反抗期

長い長い反抗期を抜けた。
明確な期間はわからないけれど、小学校高学年から高校卒業まで反抗していた気がする。
母とは数え切れないほど喧嘩をした。
深夜にお互い泣きながら口論したこともあった。
そんな私の反抗期はあることをきっかけに終わりを迎えた。
その経緯について記録しておきたい。

昔から意思の強いタイプだったと思う。
自己主張も激しかったので、周りと衝突することも多かった。
小学生の頃はよくヤンチャな男子と殴り合いの喧嘩をしたり、女子グループと対立したりした。
母はその度に学校に呼び出されたりしていた、というのを後から聞いた。

中学校に上がり、バスケ部に入った。
かなりゆるいバスケ部で、私の学年は全員初心者だったので、私は学年の中で一番バスケができたし、やる気もあった。
そのため、同級生の女王気質な女の子にハブられるハメになった。
中学2年の頃、みんなが同じ部活の子達と遊ぶ中、私はちょうどその女王にハブられていた。
私だけが誘われなかった集まりの写真をTwitterで見て、なぜ私は誘われないのか延々と考え自分のせいだと解釈した。
この辺りから自己肯定感が急降下していった。

高校生になり、軽音楽部に入った。
私はいつのまにか部長になっていて、100人を超える部員の前に立っていた。
目まぐるしく日々が過ぎ、軽音楽部を引退し、高校3年生になった。
クラスに恵まれ無かった私は、女子特有のグループ作りに失敗し、ひとりになってしまった。
文化祭や体育祭では、皆のやりたくない仕事を一手に引き受けることになり、精神を摩耗していった。
そして私はネガティブを具現化したような人間になった。今考えると軽い鬱だったのかもしれない。
夜になるとネガティブは加速する。
それを内心止めて欲しくて母に話すも、暗い話ばかりする私に母はイライラしていた。
そんな負のループは高校を卒業するまで続いた。

負のループの出口は突如現れた。
SNSでHSPについての記述を偶然目にしたのだ。
HSP(Highly Sensitive Person)とは簡単に言えば繊細な気質を持つ人のことだ。
ネットで診断をしてみると私はHSP度【強】と出た。同じサイトで母にも診断してもらうと、結果はHSP度【弱】だった。
話が合わないわけだ。
つまり私と母は全く異なる感覚で生きているので、分かり合えるはずが無いのだ。
私の気質について、母に丁寧に説明した。
ネガティブになりやすいこと、些細なことが気になること、共感力が強いこと、HSPの特徴と私の性質について語った。
母は驚きつつも、受け入れるように心がけると言ってくれた。
私と母は互いを理解できずとも違いを受け入れるようになり、私の反抗期はアッサリと終わりを告げた。

親子といえども、血のつながった他人という言葉をどこかで聞いた。その通りだと思う。
血のつながりはあれど違う人間で、他人を完全に理解する、なんて不可能なのだ。
しかし、それは決してネガティブなことではない。
違うことを前提に互いを受け入れようと歩み寄ることで、私たちは心の距離を縮めることができるのだ。
と、気づいた時、私は少し大人になった気がした。

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