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365日、五月病な感じで生きてます

五月病に無縁な生活を送っている。……というと、健やかで良いことですねと言われそうだけれど、なんのことはない。万年五月病みたいなものだから、無縁だというだけのことだ。

「いつも明るくて楽しそうでいいね」
「バイタリティがあって羨ましい」
「常にテンション高いよね」

これが知人友人によく言われる言葉たちだ。別に間違ってはいない。知人友人に会っているときのわたしはほぼハイテンションだし、そもそもがマシンガントーカーなので、まあ基本的に騒がしいし。

別にことさら無理をしているわけではない。……いや、沈んでいるときや機嫌の悪いときはそれを外に出さないようにくらいの気持ちでいるようにはしているけれど、それはまあ、ほかの人も割とそういうもんじゃないの?と思う。

なので、実際のところは「いつも明るいわけでも楽しい気分でいるわけでもない」し、「バイタリティなんてむしろない貧弱な人間」だし、「常にテンションが高いどころか、低空飛行できてれば良いほう」だったりする。ま、そんなもんでしょ、人間なんて。

そんなもんでしょ、で収まっていればいいのだけれど、ここ数年のわたしは冒頭に述べたように万年五月病な度合いが増している。加齢なのか過労なのかわからないけれど、なんかこう、ずっとガス欠な感じというか。完全に止まるわけにはいかないから、ブレーキは踏まずにじりじりと時速1キロで進むがままにしている感じというか。上がるほうにも沈むほうにもエネルギーが足りない。沈むほうにいくのはしんどいので、あえての虚無で維持。そんな感じだ。

とはいえ、割としんどくてですね。その何となくのしんどさが色濃くなってきている感じはしていて、何となくぼんやりとした危機感を持っています。これもまた、「何となく」「ぼんやりと」というあたりが、危機感があるのかないのかどっちだよって感じではあるのだけれど。

元気100%えいえいおー!と生きていくには、もう万策尽きた感じがしている。なれたところで、それはいわゆる躁みたいなものに近くて、必ずそのあとに急速な落下がくる。絶対、くる。だから本当はあまりテンションを上げずに凪いで過ごしていくほうがいいのだろうなあ。

でも、人に会うと、どうしても元気いっぱいハイテンションウーマンのスイッチが入ってしまうのだけれど。そのギャップがより疲れにつながっているのだろうか。だとしたら、わたしはどうしたらいいのだろうか。ハイテンションウーマンもわたしであることに変わりはないのに、それが疲れの原因となっていたら、ちょっともうどうしたらいいのかわからないぞ。自分の外面と内面との温度差で風邪をひきそうとか、そんなことある?

まあ、とにもかくにも、五月病だろうが万年五月病だろうが、ご飯は食べなければならないし、お金は出ていくし、だから働かなければならないことに変わりはない。何もせずに生きていけたらいいけれど、残念ながらそんなに世界はやさしくないし、甘くもない。

「つらいときは逃げろ」というけれど、それは「つらい」や「しんどい」の原因がわかっているからこそできることであって、なんかもうよくわからないけれど漠然としたつらい、しんどいからは逃げようがない。逃げる先がない。そもそも、逃げたことによる弊害は全部自分で負わなければならない。それもまた、しんどいですし。

いつまで経っても、上手く生きられない。困ったものだ。ほぼ1年前に書いた言葉で、今回も締めくくっておきましょう。「生きているだけでえらい、今日もよく生きました」。

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