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小津的なもの、それは

 Amazon Primeでいくつかの小津安二郎作品が無料になっていました。「お茶漬けの味」や「戸田家の兄妹」など、ついつい3本ほど観てしまいましたよ。

 Amazon Primeは作品ごとにとつぜん無料になったり有料になったり、また無料になったりとよくわかりませんが、いまなら「東京物語」「麦秋」「晩春」の紀子三部作やサイレント作品も観られるのでチャンスですね。

 高校〜大学時代に小津映画は代表作をいくつか観て、それなりに影響は受けたものの、年を取ってからの方が良さがわかるような気がしています。

 小津映画は現代の一般的な映画好きからすると、あまりに刺激が少なく、つまらないという評価になってしまいそうですが、Z世代はどのように見るのでしょう。ずっと人が座って話をしてるだけじゃんとか、毎回おんなじ役者しか出てこないとか、いつもいつも嫁に行くの行かないのって話ばっかりだとか、私も若い時分はそのように思ったのであります。

 カーチェイスもお色気シーンもヤクザの抗争も出てきませんが、映画技術や画面作りにおいて変態的なこだわりが積み重なっていて、これが大衆的人気を獲得していたというのが信じられないほどヘンテコな映画ばかりです。が、見れば見るほどクセになります。ストーリーなどただの飾りです。偉い人には(略)。

 私はとくにカラー映画での小津の色遣いが神がかっていると思っているので、岩下志麻の美しさもあり「秋刀魚の味」が心のベストです。杉村春子大先生の役どころも大変よろしいですし、佐田啓二も最高。
(いや、じつは原節子の良さがさっぱりわからないもので……)

 すこし小津ムードが高まったので、小津批評の決定版(?)である本書を本棚から引っ張り出して少し眺めたのですが、なんだか懐かしさを感じました。

誰もが小津を知っており、何の危険もともなわぬ遊戯として小津的な状況を生きうると確信しているのは、誰も小津安二郎の作品など見ていないからだ。小津的なものとは、瞳が画面を抹殺した後ではじめて可能となる映画とは無縁の遊戯にすぎない。
(序章 遊戯の規則)

 蓮實重彦の文体、今読むとなんだか愛らしさを感じますね。こういうのがイケていた時代があったのだなあ。それとも私がこのような諧謔心や衒学と距離を置くようになったからそう感じるのでしょうか。(あ、とても優れた映画批評書ですよ)

 私が娘を嫁にやるときが来たら、笠智衆プレイをしようと改めて心に誓うのでした。


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