韓国まで鞄を探しに行った話(前編)

 かれこれ同じかばんを6年間も使い続けて、もうぼろぼろになってしまった。よくある肩掛けのショルダーバッグなのだが、A3の本でも折り曲げずにそのまま入れることが出来る上に容量を拡張を出来るチャックがついており、大変に使い勝手が良い。

 これを手に入れたのは、もう5年も前に釜山駅前の地下街にある露天なのか店舗なのか、外国人観光客には一見分かりにくいお店だった。その店で見かけた実用性一点張りの肩掛け鞄。クソ日本人(筆者のこと)が、鞄に興味を示したところに店主は「メイド イン コリア」とハングル訛りの片言英語で勧めてくる。
 値段を聞いたら120,000ウォン(当時1万2千円程度)と言われたところを値切って100,000ウォンでお買い上げとなった。
 少し高いかなとも感じたが、結果的には内外共にボロボロになるまで使い倒して元は取れたと思う。

 色々と傷みが目立ってきたところで、同じようなカバンが欲しいなと思って探してみたが、日本国内ではまず流通していない。
 限界移動オタクである筆者にとって、容量は譲れないポイントだ。
スペック上の5cmの差が、意外と容量に大きく作用する。
amazonで似たようなカバンを試しに買ってみたが、全然小さくてもっぱら近距離の旅行用にしか使えない。
 そうなると、やはり同じ店に行くのがいいかと思ったが、あいにくとコロナ禍の渡航制限に巻き込まれて訪韓すらままならない状態になったまま数年が経過してしまった。

 2023年の4月になって、ようやく久々に韓国へ飛ぶエチオピア航空のチケットを手に入れた。KTX(韓国新幹線)を含めた鉄道乗り放題のKorailPassを片手の旅行である。深夜の仁川空港に到着後、交通センターのベンチで夜を明かして未明のソウル駅へ辿り着いたが、かばん屋はおろか、コンビニが明かりをつけているだけだった。

未明のソウル駅は寒い

 そこから始発のKTXで光州市へ。光州事件の舞台となった旧全羅南道庁が見たかったのだ。地下鉄で移動し、都心へ。
電車を降りると釜山と似た雰囲気の地下街が広がっており、鞄を扱う店も幾ばくかある。これは楽勝で同じようなカバンが見つかることだろうと店内を探してみたが、残念ながらお目当てのものはない。
 さて、主目的の光州事件関係の資料館を視察して、光州駅まで散歩がてら市内を徒歩で移動する。ロッテデパートのあたりにかばん屋が固まっているエリアを偶然見つけ、片っ端から肩掛けカバンの在庫を見せてもらうが、ピンとくるものには出会えなかった。


群馬県ではないほうの大田市

 光州から大田へ。オンラインの友人が飯を奢ってくれるというので所得の低い貧困層である私は焼肉をたかりにいったのである。あの時も、今も、生活は苦しい。
 大田駅の付近にも地下街があり、鞄屋がありそうな雰囲気だが飯の時間が近づいている。今日は時間がなさそうだ。
 始めて顔を合わせた友人と肉を食う。話を聞くと本当に韓国まで来た日本人は筆者が初めてらしい。せっかくなので肉を焼いてもらうと「私は肉を焼くのが下手です」と謙遜した。
 何故かと理由を尋ねると「普段は部下に焼いてもらうので」と答えが返ってくる。どんな仕事をしているのかと話になり、聞けばそれなりに偉い人だった。UPFGで言うところの支店長クラスである。
 とは言え、私は肉の焼き方すらわからない海外旅行初心者のクソ日本人。胡麻の葉で焼肉を包むという食べ方を学んで、今度は私が奢るよと言って解散となった。 

ごちそうさまでした。次は私が奢ります。

 大田市は、行程の都合上朝一での出発となるので結局鞄に出会うことはできなかった。起床後、そのまま列車に乗り、東海市を経由してソウル市へ。

こういう韓国をふらつきたい

  夕方のソウルへ到着した。と言っても私が歩くのは明洞や江南といったキラキラした地域ではない。今回降り立った清涼里駅もキラキラというよりは、ゴミゴミとした庶民感あふれる地域だと理解している。こう言った通りから一歩、路地へ踏み込んだとたんに乱雑にスプロールした住宅地と、日本では見られなくなった市場がある生活感溢れる雰囲気が私には適しているようだ。ふらふらと彷徨い歩くうちにまたしても鞄屋を見つけたのでふらりと入ってみると、同じものではないがサイズだけは近い鞄をようやく見つけることができた。
 しかしずいぶんと傷みが激しい。どうやらこれは中古品のようだ。
 はっきり言って私の使い方は荒い。鞄の寿命を数年で使い潰してしまうくらいハードな扱いをしてしまっている。ともすれば中古で買ったところで秒で壊してしまうのが目に見えてる。

 この鞄は見送ろう。しかし日本国内では手に入らないサイズの鞄が韓国で流通していることが確認できただけでも一歩前進だ。
 お目当ての鞄に辿り着ける希望が見えてきた。

 この日の宿は、私の名前にちなんだ東村地区にとっている。地下鉄の東村駅まで行けばいいのだ。
 清涼里駅からソウル駅へ。ソウル駅からKTXで大邱広域市へ。満席のKTXで東大邱につく頃には、もう21時を回っていた。東村という地区に行くためだけにソウルから大邱まで移動して、1日が終わった。

 いよいよ韓国滞在最終日、今日こそは鞄を見つけることはできるだろうか? 

燦然と輝く東村駅!

  少しだけ早めに宿を出て、東村遊園地(公園)を散策した。普通の都市公園でなんら特筆すべきものはない。そのまま東大邱駅まで歩いて、またKTXで昼前にソウルへ舞い戻る。
 結局、大邱市では鞄屋を探す暇すらなかった。

 ソウルでは、また別の友人と会うことになっていた。
せっかくだからと清蹊川視察をリクエストして車を出してもらう。清蹊川沿いの側道を走ると、東大門付近で鞄屋が目についた。立ち寄りたいところであったが、駐車場を探すのにすら難儀するほどの混雑で、それどころではなかった。

 カルグクス(韓国うどん)の店に落ち着き、韓国の飲食店では水とキムチが必ず出てくるという話で盛り上がった。友人曰く「韓国の飲食店でキムチが出てこないと暴動が起こる」とのこと。
水よりもキムチが大切な文化圏なのだ。漬物があまり得意な私ではないが、この店で食べたキムチは美味しかった。図らずもカルグクスも奢ってもらい、生活水準が大いに向上した。

 友人が車で送ってくれるというので言葉に甘えて仁川空港へ向かう。海外旅行初心者にありがちな、現地の友人の車に載せてもらって空港入りというやつだ。空港直前にある大型スーパーへ立ち寄ってもらい、大量の袋麺を仕入れる。結局、鞄は手に入らなかったので、友人に通訳してもらい品出し中の店員さんから段ボールを分けてもらった。

旅行初心者らしいまとまりのない荷物だ。

こうして久しぶりの韓国旅行が終わった。鞄は壊れかけのままで、目標としていた老取(老朽取り換え)は達成できなかったが、そのうち釜山へ行く機会を作って、前に鞄を買ったのと同じ店に行こう。
帰りもまたエチオピア航空で日本へ帰る。おかわりの機内食を食べているうちにシートベルト着用サインが点灯してテーブルは収納の時間だ。こうして私は食べかけの魚飯を片手(物理)に舌鼓を打ちながら日本の地を踏んで旅が終わった。

Fish and Fish. これが私のオーダー。

~後編に続く~


生活が苦しい