初速のうちに力つけとけ

どうも、「初速が最大値」でおなじみのちはるです。

その言葉に違わず、超絶久しぶりの記事になったな。
毎日コツコツ書ける人達をホントに尊敬する。

私は、興味が湧いたらとりあえず手を出してはすぐに飽きる「三日坊主上等」タイプなのですが、「たくさん挑戦するということはバイタリティがあるということ」と、自分の長所の一つに挙げているくらいなので、それに関しては悪いとは全く思っていません。

ただ、最近いろいろ思うところがあって、ちょっと違う観点から「初速が最大値」について考えてみました。

先に言っておきますが、私は今の人生にそれなりに満足しています。

パンサー向井さん経由で知った、甲本ヒロトさんの名言「夢は一つ叶えばいい」という言葉通り、私にとって一番大切な「自由でいられる環境」がキープされている生き方をしているので、それだけで十分だと思います。
細かいこと言い出せば他にも願望はあるし、もう少し収入面を充実させたいという目標もありますが(経済力は自由に生きる為の重要な要因だと思っているので)、一番コアの部分が叶っているから、「こんなはずじゃなかった!」みたいなことは思っていないです。

今回は、ちょっとしたアナザーストーリー的な話ということで。

・・・

私は家族経営の会社の両親の元に第一子として生まれました。
小さな会社ながら、その当時は時代の波もあってそこそこ売上はあったようで、しかも第一子ということで、教育には潤沢にお金をかけてもらった方だと思います。

両親とも高学歴で、教育熱心なこともあり、私は地元では名門の中高一貫女子校に入学しました。
難関試験合格の為に、塾に通わせてもらったり、勉強を見てもらったり。
もちろん学力面だけでなく、バレエ、ピアノ、水泳、習字など、私の人生構築の基礎となるような経験もたくさん積ませてもらいました。

こうやって書いてみて、私は本当に恵まれていたと思うのですが、当時の私は、その環境が当然「ある」ものだったため、自分が恵まれていることにまったく気づいていませんでした。
何一つ自分の力で得たものではなかったのに。

小学生の頃までは「クラスで1、2番」くらいの学力だった私が、他校のクラス1、2番が集まった名門私立女子校の中では全く歯が立たず、見事に落ちぶれてしまいました。
それでも、学力重視の学校と両親の方針のおかげで、何とか偏差値それなりの大学にギリ滑り込むことができました。

ここまでの間で「私の力だ!」と言っていいものって皆無なんですよね。
強いて言うなら、多少地頭が良かった(自称)くらいか。でもそれも遺伝要素だし、学べる環境がなければ育たなかった部分だと思います。

これだけの環境に置かれながら、今の私のキャリアや収入面を考えると、私は生まれた時の運の余力で生きていると言っても過言ではないな。
野球で例えたら、初速だけ早くて伸びのないストレート。途中から自分で速度を保つ為の努力を怠っていたと身にしみています。

例えば、実家が大地主だとか、私がろくに働きもせず散財しても余るような財産があるのだったら、それでも生きていけるのかもしれない。
でも、いくらお金をかけてもらったからといえ(むしろお金をかけてもらったから)、そこまでの財力はないので、ちゃんと自分で自分の人生を生きていかないといけないんだけど。そしてだからこそ自由なんだけど。

この環境なら、もっといろいろとできたはず。
自分で考えて、コツコツと努力をして学力や経験値を積み重ねて、例えば自らが志望すれば医学部だって行かせてもらえただろうし(子供の頃医者になりたかった)、芸大だって選べたはず(中高時代は音楽・美術が大好きだった)。
「学校の勉強をコツコツやるのが苦手」「受験に合格できるまでデッサンを積み重ねていくのはしんどい」「どうせ落ちこぼれだし、東京に行ければ大学はどこでもいい」という怠惰な生き方がずっと尾を引き、何より「コツコツ努力する為の基礎訓練」をしなかった結果、このような雑な仕上がりの私がいるんだなぁと、今になってつくづく思います。

今の人生にはそれなりに満足している。
ただ、この初速なら、もっと選択肢を広げられるような生き方ができたはず。
与えられた初期設定に見合うような人生を今送っているかと言われたら、とてもじゃないけど胸張れないわ。親に申し訳ない。

冒頭で「三日坊主上等」と言ったけれど、「努力する為の基礎訓練」ができていないせいで、チャレンジしたことの中で「もうちょっと粘ってみたら身に付いた、もう一段階上にいけたこと」を、いくつも逃しているかもしれないと思うと、実にもったいないです。

「努力できる」って、才能でもあるけど、訓練して身につけることでもあると思う。
子供の頃に「こんなことやって何の役に立つの?」と思うことも、努力する筋肉を身につける訓練だと思うと腹に落ちます。変に理屈っぽく理由なんて求めず、愚直に訓練を積んでおけばよかった。
訓練できる環境を与えられていたこと自体が、ものすごく恵まれていることだったんだ。

幼稚園児の頃なので拒否権がなく強制的にコツコツ続けさせられたバレエとピアノの習い事は、バレリーナやピアニストになれるレベルには到底なれなかったけど(ピアノなんてバイエル終わってないし)、大学でミュージカルを演じたくなった時に、その時に身につけたベースがちゃんと生かされてた。

能動的な努力を放棄していた中高時代の勉強だけど、授業だけは嫌々ながら受動的に出続けていたおかげで、ちょっとしたレポートを書いたり、数学的要素を使ったプログラムやデザインを考える為のベースはできていたので、仕事の時に役に立っている。

あれだけ苦手と自称している英語だって、外国人にカタコトで道案内やATMの使い方を説明できる程度には身に付いていた。英語に力を入れていた学校(当時で週9時間とか)なので、浴びるように授業を受けさせられていたから。

愚直な努力はちゃんと実を結ぶんだなと。

「もし30年前の自分にメッセージを送るなら?」というお題があったら、

「お前が今置かれている環境は当たり前のものではないし、何一つお前の実力じゃないぞ。恵まれてるうちに自分の頭で考えて、努力できる為の基礎訓練をしておけ。初速のうちに力つけとけ」

と伝えたいです。

もう結構いい年になっちゃった私ですが、最近「コツコツ努力する為の訓練」を始めています。
今更とも思うけど、これからだって人生は続いていくのだから、筋トレだと思って。一発逆転なんて狙わずに、少しずつ、コツコツと。

三日坊主を恐れないバイタリティに、これ!と決めたことは努力できる力が加われば、きっと最強になれるはず!

この「努力筋トレ」自体が三日坊主にやらないことが、目下の目標です。

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