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不安症

精神科に通っている。緊張すると、山に行ったみたいに耳に膜がかかったみたいになってしまう。夜寝る前、不安で不安でたまらなくなる。自分がクズで役立たずで誰からも嫌われるし、居なくなった方がいい、いなくなりたい、と泣いたりする。
そんなこんなで寝る前に2種類のお薬を1錠ずつ服薬している。ジアゼパムとレスリンだ。飲むようになって、後者はほぼほぼ無くなった。頭がぼんやりして不安感が和らぐらしい。

不安症、というのも薬を出す医者に聞いたら出してくれた言葉だった。医者はポジティブ思考の明るい人だ。自分を許しますと唱えまくると効くという。

私の家族(両親・兄弟)は全員なんか変、というかADHDやらASDの気質がある様子なのだが、両親は診断されていない。弟は小学生の子の頃に広汎性発達障害のグレーゾーンという診断が出て、大学病院で長く見てもらっていた。兄は腎臓に問題があり、薬を抜くと死ぬ。兄はアトピーなのと小中学校で苛められていたせいで、精神的に正直なかなか悪かった。眠れないらしい。兄は家の中でよくブチ切れていた。にこにこしていたと思ったら、急に大声をあげて襖をぶち破った。ガラスも割れた。世界地図のポスターを貼ってごまかしていた。

家の外の大人の誰にも相談できなかった。
「家族との関係性を保ったまま(私が嫌われたりせずに)、家庭内の嫌なこと(私の不満が無視されたり、兄がずっと嫌なことを家庭内で言っていること)を取り除いてほしい」ということを小学生の私は、小学校のお悩み相談室で打ち明けることができなかった。言語化できなかった。曖昧ににごしてにこにこと「家がちょっと…」などと言おうものなら、みんな辛いのよと返されそうだった。そこで助けてもらえなければもう終わりだと思って、だから言えなかった。クラスの友達の仲が悪くなった程度で利用しているクラスメイトを、あの頃の私はたぶん軽く軽蔑していた。

家では兄が〇〇を拷問してやる、やりかたとしては…といった話を夕飯時にしていて、私が兄にブチ切れ、親は私を止めた。可哀想な人間が一番強かったのか、兄が包丁を持ち出したりしたから強かったのか、よく分からない。中学生の頃の私は、もうそろそろこれはニュースになる、つまり兄妹間の傷害事件が起こるのでは、と思っていた時期もあった。

元々私自身が不安感の強い子供だった。ASDっぽさもあった。一度発達障害かと大学生の頃WAIS3か何かを受けた。これ以上は親御さんを呼ぶか母子手帳を持ってきてもらわないと診断できないです、と言われ、母に電話したら私が障害児を産んだと言いたいのかという気迫で怒られた。

ただ私は過去の話を話すと家族と食い違うので、私がおかしいのかもしれない。

アドラー心理学を読んだ。
トラウマ関係の入門書のようなものを読んだ。
アダルト・チルドレンについて学びつつある。

私は病名をつけてもらえれば(ASDとか)、ずっと苦しかったけれど認められなかったから、甘えで弱さだと思っていたものが「そりゃつらかったですよね」になれば、楽になるのではないかと期待している面がある。

普通の人間のくせに、ただのクズで努力不足の癖に、高い金を払って時間を使い病名が欲しいのかよ、と自分を責める自分がいる。(別に金を払って確かめるのは良いだろうと私は反論する。)

職場で業務のミスなのに自分を責めすぎたり、緊張しすぎてしまうとつらい。人の顔色を窺いすぎるところも不便につながる。
あまりダメージを受けすぎないようになれば、環境を選べば、私でも別にやっていけるのではと思うのだが。
贅沢だと私が責める。別にいいんじゃないかと自分が反論する。多人数が頭の中にいる。

母にあまり褒められなかった。けなされることやできなさにびっくりすることがあったから、誉め言葉を受け取れなくなった。
父は好きな人と結婚できなかったら母と結婚していた。趣味の世界に浸りたそうで、お金を稼ぐために会社にいるストレスを発散するためにある程度放っておいてあげなさいと母は言った。
生まれてきて喜ばれただろうか?ということを考えるとメンタルがぐちゃぐちゃになってしまう。
もっと違う子が生まれていればよかったのに、そうすれば私はこの辛い思いをしなくて済んだのに、と思ったりするあたり、どうやら私は辛いらしい。

今のクリニックの先生も良い人なのだが、正直病気というにはそこまでないのかもしれないけれど、生きづらい自分が病名と対処法でなんとかなるのならば、壊れている配線があるのならば直したい。
それ系の本とか読んで、がんばっているじゃん、自分、と褒める自分を置いてみる。
うまく普通の人をやれない自分と言うのがとても悲しくて苛立って、責めてしまう。提出物が出せなかった。忘れ物が多かった。小学生の頃、母は次の日の勉強道具を一緒に用意してくれなかった。いつも忘れ物をしていて、それをごまかそうとしていた。教科書が重かった。教科ごとにセットをつくるなり、同じ色のシールを貼らないと、すぐに頭がごちゃごちゃになって、うまく準備できなかった。
できそこないだけど見逃してもらっているような気持ちで生きてきた。
とてもさみしい。

もうちょっとうまく自分が生きていていいのだと安心ながら生きていきたい。
新卒で良い会社に入って、職歴を順調に積み、いい先輩になり、給与があがるとか、そういうことはもう無理ではあるけれど。
だからといって別に親も私に良い会社に勤め、子供を産み育てて、と言ってくるわけではないのだ。別に何の期待もされていない。
自分の幸せだけ構築しさえすればいいのだ。

誕生日が近い。会社を抜けたので所属していなさのさみしさもある。
好きな人が恋人で嬉しい。友達とお茶とかできて嬉しい。
伯父にお金を返したい。
そろそろ離職票を受け取りたい。

私は私のことそんなに嫌いではないよ。本当だよ。
めそめそ泣く私の隣にいてあげる自分を想像する。
生理前にポテチとかチョコとか食べたくなって食べてニキビを作ったりしている相変わらずの自分も、人に祝ってもらうのに肌荒れがひどくて恥ずかしい自分も、消えてしまいたいじぶんのことも味方でいたい。



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