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幕間:レイダン・ミミットの約束 (3) - 醜聞


 レイダンと兵士は死体処理場にある地下室に入った。廊下を歩いていると兵士はやがてとある一室に入り、部屋の燭台に火を灯した。
 狭い石造りの一室は床の一部が血で黒くなっているばかりで他に物はなく、石の台の上には布にくるまれた死体が置かれていた。死体の首付近は血によって赤くなり、胸は膨らんでいる。

「死体は回収したあと、すぐにここに持ってきたんだったな?」
「はい。七宝館から呼ばれてからすぐです」

 レイダンはブローチ型の魔道具を取り出し、女の死体に何の魔法的処置があるか探った。

 だが、いくら待ってもブローチの石は何の反応も示さない。

(……ハッ! 何もないとはな)

 レイダンはサロモンの間の抜けた主従関係の最たるものを察した。

 <白い嘴の鴉>ならびに諜報員は仕事の内容上、所属者は家と縁が切れている者が多く、またどうにも冗談の1つも言えない鉄面皮の人物も多いが、ハリッシュ家付きの諜報員でもあるサロモンは例外の1人だ。

 それはサロモン自身が、諜報員というより学匠の類と言われた方が納得できる博識で理性的な人物だからだが、バウナーという英雄の最も近しい人物であることも理由に挙げねばならない。
 しかし彼がバウナーの貧民街通いに不満を言うことはあれど手綱を握ることはなかった。レイダンら<金の黎明>に謝罪をしたことがあるのを見れば、従者というより朋友の類と見るのが自然だった。もちろん、バウナーを説得する際にはサロモンを通したこともある。だが、結果は今一つだったことは言うまでもない。

 なんにせよ、このような不祥事にろくに対策もしていないのはバウナーの近年の落ちぶれにサロモンが慣れたことが要因だろうとレイダンは検討をつけた。
 弟分のバッシュが役に立たないのは言うまでもないが、サロモンもやはりそうなのかとレイダンは落胆した。慣れはある種の悪癖だ。あるいは場合によっては、頑なな友情や信頼の類も。

「布を解いてくれ」
「はい」

 燭台を床に置き、兵士は布を解いた。
 あったのは多少拭かれてはあるが、血まみれの裸の女――オルフェの諜報だという女の死体だ。

 バウナーは首を斬ったのだろう、女の首には血止めの布と縄が巻かれていた。
 それから股の下の布にはピンク色の染みができてあり、女の股間もまた濡れそぼっていた。首の血だろう。もちろん問題はそこではない。レイダンは思わずため息をついてしまった。

 既に確認はしたようなものだが。
 人払いはしてあるものの時間はかけてもいいことはない。

「膣内を調べてくれ」

 兵士は言われたままに籠手ガントレットを脱いだあと、女の股を開いてしゃがみ、指先で膣内をまさぐった。
 やがて抜いた拍子に液体が少しこぼれ、兵士の手袋には黄ばんだ白濁液が付着していた。

 思わずもう一度ため息をついたあと、レイダンもまたしゃがんだ。しばらく精液を観察してみたが、とくに変わった点はなさそうだった。古竜の血があっても精液に変わった点はないらしい。
 精液が手袋からゆっくりとこぼれていく。何か挙げるなら粘性が強い点か。ただそれは、年に数えるほどしか女を抱かない男の吐き出したものなら理解のいくところでもある。

 竜の血が流れるなら精力が弱いのはあまり合点がいかないものだ。もっとも性欲が我慢できるところを見ると、必ずしも精力と性欲が比例して増えるわけではなさそうだ。
 生体研究者でも何でもないレイダンは、それでもこれまでにバウナーに孕ませた話がなかったことが不思議な話のようにも思えてきた。隠蔽していないという仮定だが、信心の薄さゆえなのか、それとも学匠が言っていたように古竜の血では子はできづらいのか。分かりやすいのは後者だ。一般的に異種族間で子はできにくい。

 立ち上がる。

 どうであれ……この不祥事は衝撃的だし、利用価値は高いぞと、レイダンの内心が喜悦に満ち始める。

「片づけていい。死体処理の職務を終えた後は待機してくれ」
「はい」
「手を出せ」

 レイダンは自分の諜報の兵士――シモンの手を《水射ウォーター》で洗ってやった。
 と、レイダンは首の布が気にかかった。首を切って終わらせたんだろうが。

 シモンに首の布を取ってみるように言う。だが、不思議なことに縄と布を解いてみるとまた別の薄布があった。

「この布はなんだ?」
「シーツのようです。ベッドのシーツが一部切り取られていました」
「バウナー様が?」
「それは何とも……」

 レイダンは一考した。首に白い布を巻くのは高級娼婦の証だが。

 女の目が閉じられていること含め、やがて当たりがつく。
 バウナーはさしずめ彼女の名誉――死者の名誉を重んじたということに。他国の間者なので名誉も何もないのだが、一度閨も共にしたことだし、多少なりとも情が湧いたのだろう。バウナーらしい話ではあった。

 レイダンは納得すると、バウナーが巻いたと思しき布も取らせた。
 首には深い切り口があった。レイダンは綺麗に裂けている傷口に満足した。ともかく仕事はちゃんとやりきったように見えて。

 仕事もやらないようではいよいよ落ちぶれてしまったことになる。
 もちろん首を落とすのが当然ではあるのだが、閨を共にした相手の首を落とす心痛はさすがにレイダンも分からないこともない。

(女と逃げるほど穏当な失脚もなかったんだけどな)

 シモンが死体を元通りにしている間、周辺警戒をしたが特別何もなく、2人は死体処理場を出た。

 レイダンは死体処理場を出、シモンと別れた後、人の気配を縫いながら街中に出る。
 適当にぶらつきながら考えを進めた。

(さて。誰に伝えるか? やはりドラクル公だろうか? 情報は「たまたま入手した」でいい。ニコロを逃がしてオルフェの傭兵団に逃がした話、党員がよからぬ企みを企て始めていること、バウナー様の貧民区での賭博と喧嘩、普段白竜教から侮辱的言動を受けていること……まだ話していないドラクル公が眉をしかめるような話はいくらでもある)

 レイダンにはアラニス司祭からバウナーの不祥事を報告せよという密命がある。
 まだかいつまんでささやかなことしか報告はしていないが、今回の件もまた報告しなくてもいいだろうという考えにレイダンは至った。

 報告すればバウナーの失脚は早まる。が、いよいよ自分がラドリックたちと「同じ部類」として認知されそうだとしてこの密命はレイダンは億劫だった。
 レイダンは自分が党首になった後のことを見据え、大手を振るってバウナーを否定する側にまわりたいわけではなかった。それに党首になった後に反逆罪で捕らえられるのでは意味がない。もっとも長く党首をするつもりはないのだが。

 だいたいレイダンはバウナーだけでなく自分にも侮蔑的態度を隠さないアラニス司祭が好きではない。他の聖職者はせいぜいがバウナーやバッシュ相手にだけ態度を変えているというのに。
 報告漏れだと責められても“タマなし騎士”の年に数回の情事など予想できたものではないとして言い逃れもできる。レイダンはアラニス司祭に美味い汁をすすらせたくはなかったし、彼が総督司教になる未来も決して望まない。


 レイダンは街をぶらついた後、考えがまとまったためミンスキー城に行くことにした。
 アラニス司祭ではなく、ドラクル公でもなく。執政官のヴァレリアンに報告をするためだ。

 ヴァレリアンはバウナーの件においては中立にある。
 正確に言えば、前王派だ。ネズミの真似事などレイダンはしたことがなかったため、手始めに安全な相手を選んだのだった。3人の中でもっとも話しやすかったのもある。

 ヴァレリアンには言付だけするつもりだったが、道中で出くわしてしまったためレイダンは直接話すことにした。

 ヴァレリアンは2階の柱廊で白い柱を見上げながら、誰かと話し込んでいた。

「――ヴァレリアン様」
「君か。なんだか話すのは久しい気がするな」

 話したのは10日前だ。それほど前ではない。
 ヴァレリアンの話し相手は学匠ハンゼリートだった。ケープの留め具のメダルの1つにハンマーと釘がある。建築の権威だ。レイダンはハンゼリートに目で会釈した。

「少しお話が。言伝しようと思っていたのですが」

 ここで出来る話ではないのかとヴァレリアンから訊ねられたので、報告だけだが人目は避けたい旨を伝える。

「そうか。では私の部屋に行こう」
「話はよろしいのですか? 私の方は待てますが」
「重要な話は終わったからな」

 ハンゼリートを見ると、「していたのはただの雑談さ、“英雄の女房役”殿。陛下の戦いっぷりは大陸に轟くか否かって話をしていたんだ」と彼は分厚いヒゲの上から鼻息を鳴らした。

「周辺国ではもうさほど響かないだろうが、オルフェにはまだまだ轟くだろうな」
「ああ。我が軍最強の金と黒がいきなりくるからな。セティシアは取ったも同然だ」

 ハンゼリートは野太い声音でそう言って、腕組みをし、シワは深く刻まれているものの苦み走った力強い眼差しをレイダンに向けてくる。

 クリスティアンは一月前に開戦を布告した。
 ヤヌシュがかつて予想したように相手はオルフェであり、ハンゼリートが言うようにレイダンたち<金の黎明>と<黒の黎明>の七騎士最大戦力の2党の出征が決まり、媚びを売ったのか知らないが、エルトハル男爵家の白エルク隊の助勢も通達された。

 そんなところで城下から音楽が聞こえてきた。クリャンセ広場での演奏だろう。
 音楽は白竜賛歌だった。耳を澄ますと少女と思しき柔らかく儚げな歌声も聞こえてくる。白竜が人化したとされる姿の1つに、歌手として人々を癒した清貧な少女がある。

 2人も聞こえているようで、3人はしばらく歌に耳を傾けた。

「……そういや、オルフェから逃げてきた奴の一件は知らせたのか?」

 やがてハンゼリートが控えめな声量で沈黙を破る。
 ヴァレリアンはいや、まだだよと首を振った。

 誰だろうか? レイダンは小首を傾げた。ヴァレリアンは奴についての詳細は語らないようで、レイダンには一瞥だけして「では行こう」と促してくる。

 2人はハンゼリートと別れ、ヴァレリアンの執務室に向かった。

 レイダンは「奴」についてはひとまず触れずにおき、2人で柱を眺めていた件について訊ねてみることにした。

「ヴァレリアン様。なにか改築でもするおつもりですか?」
「陛下がここの柱廊の無防備さを懸念されてね。柱に結界魔法の魔道具を設置することになった。今後の戦いを見据えていらっしゃるのだろう」

 確かに魔法を打ち込まれれば、ダイレクトに城内に被害が出る場所ではある。
 オルフェには人族が現在使用可能だと確認している魔法において、最大威力を持つとされる《災火の新星アメイジング・ノヴァ》を使う女魔導士がいるという情報はよく知られている。この者は飛翔魔法も巧みだというが、城に打ち込むのに手頃な下位魔法の《業火魔弾レイジングフレア》の威力が低いわけもない。

「妙案かと思います」
「ああ。革命児だよ」

 レイダンはヴァレリアンのいくぶん投げやりな言いように疲労を感じ取った。そう思うと、顔の方も疲弊しているように見えてくるものだった。

 実際忙しくはあるのだろう。クリスティアン政権は諸問題を放置しない政権だ。

 問題は速やかに専門家たちに討論・対処させ、昼にはあらゆる伝達手段、夜には馬を走らせ、飛翔魔法持ちの魔導士も動員した。
 役人たちが宴会や娼館通いを忘れるほどに多忙を極めた結果、鳥便、厩舎、馬屋、風魔道士は儲け、伝言屋の数は爆発的に増えた。犯罪者は身分問わず厳正に処罰され、厳しくなった取り締まりの法律と度重なる調査により悪事や不正はネズミが散るように減った。上客の減った娼館はこれまでとは違い役人たちの家に足を運ぶようになったという。

 若い王の迅速な政治手腕によりもたらされた平和は歓迎された。王がひとえに誠実に国の平和と安寧のために身を乗り出して歓迎されないわけもない。
 堕落した聖職者や官吏たちも裁かれるに至り、若き王がもたらした国の有り様は国民みなが望む神聖国家の姿そのものとも言えたが、しかしいかんせん解決する問題の数が多かった。

 父であり、前王「堅実王」の治世に比べるとずいぶん性急ではある、というのは国民のクリスティアン政権に対する評価としてあった。パトリックが1、2年かけて行う施策はクリスティアンはものの一月で断行してしまうことがあったし、パトリックは月に2,3個の案件を解決のために歩み出すのに対し、クリスティアンは10個も20個も問題を解決せんと役人たちを動かすのだった。
 王都が混乱に見舞われたのはもちろん、そのうちに王城の兵士はパトリック王の頃より増加した。残った忠臣および処罰された者たちの縁者たちによる政治的な謀反、若い君主への暗殺を懸念したためだ。

 また、不正や悪事というのは規模が大きければ大きいほど関わっている人や組織がいくつもあり、迅速な対処をしようとすれば手が足りなくなるものでもあるのは言うまでもない。

 このようにしてクリスティアン政権における役人の仕事が増えたが、それは執政官に関してもそうだ。
 ヴァレリアンだけでは手が足らず、主に他都市で王命伝達と視察の仕事をしていたもう1人のアンジェイ執政官を同様に王城内勤務にし、外交長官補佐であるシガンを代わりに代理の執政官として派遣するほどに。

 そのうち倒れなければいいがとレイダンは思いながら、ヴァレリアンの執務室に入った。

 ヴァレリアンはレイダンの心配をよそに重たそうに腰を執務机のイスに下ろした。
 王城に戻した執政官のアンジェイはまだ元気だが、ヴァレリアンは彼より一回り年上であり、体格も剣を握らない役人の体つきの域を出ず、殴り合いもできない。

「かけたまえ。――話とはなにかね?」
「はい。バウナー様についてのことなのですが――」

 レイダンは近頃のバウナーの素行の悪さ、信心の無さを交えながら、例の情事についても話した。
 バウナーの武勇と名誉とは裏腹の控えめすぎる女性遍歴のほどを知るヴァレリアンは当然ながら驚いた。

「……それは本当かね?」
「はい。私も念のため確認しましたが……事実のようです」

 レイダンは無念さと深刻さをぞんぶんに口調に込めた。
 ヴァレリアンは視線を落とし、いささか疲弊の色はあったが、魔導士が精神を研ぎ澄ます時にするような深く長い息を吐いた。

「戦いの前に嫌な報告を受けてしまったな」
「考えたくはありませんが……私はバウナー様が今後どのような動きを見せるのか、想像がつきません」
「君が日頃から献身的に筆頭騎士殿を補佐しているのは耳にしているが、そんな君でも分からないのかね?」
「はい。……謀反の可能性も含めて」

 レイダンは重々しい雰囲気をつくりながらそう口にした。
 単に「可能性」を口にするだけのはずが、緊張して声が震えそうになった。レイダンは平静を取り戻すべく静かに脈拍を整えた。

「古竜将軍の謀反か……。謀反などされたら下手をすると党首が何人も死ぬな。もしそうなったらオルフェとの戦いどころではない」

 レイダンの緊張とは裏腹に、ヴァレリアンは笑みをもこぼしながらそうこぼした。確かに考えにくい話ではあった。

 レイダンの本心もヴァレリアンと変わらない。

 国の在り方やら自分への扱いやらに異を唱えて謀反をするくらいなら、筆頭騎士の返還と脱退を選ぶだろう。バウナーとはそういう人物だった。
 ただ、貧民街に繰り出して何をしているのかの詳細まではレイダンも分からないし、バッシュですらも知らないと来る。そう言う意味では何をしでかすのか分からないというのは正しかった。そもそも、王も推薦した栄えある筆頭騎士が貧民街に日夜繰り出しているという事態がとんでもないことなのだが。

「なぜ謀反と? オルフェの傭兵団にエルフの奴隷を引き渡した線から何かよからぬことが掴めたのかね?」
「いえ。その件については何も。……謀反はあくまでも最悪の可能性の1つです」

 そうかとヴァレリアンは疲労も目についたが、安堵するようにため息を吐いた。

「私は以前は従士のバッシュとともにバウナー様とよく行動を共にしていましたが、近頃のバウナー様はおひとりでベーゼ区やトイデス区に行きます」

 ベーゼ区やトイデス区は庶民ですらも近寄りたがらない貧しい区だ。警備の兵は常に忙しいと聞く。

「共も連れずにか」
「はい。……喧嘩などの事後報告は耳に入りますが、誰と話し、何をしているのか、私にはわからないのです。本人も『別になんだっていいだろ』と話してくれませんし、諜報員をもぐらせても撒いてしまわれます。……ああ見えて純粋な方です。口の上手い輩にそそのかされてとんでもない犯罪に加担していても私はそれほど驚かないでしょう。謀反はこのようなバウナー様の意思が含まれない事例も含みます」

 なるほどな、とヴァレリアンはアゴを動かした。「諜報も撒くとは困った方だな。彼のためにやっているというのに」とヴァレリアンは腰元で手を組んだ。レイダンは同意した。

 レイダンは話を続ける。

「……<金の黎明>も変わりました。正直なところを言うと……みな、バウナー様への敬意や忠義は以前ほどにはありません。さきほどお話したように<白蛇を食らう獣>討伐遠征の際にも諍いがありました。党員の中でも信心深い者が、バウナー様にエルフの少年を他国の傭兵団へ引き渡すのをやめるよう言ったのです。この諍いはバウナー様の竜の威圧ドラゴニック・ダンにより止められたのですが、その後党員はバウナー様が筆頭騎士および<金の黎明>党首に相応しくないとし、何らかの行動を進めていると我々に示唆しました」
「何らかの行動?」
「おそらくですが。バウナー様への周囲の圧力を強めるような動きではないかと」
「その党員への処罰はないのか?」
「何も。相手にしていないようです」

 ヴァレリアンは唇を開けかけたが、結局レイダンの聞き取れる言葉の類は出てこない。

 さらにレイダンは白竜教からの迫害についても触れる。

 バウナーへの直接的な圧力には変化はさほどないが<金の黎明>そのものに対しては変化があり、<白蛇を食らう蛇>をはじめとする賊相手の遠征では市井に凱旋告知がされなくなったこと、貴族の支援者が18人から現状3人のみになっていること、信徒の巡業に際しての護衛の依頼がまるでなくなってしまったことなども付け加えた。

 ヴァレリアンは難しい顔で聞いていたが、だんまりだった。ヴァレリアンが<金の黎明>のこうした内情を知らないはずはない。

 しばらくして、

「相応しくないと言ったが。君は彼についてどう思っているのかね? 君もまた相応しくないと? バウナー殿が筆頭騎士であることに」

 と、ヴァレリアンは質問した。
 前王時代に「メイデンの三翼」と称されていたヴァレリアンと言えども、白竜教に物申すのは難しいのだろうとレイダンは察してみた。

 レイダンはヴァレリアンの質問に対して慎重に言葉を選ぼうとした。
 言いたくない事実、認めたくない事実、そしていかにも胸の奥底に秘めた想いを話すように。

「……私はバウナー様のことは尊敬しています。私が剣士として成長し、研鑽を重ねられるのもバウナー様が私の前に立ってくれていたこそでした。ですが……筆頭騎士になり、依然として敵をなぎ倒すのを見ているうちに……子供のような言い分なのですが、古竜の血は“卑怯”だとそう思うようになりました」
「卑怯か」

 レイダンは心が震える心地がした。レイダンはこの本心を誰かに茶化さずには語った覚えはない。

「古竜将軍相手には我が身1つでは勝てませんから。何をしても。どうあがいても」

 レイダンはやるせなくそう語り、そして唇を引き締めた。

「……聖職者たちから侮蔑的な日々を送るにあたり、なぜもう少し品のある言動を、アマリアが誇る最強の騎士らしい気高い態度を示してくれないのかと思うようになりました。何度言葉を飲み込んだのか分かりません。……バウナー様が見るべきなのは、応えるべきなのは、未来をドブに捨てて卑しい悪事に手を染める貧民区の下賤な者たちではなく、国の未来を見据えて動き、日夜働いている信徒たちです。そのことをバウナー様は理解していないのです。バウナー様を慕い、大陸を揺るがす武勇に憧れた者は星の数ほどいたというのに」
「その通りだな」

 ……と、レイダンは自分の頬からに伝うものがあることに気付く。
 頬に触れた。指先が濡れていた。レイダンは驚き、困惑した。なんら演技ではなかった。

(なぜ泣いた? 演技だったはずだぞ?)

 思わず動揺していると、自分の机を立ち上がったヴァレリアンがやがてレイダンの肩にやさしく手を置いた。

「君の想いはよく分かった。……苦労をかけるな。君たち<金の黎明>は国で称賛すべき騎士たちだというのに」

 レイダンは自虐的な気分になった。演技とはいえ、すべてを嘘で固めるつもりはなかったが。
 どうやら近頃はすっかり見ることのなくなった想いが顔を出してしまったらしい。

 涙を軽くぬぐいながらレイダンは「すみません。みっともないところを」と改めて謝罪した。ヴァレリアンはレイダンの対面のソファに座った。

「君たちの不和はセティシアでの戦いで支障は出そうなのかね? であれば別の七騎士の出征も検討するが」

 ヴァレリアンは言葉とは裏腹にさほど差し迫ったものはない。ここにはレイダンへの同情を引きずっているわけではなく、バウナーという英傑への絶大な信頼によるものだとはレイダンも理解できた。
 不和であろうが、バウナーの体調が万全であり、レイダンがいて、バウナーをサポートできる数名の党員さえいれば<金の黎明>は完成されていると言えるからだ。

 もっとも七爪の隊長を2人も切り伏せ、魔人との交戦経験こそないが、討伐難易度が魔人級とされるハガルシンカーを討伐した者だ。
 その辺の攻略者や傭兵の魔道士を数名連れているだけでもじゅうぶんな強さは発揮できるだろう。

 そのことを身をもって痛感しているレイダンは、戦いには問題ありませんと答えた。ヴァレリアンは頷いた。

「ふむ。……1つ話をしよう。言葉というものは呪いのようなものでな。品のある言葉を使っていれば品のある者に育ち、品のない言葉ばかりを使っていれば下賤な者になる。誰かの無事を祈り続ければ慈悲深い者に育ち、それからこれは本にあった言葉だが、誰かに勝ちたい時にはその人物に勝つと言い続ければ勝機が見えてくるそうだ」

 ヴァレリアンの話に同意しつつ、「ウレーノスですか」と相槌をうった。
 本も出ているウレーノスは、剣を取る者にとってはバルフサでもっとも知られている剣士の1人だ。

「そんな名だったかな。……まあ、人を絶望の淵に追いやり、憎悪を抱かせるのもほんの短い言葉だったりするものだ。あまり思いつめないようにしなさい。バウナー殿が思いつめているのかは知らないが、なにも君が肩代わりして心労を抱える必要はない。私も長い人生のなかで、挫折と嫉妬で狂った者を何人も見てきた。君がそうなる姿を見たくはない」

 バウナーが思いつめているのかはレイダンも分からなかった。おそらくはさほど悩んでいないとは思うが。
 ヴァレリアンは穏やかな声音になり、他になにか報告はあるのか訊ねた。レイダンはひとまず話すべきことは話し終えたので、ありませんと答えた。

「筆頭騎士殿のことはもう少し本腰を入れることにするよ。君のような人物を我が国の騎士として誇れないのなら、神聖国家の名折れだ。……戦いの日は近い。酒でも飲んでゆっくり休んでおくといい」
「はい」

 レイダンは立ち上がった。

 アラニスに話すよりは遥かに有意義な密告ではあっただろう。が、こういった形で同情を買いたかったわけではない。
 なぜ涙を流したのかと、レイダンは己の軟弱さを悔やんだ。

 ただ。ヴァレリアンはいずれクリスティアンにこのことを報告するだろう。そうなった暁には自分の立ち位置も保証されたと言ってもいい。レイダンは自分の望むように話が進んでいると信じた。

 執務室を後にしようとすると、ハンゼリートが言っていた「奴」のことが脳裏によぎった。

「そういえばハンゼリート様が仰っていた“奴”とは?」

 ヴァレリアンは眉間にシワを寄せたが、「こちらから報告するまでは内密にしてほしいのだが」と、素直に話すようだった。気にはなっていたのでレイダンは頷く。

「金と爵位を餌に雇っていたオルフェの商人だよ。ゼロがまとめていたホムンクルス兵の盗賊団と一緒にオルフェで暗躍していた男だ。オルフェでも貴族になったそうだがね」

 レイダンはゼロの相変わらずの暗躍っぷりに感心する。自国の諜報が他国の諜報と比べて優れているとは聞き知っているが、知らぬ間に敵の気勢を削いでくれるのはただただ助かるものだった。
 しかし、逃げてきたというからにはあまりいい運びではなかったようだ。

「逃げてきたということは……」
「ああ。任務は失敗した。正確には任務には成功したが、邪魔が入ったそうでね。王城に出入りができるようになっていた彼は単にゼロ――つまり盗賊団の頭目だな――との繋がりが露呈した末、亡命を決心したそうだ」

 ゼロが盗賊団とはさぞ厄介な一味になっていたことだろう。
 ゼロは隠密活動以外でも投擲術に優れ、剣も弓をはじめフレイルや投網の類まで扱えると聞く。くわえて魔法で姿も消せるときたものだ。

「任務とは何です?」
「<七星の大剣>の隊長の暗殺だよ。ゼロたちはアトラク毒による毒殺を試みたのだ。ただ、毒は仕込めたらしいが、治療されたらしい」

 <七星の大剣>は七騎士やシャナクの七爪と類するオルフェの精鋭部隊の1つだ。

「毒を受けたあとすぐにですか?」
「いや、そうではないと聞いている」
「それは……」

 レイダンはにわかには信じられなかった。ゼロが隊長の暗殺を命じられていたことにも驚いたが……。
 アトラク毒はゴルグの森に棲む蜘蛛の猛毒だ。すぐに処置しなければどのような魔法でも治療できなくなり、数日の命になる。

「銀竜様の外郭に生える夜露草という植物が霊薬に匹敵する解毒作用を持つそうだ。これを用いたのだろうという報告があがっている」
「霊薬に……。銀竜様の元で育った植物なら納得はできますが……」

 白竜の力でも治療はできることだろう。白竜はあらゆる毒の治療はもちろん、部位再生や蘇生もできるとされる。

「夜露草は希少種でもあるそうだが、彼らは幸運にも外郭で探しだしたらしい。ゼロは運がなかったと嘆いていたよ」

 それは運がないと同意しつつ、レイダンはゼロの暗殺が不運でなければ成功していたことに気付くと震撼した。
 ゼロは隊長格でさえ仕留められるのか、と。ゼロはレベル自体は50に満たない男だと考えられている。

 計画に協力したオルフェの貴族の名を聞くと、改名する予定だがオルフェでの名はサージ・アルハイムであるとヴァレリアンから告げられる。
 他国の貴族で爵位が男爵程度の一代貴族なら当然だが、レイダンは知らない名だった。

「いずれ詳細は話させよう。……さて。私も仕事がある。この辺でいいかね?」

 レイダンは謝意を述べて、執務室を去った。

 ヴァレリアンの薦めの通り、レイダンは酒を飲んでゆっくりしようと思った。
 ……が、落ち着かず、酒を飲み切らないうちに店を出てしまい、自室に引きこもってしまった。

 レイダンにはゼロを止める手段、《消散バニッシュ》を破る手段は持たない。バウナーを暗殺できるとは微塵も思っていないし、するつもりもないが、もしゼロと敵対した場合は死を覚悟しなければならない。
 そうしてレイダンが一晩かけて1つ決意したのは、常に効果の高い解毒薬を持ち歩くことだ。


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