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future generation Z

アメリカの政治家であり投資家でもあるバーナード・バルークの言葉を借りれば、「自分がいくつになっても、老人とは自分より15歳年上の人を指すもの」らしい。昨年の流行語にもなった「Z世代」は、バブル崩壊後に生まれ、子供時代に就職氷河期やリーマンショックを見てきた世代だ。1990年代半ば以降に生まれた世代の彼らから見ると、今の時代を作った前の世代に、恨みをいう権利もあるだろう。このワードの代表として、壇上に上がったのは、2021年4月から始まった「堀潤モーニングFLAG」のキャスターとコメンテーターの人たちだった。

番組が始まる直前に、堀潤さんがPLANETSのイベントで宇野さんと対談し、最後のQ&Aのコーナーで質問をした。
「リニューアルする朝の情報番組で、あえてZ世代に関わるのは、今の世代に期待が出来ないからでしょうか?」
堀さんは、ある経済イベントの後に話したZ世代の若者のエピソードを踏まえながら、若い世代が持っている可能性に期待しているので後押ししたい、という答えを真摯に返してくれた。その答えを聞きながら、MXテレビの予算削減のあおりを受けて、ベテランコメンテーターへの出演依頼が出来なくなったのだろうかとか、冠番組だから裁量権が広がって動きやすくなるが重圧もあり大変ではないだろうかなどという、応援したい気持ちはありながら、厳しそうな現実を憂慮しながら、4月からの放送を待った。

テレビの生放送にまだ馴染みのないZ世代は、番組当初は、自分のアイデンティティを探りながらの発言が目立ったが、数ヶ月もすると落ち着いて自分の活動と関係した地に足のついたコメントが生まれ始めた。番組中のtwitterの生コメントの表示は、無責任なオピニオンになりがちで、番組の空気を変える諸刃の剣となる悩ましいシステムだ。当初は、若い世代を揶揄するものも目立ったが、次第に共感し応援するものが増えてきた。
大学のゼミ生を複数人登場させたり、異色のアーティストが登場したり、少ない資金力をアイデアで補おうと、色々な試行錯誤があった。それでも軌道修正しながら続けることで、自分の言葉を持ったプレイヤーたちの育成に一役買ったのは間違いない。Z世代のサブキャスターのコメントも的確になるにつれ受け持ちコーナーも増え、若者のモノづくりをベースとした人気コーナーも生まれた。
よく知らないニュースにも口を挟んでとりあえず現状を批判し、一般人と同じ目線で語ることで好感度を稼ぐ姿勢が透けて見えるタレントコメンテーターの自己アピールより、好感と期待が持てる。時に自分の領域に引き込みすぎて視野が狭くなりそうな時もあるが、そのヒヤヒヤとドキドキの間に、拾うべき答えの未来があるのだろう。

歴史的な特異点になるであろう2021年の状況下では、ニュースへの視点は近くなり、あきらめや我慢を促す意見を強いられ、調和を乱すものは攻撃されやすい。そのためファシリテーターは、国際的なジャーナリストの視点から、Z世代の意見を丁寧に導き、足らない言葉の距離と角度を補足する役目も求められる。真面目な話だけでは飽きられ、トレンドを追いすぎても他局の ニュースバラエティのように情報が軽くなりすぎる。帯番組は、意識の高い問題を問い続ける習慣を作るには格好のステージだが、日々の波にのまれやすい。その中で粘り強く、政治改革、国際紛争、環境破壊などの社会課題を中心に、視聴者を鍛え直そうとする番組の舵取りは難しかったと思われる。広告獲得の難しさは変わらずのようだが、視聴層にもZ世代が多いことを考えたら、もっと未来思考のスポンサーがついてもおかしくない高い意識と品位を保っている。

オンライン環境の仕事の状況下で、自分の周囲でもスタッフとのつながり方が変わった。ベテランスタッフのサポートのための若い世代も会議に参加し、新鮮な意見を聞けるようになった。自分なりの分析を加えた新しい提案を、トレンドに沿う文脈で自分の立場から語ることが出来る世代は、意外と身近にもいた。面と向かっていない分、話しやすいという状況もあるだろうが、世代の重圧や慣習の引力にとらわれずに、得意とするフィールドで、正しく問題との距離を図っていた。

「自分たちの時代を作る」という若い改革の意識は、時代には左右されない。うっかりすると取り憑かれる「いつもどおり」や「ふつう」というワードに恐怖し、がむしゃらに働く時は、「人一倍の努力」という積算のベクトルが働いてしまう。今でも筋肉少女帯の「労働者M」を聞くと、深夜の職場で正解が見つからない不安を抱えたまま、闇雲に走っていた時代を思い出す。今、社会が半壊して古い天蓋が外れたことで、見えてきた違う景色に「変わる」きっかけを感じた人もいただろう。

今の社会を動かしているOSは限界が近く、現実を直視しない旧世代とは付き合いきれない。バブル期や氷河期の世代は、まだ成長や復活を信じられいても、Z世代にはもはや、ファンタジーと同列だ。我々が祖父母世代から語られた戦争の悲惨さを、映画やドラマのシーンに置き換えて理解しているように、過去の現実と虚構に差はなく、時代は繰り返されないことを前提に行動を起こす必要を知っている。
経済活動を行わないと日常生活を維持出来ないことに、今も昔も変わりない。それでも、お金を稼ぐことが人生の目的がある人は減っている。目的を持たずに必要以上のお金を持っても、贅沢な食事につぎ込むか、尊敬を金で買うようにばらまいて品位を落としていた先輩たちのせいだ。お金では解決しない未来への環境の変化のために、自分の人生のリソースを費やすことにこそ意味があると信じる世代の苗床が芽吹き始めた。

今のZ世代のトップランナーたちの高い社会意識は、生活環境によるものも大きい。それを無視して、前例のない道を歩けと檄を飛ばすのは無責任が過ぎる。後悔しない若さの使い方など、後付けの理由でしかない。悔いの無い人生を送ったという人間は納得できる着地点を見つけただけで、走り続ける若者に古いゴールをアドバイスしてはいけない。とりあえず我慢しろと言われていた3年間の社会人生活で手に入るものは、3ヶ月で手に入れることができる。情報も人脈も、時間に縛られる必要がなくなった。今の資本主義が作り出す限界を目の当たりにして、深く考えないで現状を維持するというリスクを取ることは出来ない。トライ&エラーの屍をかき分けて、前へ進むしかない。

いつでも10歳若いつもりで行動しろと、先輩から聞かされた。大人になっても子供の心を忘れない事は、美しい御伽噺だが、それが許された時代を生きた人間の傲慢だと感じた年になった。生き残ることへの執着を美化したり、ひと一人の命が地球より重いと平気で口にするのは、自己中心的で傲慢なファンタジーに映る。世界の均衡を傾けても暴走を止めない個人の意思によって、理不尽がまかり通るのが普通の時代に、連帯することで未来をつなぎ、正しく生きることを表現する言葉が見つからない。厳しい現実を見せつけられて老いた目の世代に報いる方法を探すのが、先を生きた先輩としての行動だ。

#PS2022

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