聴神経腫瘍について④(入院手術後)
複視や突発性難聴の症状を自覚してからの各科受診・MRI撮影にて、
突如発見された脳腫瘍(聴神経腫瘍)・・・。
この腫瘍発見までの経緯と対処、その後の生活等を備忘として、
この症状に悩む方への参考までに整理したいと思います。
*前回記事です。
聴神経腫瘍摘出手術へ
9/25、手術当日を迎えました。
緊張からか若干早めの起床。朝に看護師さんが点滴ルートを取りに来てくれ、手術室へ向かうのは14時30分と言われたので、それまではベッドでぼんやり過ごしていました。
気を紛らわせる食事もできず、ただただぼんやりしていると「痛くなかろうか」「無事に帰ってこれるのであろうか」とか色んな想像をしてしまい、気持ちもそわそわ。支給された手術着に着替え、ただ待つでした。
時間になると看護師さんが来てくれ、一緒に手術室まで歩いて向かいました。機器類やらの搬入や麻酔科医の入りを待っての入室。手術室は広く、TVで見るような感じでした。本人確認をして、ベッドに横になり、上着を脱いで上半身をタオルで覆い、マスクを被せて麻酔科医が何かしゃべり、麻酔薬を投与した感覚までの記憶はあったけど、その後は「ズドン」とした感じで深い眠りについたと思います。
手術を終えて、ICUへ
「終わりましたよ」と肩口を叩かれながらの担当医の言葉でパチッと目覚めました。この時の記憶はぼんやりですが、そんな感じだったかと。
手術開始予定時間は15時すぎ。手術室からストレッチャーで運ばれたICUで見たであろう時刻は21時すぎでした。
ICUで過ごした数時間は入院来、最もつらい時間帯でした。手術後の痛み(頭痛や首痛)や異様な喉の渇き、熱っぽさが相まって寝られず呻くのみ・・・。1時間おきにナースコールして看護師さんを呼び、口をゆすがしてもらって耐え忍びました。
翌9/26の朝に手術着から持参したパジャマに着替えさせてもらってCT撮影に臨みました。ベッドそのままで移動、振動から来る痛みは明確に覚えています。。。検査台へは看護師さんたちの「いっせ~の~、せっ!」の掛け声で移し替えられ撮影。ICUに戻り、その後無事、一般病棟へ帰る運びとなりましした。
きちんとお礼が出来ずに大変申し訳なく思っていますが、ICUで対応頂いた看護師さんの献身的な看病に救われました。ありがとうございました!
ICUから一般病棟へ移動
一般病棟に到着、すぐに昼食がでたのですが勿論食べる事はできず、以降28日の朝まで何も食べる事が出来ませんでした。26-27日と39度近い高熱が続き、諸々の痛みに耐えていました。
そのような入院来のつらい状況の中、印象に残っているのは、ホスピタリティの事。自身が弱っている時にこそ看護実態(一方的な穿った見方ですが)が垣間見えたと思いました。一般病棟は1人当たりの担当患者が多いであろうという事もあり、お願いした事へのレスポンス時間が長く、複数お願いした事に全て応えて頂いてない等あり、とても辛かったです・・・。
繁忙である環境は理解しているつもりなので、せめて『このくらい待ってて』とかのコミュニケーションを取ってほしいと思いました。待っててと言われて、待つこと数十分(体感)何もなし。もう少し待ってナースコールを再びして、やっと来るか来ないか、これがとても長く感じました。
高熱もあってお願いしていた事が長く感じることもあったので、安心の為の一声はあった方がよいと思いました。
徐々に体調は戻り、手術結果を聞く
手術後4日目の9/28からは熱が下がり始め、徐々に食欲も戻りつつ、点滴ルートや諸々の管も外れ、久しぶりのシャワーも出来てきて、日常生活への歩みを進める事が出来ました。また、リハビリ開始と体調は苦しいながらも退院に向けたスケジュールは再開されました。
さらに、担当医から手術結果の概要を同日に撮影したMRI画像の評価を含めて伺いました。
①手術自体は成功。但し全摘出とはならず、顔面神経の一部癒着部分を除く約90%は摘出したとのこと。
残した理由は顔面モニタリングでアラームが鳴る中での摘出であったこと、腫瘍自体が顔面神経に幅広く癒着していたこともあり、これ以上の摘出は顔面神経機能を喪失させる懸念があった為である。
②聴神経に関わる腫瘍は機能を残して摘出できた。後はステロイド剤を使用して機能回復を待つ。
③摘出した腫瘍の病理診断結果は出ていないので判明次第、連絡する。
④残腫瘍については、経過観察しながら、放射線治療の選択肢があると考えている。治療するのであれば年明けになるであろう。
腫瘍を全摘出できなかった事はしょうがないにせよ、手術前の心配事を払拭しきれなかった事からショックでした・・・。
また、手術前には小康状態を保っていた耳鳴りが再び活発になった状況は、果たして回復するのであろうかといった不安が芽生えました。
しかしながら、それ以上に頭痛や首痛が辛かったので、今はちょっと先の事も明確に考えられない状態でした。