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『にゃあ』の出自


 
 我が家には現在十一匹の猫がいます。馬場のぼる先生の背が見えて感無量です。
 夫婦としては、四匹看取ったので、総勢十五匹と暮らしてきましたが、出会う前にそれぞれ実家で一緒に暮らした猫がいるので、加えると十八匹を数えます。限りなく長新太先生に迫っています。嬉しいことです。
 二階建ての持ち家に、猫用トイレを頭数分用意しています。各階ほぼ仕切のない設計なので、上がっていただく来客は、どうしても猫好きに限られます。
 そんな方々には、我が家の一代目『にゃあ』がやってきた経緯を、問われずとも語ってしまうのです。

 結婚した当初、古い公営住宅に住んでいました。三年間に初期流産を数度経験したもので、共稼ぎで忙しない日々とはいえ、淋しさがありました。ペット禁止が原則でしたが、築三十年の長屋でしたから、お隣は庭で老犬を飼われていたし、別棟の窓に猫の姿もちらほら見ていました。ならいっそ、うちにも猫がやって来ないかなあと、お互い昔一緒に暮らした猫のことを思い出しながら、夫婦で話すようになりました。
 まもなく、夫が職場で、最近白っぽい猫を見かけるが、すばしっこくて捕まらないという同僚の会話を耳にします。首輪をしてるから飼い猫だと思うとのこと。夫は、帰りがけに駐車場脇で何か白いのが動くのを見たような気がする、明日探してみようと意気込みました。
 そして翌日、昼時に電話が。
「いたよいたよ、なんかこっち向いて目が合った途端、凄い勢いで鳴きながら走って来た、ずっと鳴き通しで、今餌買って、車の中で食べさしてるとこ」
 受話器から、夫の声の向こう側に猫の声も聞こえていて、食べながらもまだにゃむにゃむと何かを訴えているようでした。
 えらい目にあったヤバかった、木に登って窮地を凌いだ、食べるものもないし、今まで一体どこで何やってたんだ、そっちから来いって云っといて気づくの遅すぎじゃね?
「ホラ見てろよって顔で木に登ってみせたし、そう云ってるようにしか聞こえん」
 夫のその時の勤務場所は、山林の奥、秘境と呼ばれる天然露天温泉付きキャンプ場でした。知る人ぞ知るのレベルなので、首輪をした猫が遊びに来れるであろう範囲内に民家はありませんし、キャンプに訪れた人の飼い猫なら、置いていく訳がありません。連れて来たはいいが戻らないとなれば、何らかの情報が管理室の者の耳に届くはずです。
 夕方夫の携帯から、段ボールにタオルを敷き詰めた即席猫ベッドの横で、まだ夫に向かって鳴き続けている、瞳の碧い真っ白な雄猫の動画が送られてきました。雄にしては小柄ですが、成猫に見えます。青い首輪がとても似合っていて、殊更に選んだ人に想いを馳せざるを得ません。
 けれども私は、職場で夫からの電話を受けたのち、昼休憩の時間内に、何度となくシミュレーションを繰り返していた数パターンのうちのケースその一、成猫一匹に対応するための一式を、ホームセンターのペットコーナーで購入し終え、車中に積み込んでいました。どちらにしてもいずれ必ず使うと決めているので、有意義な買い物です。シミュレーションを重ねていると、品の選択も昼飯前ですね。
 その晩は、管理室のドアに迷い猫保護中のポスターを貼り、白猫氏には段ボールベッドと段ボールトイレ、てんこ盛りのカリカリとともに中で過ごしてもらうことに。
 私は地元紙が無料で掲載してくれる迷いペット情報欄係に速攻原稿を送って、明日にはもうウチへ一旦来てもらうと息巻きながら新品の猫グッズを自宅に配置しました。
 翌日白猫氏は、夫と一緒に帰宅して、その晩からベッドで川の字に眠ってくれました。
 夫が感じた通り、呼ばれたから来たのかもしれない。けれども探している人がいないとはまだ断定できない。まず『にゃあ』とカルテに記していただくことにして、翌土曜の午前中、これもシミュレーション通り目星をつけていた動物病院へ連れて行きました。
 去勢手術はされていませんでした。三歳未満と医師は仰って、久々に飼うなら、このご時世、なるべく室内飼いに徹することを勧めてますと続けられました。猫雑誌猫本を読み漁っていたので、理解はしていました。元の飼い主が現れないと判断した時点で、手術をお願いするとお伝えして、その日は自宅に戻りました。
 往復、車中ずっと鳴き通しで、さぞ体力を使ったろうと思いながら玄関で放つと、途端けろっと平常に戻り、ソファの上で毛繕いを始めました。
 病院行きという不本意なイベントの記憶を無かったことにして、取り戻した安全な今を過ごす。惚れ惚れします。
 もちろん、次回同様の憂き目に遭いそうな時、全てを昨日の出来事のように思い出し、全力で抵抗するのも猫です。しかし受難から解放されたあと、私そんな目に一切遭ってませんと自分を騙しつつ癒す姿に、いつも心底魅了されるのです。不快感を引き摺るなんて無駄なことはしないけれど、回避には全力で臨む。見倣いたい聡さです。

 連想的脱線で恐縮ですが実を云いますと、毎回嫌がる個体をお風呂に入れる飼い主の方々のお気持ちが、カケラも理解できません。てめえを砂風呂に頭から突っ込んでザリザリしてくれようか? 力みながらサムネを興味なしでぶっ飛ばします。青森ヒバエキス配合のマザータッチをスプレーしながらブラッシングしてあげれば充分です。もちろん個人的見解に過ぎませんので、お読み流しいただければ幸いです。

 それから、子猫の誕生と保護に貢献されている方々を、心から尊敬しております。我が家は、生まれた子猫四匹ごと母猫を迎えたことはありますが、家で産ませた経験はまだありません。

 さておき、飼い主を名乗り出る方も、探しに見える方も、問い合わせも一切なく、彼はそのまま我が家に住むこととなりました。
 これが、夫婦で猫と暮らし始めて初の一匹目が『にゃあ』と呼ばれることになった顛末です。
 最後までお読みいただき、ほんとうにありがとうございました。

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