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「お金は、命の次に大切なもの」という責任を果たせてるか?メガバンクで30年のキャリアを築いた金融のプロフェッショナルが、UPSIDERで実現したい社会とは

UPSIDERへの想い

30年間銀行員として働き、多くのお客さまとの関わりの中で金融の大いなる可能性を体感してきました。「お金は、命の次に大切なものではないのか?」そう問われるシーンに直面してきたからこそ、挑戦する人がお金に困らない社会を実現したい。
積み上げてきた知識と経験を活かし、UPSIDERとともに日本の新しいマーケットを作り上げていきます。
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UPSIDERで働く人を紹介する『Who we are』シリーズ。

今回語ってくれたのは、みずほ銀行で支店長までキャリアを積み上げたのち、LINEで新規事業の立ち上げに携わり、2023年10月にUPSIDERへ入社したMaki Takashi (眞木貴司) さん。メガバンクで30年勤めた金融のエキスパートが、なぜいまUPSIDERを選ぶのか。その熱い想いを伺いました。


2023年10月にUPSIDER に入社したMakiさんです。

日本企業が世界の時価総額トップ10のほとんどを占める時代…ダイナミックなマネーマーケットに惹かれて足を踏み入れた金融業界

ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。

はじめまして、眞木貴司(以下、Maki)です!

新潟県長岡市出身で、早稲田大学法学部を卒業したのち、新卒で第一勧業銀行(現 みずほ銀行)に入社しました。支店での営業やディーリング業務に従事したのち、会社の留学制度を活用しアメリカでMBA留学を経験しました。帰国後は、幾つかの異動を挟みながら、経営企画部署で通算14年間働き、その後支店長を務めました。2020年にはLINE Financialに転職し執行役員を務め、この秋にUPSIDERに入社いたしました。

現在は、UPSIDERの子会社である株式会社UPSIDER CapitalでUPSIDER BLUE DREAM Fundというデットファンドの立ち上げや、パートナー企業との提携協議や融資(デット)業務の構築などを中心となって担っています。よろしくお願いいたします!

ー金融の道を志したきっかけはなんだったのでしょうか。

大学は早稲田大学の法学部でしたが、当時は、ちょうどバブル経済の時期で、日本経済はとても勢いがあった時代。就職活動をしていた1989年は、世界の株式の時価総額のトップ10のうち7社を日本企業、そのうち5社を銀行が占めるという時代でした。

私は元々新潟県の長岡市で育ち、「とにかく東京に出たい」という思いで進学を決めるような青年だったので…若い頃は大きなものへの憧れが強かったのだと思います。

そんな学生時代の私には、日本のマネーが世界経済を動かしているように映り、金融の世界は、どのビジネスの分野よりもダイナミックに見えました。「マネー取引の最前線であるトレーディングやディーリングを、世界中のお金を動かしている銀行に入ってやってみたい!」という憧れが強く、銀行に入ることを志しましたね。 

大学の先輩の繋がりで情報をいただくうちに、第一勧業銀行(現 みずほ銀行)が、自由闊達な社風でとても勢いがあると知り、それに強く惹かれて、最終的にご縁をいただき、就職することになりました。

ー新卒で入った銀行ではどのような仕事をされてきたのでしょうか。

まず入社すると、全員が各地域の支店に配属されます。私は、今はもうなくなっているのですが数寄屋橋支店に配属となりました。最初は、弁護士事務所や画廊や画商さんを多く担当しました。銀座らしいといえば、特に画廊とのお取引は、数億円の現金が毎日、目の前を 動くといった感じで、バブル期のある意味、煌びやかなマーケットでした(笑)。ただ、後半は、急ピッチでの金融の引き締め、バブル経済の崩壊の中で、融資の回収などに追われる日々でしたね。

銀行への志望動機だったディーリング業務への想いをずっと持っていたので、人事面談の度に、上司には「ディーリングに関わりたい」とお願いしていました。それに応えていただけたのでしょうね、国際資金為替部という部署に晴れて異動できました。希望通りディーリングを担当する部署で、そこで私は、海外の銀行とドル資金の貸借取引に加え、米ドルの金利先物、米国債先物の取引に従事しました。

日本にいるのですが、市場がシカゴなので、日本の深夜に開くニューヨーク時間帯に活発に取引をするという、まさに昼夜逆転生活でしたね。マーケットの動きによっては、独身寮から、シカゴの取引所に直接電話をして売り買いすることもよくありました。ディーリングは、許されたポジション枠の中ですが、自分一人で売買や価格を決めて、スピーディに行わないといけない。相談できる人が周りに誰もいない状況で決断していくプレッシャーは大きかったです。この時のハードな環境が、「自分で考えて、自分で判断していく」という価値観を自分に植え付け、先々の仕事のスタイルやキャリアにも大きな影響を与えたと思っています。

ディーリング業務に携わったのは3年ほどと長くはありませんでした。
ただ、市場関係者ならわかると思うのですが、ディーリングルームは熱気と濃厚な人間関係に包まれた独特な職場で、そこで市場参加者の所作のようなイロハから教わり、いっぱしにポジションを張れるまでになったことは本当に忘れられない経験です。

刺激的な毎日で、成長も実感できる。もっとディーリング業務に関わりたい気持ちはありましたが、その頃、社内の制度を活用し海外留学へいける絶好の機会が巡ってきました。

アメリカのマネーマーケットで取引を行ううちに、直に海外で生活し、理解を深めてもっと成長したい。そういった思いが湧き上がり、結局、オハイオ州のケース・ウェスタン・リザーブ大学のMBAで2年間、経営学を学びました。留学に派遣した社員に対し銀行は、学費以外の支援をしてくれるわけではないので、日本人もそれほど多くないアメリカの中西部の町で、どうにか情報を集めて、生活の立ち上げからスタートしました。
まだ1990年代の後半で、インターネットが普及し出したころで、スマホは当然ないです。そこでの2年間は、会社組織から完全に離れて自律的に生活していくという、これもまた得難い経験をさせてもらいました。

CorporateチームでTreasury & Finance Control を担当しているAki(丹羽)と一緒に

「お金は命の次に大切なもの」銀行員として直面した課題

ー留学を終えられてからは、経営企画業務に従事されていますね。

1999年の5月に日本へ帰国しました。
留学中から日本は金融危機の状態が悪化し、いよいよ銀行も統合・合併に踏み出すことになります。私は、30代の前半でしたが、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の3行が統合して、今のみずほフィナンシャルグループが誕生するという金融業界にとって大きな転換期のタイミングで帰国し、末席でしたが統合チームに参加することになりました。

その後も、統合により誕生したみずほ銀行で、銀行再生に向けた店舗や社員のリストラ計画の策定や、公的資金返済後の反転攻勢に向けた事業計画の策定も経験しました。大企業のお客さまを担当する営業部での経験を挟んで、グループ内の2つの証券会社の合併プロジェクトやそのPMIなど、経営企画部署での経験は、通算すると14年ほどになりました。

2017年には、新橋中央支店の支店長に就任しました。伝統のある支店で、古くからお取引くださるお客さまと銀行との関係に責任を持ちながら、総勢70人弱のマネジメントにも責任を持つ立場を任されたことになります。

私は、銀行員として最前線でお客さまを担当させていただく期間は短かかったのですが、若いころの支店やその後の営業部も含め融資を通じたお客さまとの関係は、全ての基本になっています。お客さまの事業に対する夢や情熱にあてられて、「どうにかして融資をして役に立ちたい!」と奮闘する経験を、多くの銀行員が持っていると思います。

いくつもの忘れがたい経験といえる案件があります。
「この社長はすごい人だ!」と思って、自分が担当している間に融資を倍増させたお客さまの事業が順調だろうか?東南アジアへ始めて進出する会社の社長と海外出張して、水牛の歩く田舎道を一緒に車で走ったけど、その後の海外展開は成功しただろうか?新商品のための工場建設資金を融資したけど新商品はうまく広がっているか?など、今でも気になってお客さまのホームページを見てしまいます。

一方で、「ここが耐えどころで応援したい。」と思っても融資を引き上げることを伝えなければならない時、また「この会社や事業への投資は成長する」と思っても、融資の承認を本部から取り付けることができない時もたくさんありました。
特に若手のころに「お金は命の次に大切で、あなたは(私)は、それを扱っていることを分かっているのか?」と取引先の財務部長さんに言われた時は痛烈でした
期待していただいたのに、結果的に裏切ることになった、そういった時のお客さまとのやりとりは、いくつも鮮明に思い出すことができますし、…歯がゆい以上に、悔しさとして、自分の中に強烈に残ってます。

銀行はお客さまの事業の大切な部分に、「お金」を通じて深く関与し、その判断が時には事業そのものの存続を決定してしまうほど、大きな影響力と責任を持っています。それを任された自分の力のなさを痛感するのですが、それに加えて、銀行という組織は使命を十分に果たせているのだろうか?といった葛藤みたいなものは、銀行にいる間も、そこを離れた今でも付きまとっていますね。

ーその後LINEへ転職されたのはどういった経緯があったのでしょうか。

2019年に、みずほ銀行とLINEで「LINE BANK」を設立するという新規プロジェクトが始まり、私は、みずほ銀行から役員の一人として派遣されました。Fintech事業としてサービスやIT領域はLINEが主導しながら進める事業です。私はネットでのビジネスなど何も知らず、「LPって何の略ですか?」「GMVって何ですか?」というスタートでした(笑)

でも、スタートアップの気風を強く保つスピーディな意思決定や仕事の仕方、何もない所からビジネスを作り上げるのは、とても刺激的で楽しかったですね。年齢やバックグラウンドに関係ないフラットな関係値も魅力に感じました。何より、ユーザーのペインの解消だけをひたすら考えるサービス企画や、それ実現するTechが物事を引っ張っていくという事業の在り方は新鮮で驚かされました。

プロジェクトがスタートしてから、1年ほどしてみずほ銀行を離れ、LINEに転職することにしました。長年勤めた銀行員としてのキャリアもあったのですが、「ユーザーのためにどうしたらいいか?」を全ての判断軸にしているLINEの文化が私にとっては心地がよく、性分に合っていると感じたことが大きいです。
2020年の転職後は、LINE Financialの経営企画担当執行役員として、Fintech事業全体の成長戦略の具体化、LINE Bank設立プロジェクトの支援やグループの金融各社の経営管理などを担当しました。

新しい挑戦を続けるUPSIDERで、日本のマーケットを変えたい

ーUPSIDERとの出会いを教えていただけますか。

LINE Bankの設立プロジェクトは、残念ながら中止になったのですが、それをきっかけに転職を考え始め、エージェント様からの紹介で知りました。そして「UPSIDER Capital」についてのToru(宮城)の記事を読んで、「これは自分がやりたかったことだ、是非やってみたい」と強い衝動に駆られたんです。

いまでは「商業銀行」という言葉はほとんど使わなくなったのですが、私が銀行に入ったころは、取引先の銀行口座の資金の出入りや、手形の銘柄や決済の状況をチェックしたりして、お客さまの資金繰りの状況を地道に把握して事業性資金の融資を行っていました。それが、融資の判断の基礎になっている時代でした。
銀行は不動産担保で融資を膨らませバブル経済を作りだしたりしましたが、お客さまのお金の流れを把握するということは、現場ではちゃんと行われていました。その後、時代の流れとともにビジネススタイルが変化し、今ではそこまでの丁寧な業務は、ほとんどできていないのではないでしょうか。

UPSIDERは、お客さまのキャッシュフローを把握して、赤字が続くスタートアップでも与信を可能にしています。まさに事業性資金の融資の基本を忠実に、かつ今日的な効率的手法で再現しています。ここに形を変えてかつての商業銀行が、「挑戦したい人を金融の力で支えたい」という想いとともに再現されていると感じたんです。

面談をお願いして、Toru (宮城)、Tomo (水野)、Nao (石神)、Kensuke(逵本)の4人とお話させていただきました。

そこでは、事業に対する考えやチャレンジする想いに感銘を受け、強く共感したのは当然ですが、自分という人間をよく理解しようというUPSIDERの姿勢に感激しました。自分は、どちらかというと自分をさらけだすのが苦手な方なのですが、キャリアや実績への関心以上に、自分というものを理解することに時間をかけていただけたことに、とても信頼感と喜びを感じました。

自分を正しく理解してもらうこと、そのうえで一緒に働いていけるかどうかは、採用される側の立場でもとても大切だと思います。それができるか否かは、大企業かどうかといったこととは全く無関係で、ひとえに経営者の姿勢と素質なのだと思います。自分のキャリアや過去の成果だけに採用の意味を見出すのではなく、キャリアを積み上げる中で培った人間性みたいなもの、もしかすると「私のトリセツ(取扱説明書)」みたいなことまでも、しっかりと理解してくれる、そういう考えを持った経営者のもとで働くことは、経験を積んだシニアであれば、より重要なのではないでしょうか。

Toru(宮城)からのオファーは、まさにそういった内容で感激しました。

説明を終えたToruから「どうですか?」と聞かれ、即座に「入社します!決めました。」と応えたら、Toru から「ちょっと待って、ご家族に相談しなくても大丈夫ですか?」と逆に戸惑われてしまいました(笑)。
妻には「これからは、やりがいを感じて活き活き働けるのが一番」と言ってもらったので、翌朝一番に、改めて入社させて欲しいとのメールを送りました。

まずは目先の目標として、UPSIDER CapitalやBLUE DREAM Fundを仲間と一緒に立ち上げているところです。器を作るのも大変なのですが、「グロースステージのスタートアップ」をベンチャーデットで支援するというのは日本初の試みです。それを具体的に現実のものとしていくというのが僕の役目だと思っています。

今後は、自分がかつて直面した「(銀行は)融資を通じて使命を果たせているのか?」という課題を、UPSIDERの「挑戦者する人々がより活躍できる社会を創る」というミッションを通じて、解決していきたいです。長い銀行員としての知識や経験を、スタートアップ業界をリードしてきたUPSIDERの新しい取り組みとを融合させて、日本のマーケットを変えられたら、こんなに素晴らしいことはないですね。


ーUPSIDERに興味がある方に、メッセージをお願いします!

同年代の友人と話していて感じるのは、「自分が実現したいことにこだわる」ことの大切さです。長く勤めてきた会社や組織を変えても、地位やポストとは関係なしに、自分の実現したいテーマのために働いている仲間はとても活き活きとしています。組織の大小に囚われるのではなくて、僕はUPSIDERであれば、やりたいことにまっすぐ取り組んでいけると確信しています。

UPSIDERでは、実現したい世界に向けて自由に発言できて、それを聞いてくれる仲間がいます。このやりがい溢れる環境で、あなたの思い描く世界を一緒に叶えていきましょう!



Let's build our future together!


当社では、Finance やAccounting (経理) など、ミッションを実現し、アグレッシブな挑戦を続けるための資金調達に関わるロールや堅牢なバックオフィスメンバーなど全方位で積極採用中です。これまでUPSIDER では何度も大型の資金調達を実行をしてきましたが、既存の資金業務の強化に加え、将来的なIPOを見据えた中長期視点での体制構築が急務です。
自由度が高く、お互いに挑戦を応援し合うことができる環境で一緒に働きませんか?

募集中のポジションなどの詳細については、下記採用ページよりご確認ください。


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