこむことで、やっと理由を探す資格を得る。旅を進めるには大きな推進力が必要だ。たくさんの人に迷惑をかけて、大きく返すことで強い波が起こり、自分がいる場所を知ることができる。

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