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パーランクー型エイサーの謎

はじめに

パーランクー型エイサーは見る者に深い感動を与えます。その感動は、静と動のコントラストとそれを包み込むヴァイオレンスの激しさによるものでしょう。それは青年たちの厳しい抑制と荒々しいエネルギーのなかで調和させています。

青年たちは肉体の極限までを静かに耐え抜きます。これはシマにおける成人への通過儀礼ではないでしょうか。通過儀礼の過酷さと厳しい抑制のなかに、シマ社会の人びとがつくりだした美学が込められているようにおもわれます。いったい誰がこのような構成を創り出したのでしょうか。

屋慶名エイサーや平敷屋エイサーなどのパーランクー型エイサーは、劇場型のエイサーともいえます。メーモーイ、演舞、狂言、演舞、退場という構成をとっており、それは演劇の構造に類似しています。構造がそのように劇的であるため、パーランクー型エイサーを鑑賞するとき、おのずと劇的なカタルシスを感じてしまいます。

演劇と異なる点は、職業的あるいは商業的芸能者が関与していないところでしょう。演出家や振付師というような存在がみられません。エイサーが通過儀礼の青年たちによって演じられたことが、シマの空間自体を劇場と化したのだともいえます。通過儀礼により、青年たちは来訪神へと変身を遂げますので、エイサーは、シマの始原を演じる神話劇になるのです。

通過儀礼であるために、青年たちの肉体に過酷な鍛錬が加えられ、そのとき、ヴァイオレンスが美に昇華するのです。この劇的な構成は、近代において始原神話を再現することに成功したといえるでしょう。神話的思考と歴史的思考の融合が沖縄らしさの美をつくりあげたのです。

エイサーをあえて分類すると

① 念仏エイサー⇒モーアシビ歌がなく長大な念仏歌謡を唱えるエイサー
② 女性だけで踊るエイサー⇒国頭村、大宜味村に見られるエイサーで、来訪神祭祀であるウシデークの女性たちがエイサーを踊るもの
③ モーアシビエイサー(手踊りが主)⇒円陣舞踊で、地謡の歌に踊り手が囃子を返す。太鼓は伴奏楽器。
④ パーランクー型エイサー(パーランクーと呼ばれる手持ちの片張り太鼓を使う)⇒与勝半島とその周辺島嶼で生成し伝播された。モーアシビに雑踊の要素を取り入れて発展したエイサー。モーアシビエイサーや締太鼓型エイサーがモーアシビの延長上で男女のストレートな恋心をあらわすのに対して、パーランクー型エイサーは秘めた恋心を表現する。
⑤ 締太鼓型エイサー⇒伴奏楽器だった太鼓が踊りだしたもの。戦後の急激な都市化のなかで普及発展した。
⑥ 創作型エイサー:地域コミュニティをもたずに、自己表現型エイサー
⑦ その他

パーランクー型エイサーの特徴と分類

パーランクー型エイサーは次のような特徴があげられます。

⑴ 手踊りの振りが極度に少ない
⑵ 歌がゆっくりと歌われる
⑶ 歌のほとんどが創作民謡や沖縄芝居(うちなーしばい)、雑踊(ぞうおどり)の歌である★
⑷  標準語歌詞の歌の入ることが多い
⑸ モーアシビ系統の民謡がほとんどみられない
⑹ カッチン(勝連)エイサー★★と屋慶名(やけな)エイサーでは、メーモーイ(前舞=口上)、演舞、幕間(まくあい)狂言、演舞、退場などという構成を持ち、舞台芸術的な進行をする

★ 創作民謡は作詞作曲の明らかなもので、沖縄芝居の歌劇以外の民謡をいう。普久原朝喜作の《移民小唄》(1927年)を創作民謡の嚆矢とする。沖縄芝居は明治中期以降に作られたウチナーグチによる大衆演劇のこと。雑踊は明治大正期の那覇の街に誕生した踊りで、首里の宮廷文化と那覇の町民文化が融合し、奄美諸島から八重山諸島までのシマジマの芸能もミクスチャーされ、近代における沖縄芸能として完成したもの。
★★ カッチンエイサーというのは、パーランクー型エイサーでパーランクー叩きが雲水(行脚僧)のようなコスチュームをしているところのエイサーを、本稿でカテゴリー化した仮称である。
パーランクー型エイサーはおおまかに四つの型に分けることができます。

パーランクー型エイサーの4つのカタチ

パーランクー型エイサーはおおまかに四つの型に分けることができます。

❶比嘉エイサー

現在観られるものでは、道化役のパートが無く、そのためメーモーイ、幕間(まくあい)狂言がないといううるま市勝連比嘉の比嘉エイサーの型です。道化役のパートがないため、パーランクー叩きが道化的な役割をします。

比嘉エイサーのパーランクー叩きは舞台芸能のように寸分の狂いも見せません。実際に舞台上で演じたとき、狭い舞台で一人ひとりの立つ場を確保するだけで精一杯のところを、十数人が大きな振りでパーランクーを叩いて舞っても、わずかにも身体が触れ合うことはありませんでした。

うるま市比嘉、2019年



❷カッチンエイサー

二つ目は平敷屋(へしきや)エイサーや平安名(へんな)エイサーなどに代表されるカッチンエイサーです。テンポを極端にゆるめたエイサーで、風流(ふうりゅう)が表現されているものです。

たとえば平敷屋エイサー東組の演目は秋の情景を歌った《秋の踊り》で入場し、遊女と遊客が月見に出かける《チェヒャーグヮ節》で退場します。中秋の名月を愛でるという風流をテーマに、エイサーを物語風に組み立てているのです。

カッチンエイサーでは、道化が補助的な役割ではなく独立したパートを形成しています。東西の平敷屋エイサーや平安名エイサーで、道化たちはパーランクー叩きや手踊りのパートとは別の練習場所を持ちます。

平敷屋、平安名などでは練習場所は秘密とされ、他所に漏らすことはないとされます。平安名エイサーでは道化によるメーモーイのパートが「コッケイ踊り」として独立した芸能となっています。


3−5-1  パーランクー型エイサー:平敷屋青年会、2005年、カミヤ前、メーモーイ、演舞


3−5-2 パーランク型エイサー平敷屋エイサー、カミヤ前、演舞、退場、2003年


❸屋慶名エイサー
三つ目が、自ら近代エイサーと名乗る屋慶名エイサーです。近代エイサーという名称は、おそらく比嘉エイサーが舞台芸能的であり、カッチンエイサーが風流を追求して古典的なゆかしさを表現するのに対して、流行を追った新しいエイサーであることを宣言しているのだといえます。

パーランクー叩きは空手を取り入れた踊りで脚を高々と掲げるというダイナミックな踊り方です。「足上げ二ヶ月」という厳しい練習で鍛えあげるといいます。そのためダイナミックに大きく横に踏みこむという動作をしても、身体の重心がいささかでもぶれることはありません。

比嘉エイサーやカッチンエイサーが上下動によって美を表現するのに対して、ダイナミックな横の動きによって観衆を魅了します。

○屋慶名エイサー
3−1 パーランクー型エイサー:屋慶名エイサー、東西交流、2003年



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