【怪談手帖】擂鉢【禍話】
「座敷牢だって言われてたけど、全然違ったと思うんだよね」
Aさんは半ば独り言のようになりながら話をしていた。
「そもそも座敷じゃないしさ。
だいたい、だいぶ昔に廃れたんでしょ、座敷牢とかそういうのって。そうだよね?」
そう言われても僕もそういうものに詳しいわけではない。法律で禁止されて以降も、私的な監禁や虐待などまで含めれば例外がないとは言えない。
そう彼女に答えるしかなかった。
「んー、いや、でもやっぱり違ったよあれは。形からしておかしいし。あれはそういうのじゃなかったよ。
友達はみんなそういう風に言ってたけど、今から考えると、そう思い込もうとしてたのかなあ」
現在四十代の彼女が幼少期を過ごした、内陸のとある町。
その一画に代々医者をしている名家の所有になる古い家があった。
旧弊的な価値観の罷り通っていた何代か前。
所謂、二号さんを迎える別宅として建てたものだったようだが、今はほとんど使う者もおらず、半分空き家のようになっていた。
その裏庭にいつからか、男が幽閉されていたのだという。
奇妙な事にそれが年単位の長い年月だったのか、或いはひと月程の短い期間の事であったのか。
どうにもAさん達の記憶が曖昧だというが、よくよく話を聞いてみると、期間以外にも色々おかしかった。
幽閉されていたというが、それこそ一般に言う座敷牢のように、離れの一画や土蔵などを仕切って使うのではなく、大きな裏庭に更地を作り、直接穴のような、小さな窪地のようなものが掘られていたというのだ。
地面を逆富士型に掘り下げ、底に床や板などを敷くでもなく、ぼろぼろの土だらけの地面は剥き出しのままそこに男を入れ、上から大きな金網を渡して蓋のようにしていた。
もうこれだけで突っ込みどころの宝庫である。
普通に這い上がって出てしまうのではないかという点以外にも、生活や排水や衛生面はどう対処していたのか。
そもそも、なぜわざわざ野晒しの地面を掘って軟禁に使うのかという、根本的な疑問。列挙していくときりがない。
当時のAさんもそれは同じだったようで、普通に考えれば子供でも訝しく思うだろう。噂が立った頃から色々腑には落ちなかったらしい。
「だから、噂を確かめに行ったんだよね。仲の良かった友達二人と、その家に忍び込んで」
実在を疑っていたAさんだったが、その奇妙な穴は本当にあった。
話の通り金網のような物を上から被せてあった。
しかしその金網はひどく貧弱なもので、所々解れて破れてすらいる。
これでは簡単に押し上げる事が出来るではないか。
構造上鍵や錠をつけるわけにはいかないだろうし、みるからにザルだ。
一体なんなのか。もしかすると人の幽閉などとは全く別の目的の設備などではないか。いやきっとそうだ、馬鹿馬鹿しい。
そう思って金網の端から手を掛けて覗き込むと。
「いたんだよね。それが」
男がいた。
ぞろりとした長い着物を着て、窪みの真ん中に胡座をかいて座っていた。
しかもその姿は雨晒しの剥き出しの地面に直に座っているにも関わらず、やけに綺麗で塵一つついていないように見えた。
男は、はっと声を上げたAさん達に反応して、ゆっくりと、こちらを見上げた。
その顔は髪の毛も髭も眉毛もない、ひどくつるりとして、体付きに対して妙にアンバランスな、まるで赤ん坊のような顔だったという。
髪や髭が伸び放題の野武士のような狂人を想像していたAさん達は意表を突かれた。
唖然とする彼らの前で、穴の底にいる男は何を言うでもなく、ただぽっかりと開いた目でこちらを見上げている。
喜怒哀楽のどれも読み取れない、ただこちらを見ているという事しか表情のない顔。
それはAさん曰く、今にもぱっくりと口を開きそうに見えたという。
しかしその印象に反して口は閉じられたままだった。そうやって注視しているうち、男の足元、剥き出しの地面に何か白いものや毛のようなものが散らばっているのが目に入ってきた。
(これ…、蟻地獄だ…!)
その時Aさんは直感的にそう思ってしまった。
学校の帰り道、軒下で見かけた事のある、落ちてくる蟻を待ち構えている砂の擂鉢。
(こいつ、閉じ込められてるんじゃなくて…)
「いやわかんないよ、思い付いただけだからわかんないけど、とにかく怖くなっちゃって…、みんなで逃げたんだよそのまんま」
帰ってから後に、最近町で犬や猫がいなくなる事が多いという話を耳にしたAさんは、ああやっぱりという感覚と共に、穴の底に見えた毛や白いものを思わず想起したという。
話はこれで終わりではない。
一緒に穴を見に行った一人である男の子が、数日後その裏庭に再び入り込んで大怪我をしたというのである。
膝から下がとか、いや片手がとか、助かったけど頭がとか、色々情報が飛び交っていたがその友達は結局再び学校へ来る事はなく、早々と一家で町を去ってしまって詳細がわからなかった。
どうもそれから何か色々とあったようだった。
何かおかしいと思っていたが、そもそもそこに男がいるという事自体知らない大人が多かったそうである。
最終的に家を持っている一家と周辺住民の押し問答が起きた。警察を呼ぶの呼ばないのという騒ぎの果て、ややあってその医者の一家も唐突にいなくなり、家の庭の窪みも埋められてそれっきりになってしまった。
医者の一家はその押し問答の場で、「あれは当家の先祖だ」という意味不明な答えを繰り返していたそうだが、これは意味不明な答えなのだろうか。
出典
この記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』内の (元祖!禍話 第三十二夜) 余寒の怪談手帖『擂鉢』(45:27~)を再構成し、文章化したものです。
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(この記事のお話は、「禍話叢書・弐 余寒の怪談帖 二」に収録されています)
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