気まぐれスローライフ


いつの間にか、部屋の壁時計が「電池切れ」で、止まっていた。
予備の電池も切らしていたので、その時計を、壁から外した、
良い機会だと思い、たまたま、休日だったので、「時計の無い生活」を、試してみたが、時間が分からないと、不安で、昼過ぎまでが、限界だった。
人一倍、時間にルーズな僕でさえ、そうなのだから、

我々が、日頃、いかに時間に束縛されて生活しているか、痛感した。

時計は、有った方が、便利だが、無くても死にはしないから,「必需品」って程大切なものじゃない。 現に長い間、日本には、時計なんて無かった 。時計ばかりか、秒とか、分等という野暮な単位が無くても、生活は、充分に成立していた。赤穂浪士達も、吉良邸前で、時計を見ながら「討ち入り、5秒前、4、3,2」とか、しなくても、仇討ちは、成功したから、時間なんて、「夜半過ぎ」とか「夕暮れ時」などと「だいたいの表現」で充分な筈だ。
僕の時計も、突然止まった訳でなく、数日前から少し「遅れがち」だったのだが、
時計が、遅れようが、止まろうが、
朝は昼になり、ちゃんと、夜も来た。
時計が、止まっても、時間は流れていたから、時計が、無くても困る訳が無い。

「時間が、過ぎる という現象」 は、自然界に、確かに存在しているように見えるが、
〇時〇分〇秒等という「ちまちま」した「単位」は、自然界に存在しない。世界は、もっと、ざっくりと大雑把に、出来ていて、人が○時だの○分だの○秒等と細かい事言いだして、世界をややこしくしてしまったのだ。
現に今日1日、時計を外してみても意外と困らなかったし、
むしろ逆に、気分が、良かった。たまには時計を意識しない休日も、ストレス解消になるようです。時計の無い「非文化的」と言われる地域に生きる部族も、今なお、一部存続していて、
たまにテレビのドキュメント番組で見かける彼らは、

我々より不便そうに見えないし、むしろ、羨ましいほど、自由に見える。
ストレスにお悩みの方は、時計を外す(止める)だけの「簡易式スローライフ」を是非、一度お試し下さい。無料です。

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