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男になりたいわけじゃないけれど

男になりたいわけじゃないけれど、女として生きることにうんざりしている。私はシスジェンダーだし、身体の性が女であることには納得していて性別違和を感じたことはないし、その点においてはマジョリティに属しているし、いわゆる「女性らしい恰好(この言葉は微妙な差異によってジャンル分けされている服装の文化に対して、あまりに雑なものの見方を示しているようで使いたくないけれど)」も好きだし、男性とのセックスも好きだけど、それでも女というラベルを剥がして捨ててしまいたいと思う。でもそのラベルはもはや私の身体と癒着している…ように感じるほどに剥がしても剥がしても社会の側からまた丁寧に貼り直しにきやがるから、本当に鬱陶しい。

結婚したくないし子供も欲しくない。結婚したいと思ったことはある。でも私が望んでいるものは金銭的安定だけだった。経済的安定のためだけに、男の精神的接待といつでも無料でセックスに応じる契約をするのは割に合わない。今までは、望んで結婚した人に対する侮辱になるかもしれないからこういうことを書くのはやめておきたいと思っていたけれど、どうしても結婚して家族関係になるということは女性の側に負担がのしかかる構造になるとしか思えない。男はきつい条件で働いて女を養わなきゃいけないんだからもっと辛い!!!!!!という批判が飛んできそうだけれど、それは雇用主に言ってほしい。男の「かわいい女の子と結婚して、毎日美味しいご飯を作ってもらって家事もやってもらいたいなあ、子供が生まれたら子育ては”協力”すればいいんだよね」という思考は袋叩きにされない。(Twitterなどでは時折炎上しているので、5ミリくらいは前進していてよかったなあと思う)
私だって「好みの男と結婚して、毎日美味しいご飯を作ってもらって家事もやってもらいたいなあ」と思う。言ったら何言ってんだこいつ、という反応しかないし、およそ成熟している人間の物言いではないということが分かっているから言わないけれど。
とにかく、あらゆる局面で、構造的に「女」が得しないように仕組まれていることが気に入らない。

現代社会は男が作り上げたものだから、構造的に女を得させないようになっているのは当たり前かもしれない。
今までおそらく有史以来600万年間男性優位の社会だったのだから、これから600万年間は女性優位の社会になってしかるべきじゃないの?男女平等を掲げる人って優しいね。と今までよく言ってきた。理屈では男女平等を目指すメリットは理解できたが、今もその気持ちは変わらない。それくらい、うんざりしている。


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