散歩とヴラマンクの風景画と
実家に帰り、あたりを小一時間くらい散歩してきた。
夏は、まわりにあるものすべて、色もにおいも濃い。
空の青も草の緑もパキッとした色で、目が痛いくらい。
草に覆われていつもの道幅が半分くらいになっていて、一歩踏み出すたびにむわっとした草いきれがする。
蝉の声も、質量を持っているかのように重力をまとって降り掛かってくる。シャワーのよう、なんてものじゃなく、もはや跳ね飛ばした砂利が耳もとでぶつかり合うみたいな、そんなはげしさ。
あらゆるものが、いまそこに存在している、という感じがする。
こんな風に自然を身近に感じるとき、私は画家・ヴラマンクを思い出す。
ヴラマンクは野獣派〈フォーヴ〉の画家として知られ、前衛的な画家と取り上げられることも多いが、後期には繰り返し身近な風景を題材として描いていた。
それらの風景画を見ると、まるでヴラマンク自身がその場に立ち、眺めている景色をそのまま目にしているかのような気分になる。画面には自然の持つ荒々しさと静謐さが共存し、季節の移り変わりに対する純粋な感動がそこにある。
ところで、画家、とは言ったものの、ヴラマンクは画業だけを行なっていたわけではない。文筆家でもあり、ヴァイオリン弾きでもあり、ときには自転車レースにだって出た。
そのひとつひとつが稼ぎを得るための仕事であり、表現する方法であった。仕事と芸術は別々のものではなく、そのどちらもが彼の生活のなかで自然に存在していた。
そんなふうに、自然のなかで、人間らしい営みを大事にしていたヴラマンク。そういう生き方を含めてヴラマンクが好きだな、と思う。
散歩をしながらとりとめもなくそんなことを考えていた日。
人生とは、指先で触れてわかるものである。
人生とは、目の前に現れ、直接感覚に働きかけるものである。
ヴラマンク「私の遺言」『ARTS』誌
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