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『天安門、恋人たち』「フィルムに込めた思いを未来に残すため」芦澤明子(日本映画撮影監督協会副理事長/撮影監督)

5/31(金)公開。映画『天安門、恋人たち』について、日本映画撮影監督協会副理事長 芦澤明子様より寄稿をいただきました。

「フィルムに込めた思いを未来に残すため」

 映像の世界では、技術的な進歩、特にデジタル映像の世界は、4K、8K、あるいはHDRというように日進月歩で進んでいます。それを否定しているのではないのですが、フィルムによる表現は依然大きな意味を持っていると思います。現在でも2022年の『ケイコ 目を澄ませて』のように16mmフィルムで撮影されて成功している作品もあります。単純にいって、デジタルは電気信号、物理的な記号であって、フィルムは化学的な記号であると言えるかも知れません。

 私はフィルムに対してリスペクトを持っていますが、それは、フィルムによる表現に対するものです。監督からフィルムでやりたいと言われて脚本を読んで、監督にこれはフィルムよりもデジタルで撮影した方が良いということも多々あります。それは、その作品ごとに、デジタルの良さやフィルムの良さにマッチしているかどうかということで、フィルムで表現することよりも、デジタルで表現した方が、作品が生きることもあります。

 今回見させていただいた『天安門、恋人たち』は、フィルムボーン(フィルム生まれ=フィルムで撮影されたもの)の作品であり、DCP化によってフィルムの良さが失われてしまうのではないかと危惧しましたが、今流行りの4Kレストアなど行わずに、現存ポジフィルムをそのままフィルムスキャンしてDCP化(多少、カラーグレーディングは行ったようです)したためか、フィルムで撮影してデジタル化した作品のような仕上がりになっています。つまり、フィルムで撮影して作り出そうとした表現を現在の私たちに伝えてくれる仕上がりなっているということです。

 先ほど、述べたように映像技術は進歩していますが、HDRが当たり前となる時代には、余計にフィルムでの表現が重要になるのではないかと思います。フィルム撮影の場合、よく言われることですが、「お金がかかる」と言われて敬遠されますが、私はお金の問題だけではないと思います。フィルムはデジタルよりも手間がかかることは事実で、その手間を表現の方法として必要なら、その手間をいとわない気持ちが大切なんだと思います。
そうやって手間をかけて撮影された過去の作品を甦らせる時、当然鮮明さ、クリアにするということは大事ですが、撮影した時点で、作り手がどう表現しようとしているかを再現するということも大事なんだと思います。

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