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幕間:レイダン・ミミットの約束 (1) - 竜と若虎


 およそ常人の目で追えない瞬撃が狼人ワーウルフの喉を掻っ切った。しぶく血潮。
 周囲には彼が頼っていた仲間の魔導士はいない。狼人の残りの生の短いカウントダウンが始まった。

 斬撃の一瞬に少しばかり体を引いてみせ、切断を避けたのは狼人もなかなかやるところではあったが、結局のところ剣を振り抜いた男――<金の黎明>党首バウナー・メリデ・ハリッシュは半分も実力を出していないだろう。

「玉なし野郎が……」

 狼人は呼吸の漏れる首を左手で抑えながらそう毒づき、最期の一撃とばかりに魔力装で伸びた爪を持ち上げた。

 ――が、バウナーは追い討ちにすぐさま振り上げた狼人の腕を斬り落とした。
 まあ、こうなる。獣人の賊ほど最期まで油断のならない者もない。国への忠義と大義があればこの悪癖は驚くほどあっさりとなくなるのだが。

 隻腕となった彼はよたついたあと遠吠えでもあげようとしたようだが、結局口はわずかに開かれただけで、間もなく青ざめて倒れた。遠吠えをあげても集う仲間はいない。

 レイダン・ミミットは一応周囲を警戒した。
 気配を探ったが静かなもので、敵はいそうになかった。

「終わったか」
「はい」
「――血を切っとけよ。こいつらの血は濃いからな」

 バウナーが黒鋼鉄の愛剣クォデネンツを振って血を落とすと、党員たちも各自の武器の血を払ったり拭いたりした。

 レイダンはふと、あたりに転がっている獣人の数を数えた。

 ――20はいる。この根城の集落に来る以前にも、見張り小屋から20人以上戦った。全員それなりの腕前で、1人の狼人はドラクルガードにいたと言っていた。
 ドラクルガードは亜人のみで構成されるフリドランの精鋭部隊の1つだ。ドラクルガード所属が事実かどうかは分からないが、実際レイダンと斬り合えたのは彼だけだ。

 何人ものアマリア兵と無辜の民を殺した獣人の賊徒<白蛇を食らう獣>は、<黎明の七騎士>に討伐が依頼されるのも納得の実力を持った相手ではあったが、終わってみれば半分以上はバウナー1人でやったようなものだった。

 誰よりも速く動け、誰よりも体が頑丈である。
 斧よりも重い剣を誰よりも速く振り、その一振りは誰よりも鋭く、そして重い。
 誰よりも多く戦闘に有効なスキルを持ち、古竜の血により毒物が効かないという稀な人族。

 それがバウナーという男――古竜将軍と大陸で囃される男だった。

 レイダンはレベル56となった今でも訓練は毎日欠かさず行っている。しかしいつからか、バウナーとの実力の差は一向に埋まる気配がなくなった。レベルが上がっても。
 この差が、バウナーの体に流れる古竜の血に由来していることは理解しているし、周知の事実であるようにもはや獣人と人族との身体能力の差のような、種族間に存在する圧倒的な先天性的な能力の差であるともレイダンは理解している。

 だが、長年諦めきれない心境を抱いてきたなか、自分がバウナーを超える未来はいよいよ訪れないかもしれないという予見を近年のレイダンは強めていた。今もまたそうだ。
 たとえレイダンがまだ伸びしろがあり、自身の持つ天才剣士と呼ばれ親しまれている天賦の剣才を駆使したとしても、その未来の到来は予期できそうになかった。

 かつては伸びしろが足りないとして己に苛立った。矜持が蝕まれるのをなんとかこらえた。
 今は呆然と静観するしかない。そうすることで、荒みそうな心情に蓋をすることができる。バウナーの立つ舞台は歴史に名を刻む英雄たちのみが立つことを許される。英雄ではない者が立ったところで、進むことすら叶わないのだと。

「どうした」
「いえ。……何でも」

 バウナーはとくにレイダンには取り合わず、「頭目は分かるんだが、2番手や3番手について分かる奴はいるか?」と党員たちに向かって訊ねた。

 党員たちはしばらく顔を見合わせていたが、

「私とフベルトが戦った眼帯の奴は1人では少し骨が折れたかもしれません」

 と、クバが答えた。

 クバはレベル42の逸材であり、レイダンに次ぐ実力の持ち主だ。フベルトもクバと同程度でレベルは41ある。

「眼帯をしている奴なら数人見たが」
「猫人の奴です」
「そうか。首を切っといてくれ。もう1人は誰か検討つかないか? 分からないなら最悪顔つきが悪い奴か体つきのいい奴でいい」

 バウナーはそう言って、少し勢いをつけた《水射ウォーター》で、黒鋼鉄の剣クォデネンツの刃先を洗い始める。
 ホムンクルス兵で荷物持ちのエミルがバウナーの元にやってきて《水射》を行おうとしたが、バウナーは他の奴を頼むと言って、彼の助けを断った。

「まだ粗削りでしたが、《瞬筋》を使っていると思しき者がいました」

 と、フベルト。

「じゃあ、そいつでいい。……首の回収をしといてくれ。奴らだと分かるようなものがあればそれもな。俺は少し集落を見てくる」

 バウナーは洗い終えたクォデネンツを鞘に納めたかと思うと、黄金の羽根飾りのついた冑を脱いでレイダンに手渡した。そうして集落の奥に歩き始める。

 レイダンはバウナーに続こうとしたが、すげなく手を挙げて「警戒しておけ」と言われたため、居残ることになった。エミルが《水射》の魔法陣を出してきたので、剣を差し出す。
 レイダンはしばらくバウナーの先に敵がいないか気配を探っていたが、変わらず何も気配はなかった。

 レイダンに感知できて、バウナーに感知できない敵などいない。これはレイダンの副党首としての責務であり、バウナーの隣にいるための行ってきた義務だった。
 油断したバウナーを助けられる日がくると信じて行ってきた義務でもある。しかしそんな日はなく、バウナーの感知や索敵はいつも完璧だった。

 クバが「《瞬筋》使う奴がいたのか」とフベルトに訊ねた。

「ああ。バウナー様やアラッタ様のに比べたらたいしたものじゃないけどな」
「そりゃそうだ。ヤーシダ準教官のと比べたらどうだ?」

 さあな、とフベルトは口元を緩めた。

「あの人の《瞬筋》なら俺でもできる。腕の調子がいい日ならいつでもな。こうやって」

 クバはそう言いながら、拳を天に突き上げては肘をたたむのを繰り返した。

「クバ、あんまり準教官の陰口を言ってるとそのうち罰をくらうかもしれないぞ。陰口が理由でうちの給料が半分になったらすぐにお前を引き渡すからな?」

 レイダンがそう言うと、クバは肩をすくめた。

 回収した首と、斬り落とした頭目の腕や尾をまとめていると、バウナーが戻ってきた。
 後ろには右目付近に青あざのあるみすぼらしい格好をした少年がいた。耳が長い。子供のエルフだ。

 絹のような薄い茶髪に、暗褐色の目。
 精霊との繋がりは分からないが、魔力はほとんど持っていないようだ。魔法に所縁はないだろうとレイダンは踏んだ。

「バウナー様。その子は……」
「床下で鎖に繋がれていた。貴族に買われたらしいが、移動中に奴らの襲撃に遭ったらしい」

 エルフの少年は利発そうな眼差しの中に不信の色を強めてレイダンたちを見上げた。
 人族で言えば歳は10ほどか。最低限の食べ物は与えられていたのか、それほど衰弱している様子はない。

 レイダンはバウナー含めた党員の中で最もエルフの彼を哀れんだことだろう。
 なぜなら<金の黎明>の中でレイダンが唯一エルフと親密な付き合いがあり、最もエルフに好意的でもある人物だからだ。ただしこのことは誰も知らない。酒飲み仲間の1人という程度なら納得できるかもしれないが。

「貴族は死んだのですか?」
「ああ。こいつ以外全滅したそうだ。6日前のことらしい」
「そうですか……」
「貴族はカレンバハというらしいが。知ってるか?」

 レイダンは心当たりはなかった。党員たちも知らなかった。

「パヴェル。こいつに呪いの類がないか調べてくれ」
「はい」

 魔導士のパヴェルが前に出てきて間もなく、少年が「ないよ」と告げた。意外としっかりとした声音だった。

「……ないのか?」
「隷属魔法しかかけられてないから。僕と契約した主人は死んだから《麻痺パラライズ》も解除されたし」

 奴隷の契約を結ぶ際には隷属魔法を使う。
 奴隷側には《麻痺》の魔法の永続的付与があり、もし主人に反抗的であったり、主人を害そうとしたりすれば奴隷は痺れて動けなくなり、内容によっては気絶したりそのまま死んだりする。少年が言うように、主人が死亡すれば隷属魔法は解除される。

 バウナーはしばらく少年のことを見ていたが、やがて彼の頭に手を置き、「一応調べてやれ」とパヴェルに告げた。
 だが少年の言う通り、やはり呪術的痕跡はなかった。

「エルフは俺たちより体の成長が遅いんだったな。歳はいくつになる?」
「冬に20になったよ」
「20か。ラドリック、お前のところの息子が20ほどじゃなかったか」

 ラドリックは目線を泳がせて「ええ、まあ……」とあいまいに同意した。
 ラドリックが動揺したのは、子供とはいえ第三者のいる場で、バウナーが自分の子供について訊ねてきたからだろう。

「<黎明の七騎士>って結婚しないんじゃないの?」

 と、エルフの子供。七騎士を知っているようだ。

 レイダンは話が進むのを危惧したが、レイダンの心配をよそにバウナーはいとも簡単に答えてしまった。

「一応な。だが、秘密で結婚してるぞ。全員ではないがな」

 少年は党員たちに視線を寄せたあと、「なんで? 掟破りじゃないの?」とごく自然に、外見のままに子供らしく疑心と無垢な好奇心を一緒くたにして訊ねた。
 レイダンはさきほどまで人質として囚われていたにしてはずいぶん元気な子供だと呆れた。バウナーが救助した際にあれやこれやと説明したのかもしれないが。

「掟破りではあるだろうな。だが、破っても処罰の対象ではないんだ。妻や子どものことは隠さなければならないがね。公になれば七騎士は脱退しなければならない」
「ふうん……。変なの」

 バウナーは確かに変だろうな、と少年に同意した。
 レイダンは子供、それもエルフの子供には理解できないだろうなと思う。

「バウナー様。国や教会は破られてもいい教義をつくったわけではありませんよ」

 と、ラドリック。

「ひとえに我々<黎明の七騎士>の威信と尊厳を保ち、国を守る剣の鋭さと信仰心の堅固さを維持するためです。先の国はもちろんのこと、親の七騎士たちの血を受け継いだ後代たちのことを見据え、我々の人としての弱さを容認してくださっているのです」

 その通りではあるが……

「だが、破られているのは事実だ。たとえ周囲が許容していようと、“そういう掟”であろうとな」

 レイダンは予想通りのバウナーのいつもの切り返し文句にため息をつきそうになったが我慢して息を殺した。
 ラドリックも何度も聞いているだろうに、毎回真面目に説明して飽きないものだった。

 レイダンはいつものように

「エルフは我々よりもプラトニックな民族ですからね。恋人関係にはなりますが愛人を持つという概念はなく、多くは結婚しなければ友人や同胞のままです」

 と、仲裁がてら話を逸らした。
 色事がそんなに簡単にすむのか、とバウナーは早速乗っかってくれる。

「もちろん愛が深ければ涙ながらに別れることもあるそうですよ。ただ、理性的と言いますか……まるで僧のような脱俗的な見解も持っていて、演劇の題材にもなるような破滅的な恋愛にはたとえ女性であっても首を傾げる人も多いようです」

 少年が見てきていたので、レイダンは眉をあげてみせた。
 だが少年は少し唇を突き出しただけで、とくに変わった変化は見せずに見つめ続けていた。子供らしい素振りだが、20という実年齢を考えると子供っぽすぎる言動だ。

「レイダン、お前はエルフと面識があるのか?」

 レイダンは「人伝に聞いただけですよ」と嘘を言った。

「今はほとんど本や噂で知るだけですが、仕官する前には客とよく話していたんです。色んな種族の変わった文化や習性は色々と聞きましたよ。代わりに代金をまけられたこともありましたが。俺が話してくれと頼んだわけじゃないのに」

 エルフと面識がないのは嘘だったが、あとは事実だ。

 そういえばお前の家は物も馬も預かってたな、とバウナーは薄い笑みを浮かべながら納得する素振りを見せた。
 バウナーの言う通り、レイダンの実家は革職人の家でありながら倉庫と厩舎も経営していた妙な家だった。経営は万事上手く……いっていたわけではないが、革職人としての腕は当時領内の組合内では指折りの家であり、小貴族の支援者もありで、それなりに上手くいっていた。常時その辺の商人よりは金もあったはずだ。

「ビテシルヴィアに住むエルフたちは男と女という認識が薄いとも聞きますね」

 今度はパヴェルが説明を付け加えた。

「彼らの恋愛は恋愛にあらず、魂と魂の密接な繋がりだと」
「男と女に関してそんな単純な――俺たちの恋愛のことだ――二元論的見解に囚われてはいないって言ってたエルフがいたな。学匠のようだったが」

 と、クバも続いた。

 確かにそうかも知れないとレイダンは内心でクバの発言に同調する。
 そしてその認識から生まれる愛の形は非常に尊いもののように感じた。

「同性愛や演劇の恋愛とどう違うんだ?」

 パヴェルは「私は恋愛の分析家ではないので」と話を進めるのを辞退した。
 バウナーに分かるように説明するのが億劫になったこともあり、レイダンは帰還を促すことにした。英雄は恋愛達者になれないと述べていた著述家がいたが、少なくともバウナーに関してはまさにそうだ。

「ところで何もなければ帰還しようと思いますが」
「そうだな」

 レイダンは党員たちのことも一瞥した。敬虔なラドリックとバースは教義を軽んじられたため多少むすっとしているが他は同意している雰囲気だった。

 バウナーが歩き出したので、レイダンたちも続く。

「聞いてなかったな。名前は何ていうんだ?」
「ニコロ。ランドルプールで薬とか薬草を売ってる家の息子だよ」
「ランドルプールか」
「行ったことある?」
「いや、俺はないな。近くに寄ったことはあるが」

 レイダンはランドルプールには遠征の際、何度か近くに寄っている。だが、上からはよほどのことがない限りエルフの街には入らないよう言われているため、滞在はしていない。
 世話賃や迷惑料で法外な請求が来たり、あとあと面倒なことを吹っ掛けられるのが分かっているからだ。

 レイダンの後ろでクバがフベルトに「ヴァーヴェルみたいな交易都市だったか?」と訊ね、フベルトが「いや、関所みたいなものさ」と答えた。

 バウナーがフベルトにランドルプールについて訊ねたため、道中の話題になった。

 ランドルプールはフリドランの南端にある都市で、エルフの住人は半分ほどであり、あとは外から来た別種族の者だ。拠点の1つとし、家を構える人族の商人も多い。
 ランドルプールの警備は厳重だが、そもそもフリドラン領なため他国から戦いを無闇にしかけられることもなく、エルフ以外の者からも評判の良い街でもあるためだ。

 ただ、野菜料理が多く、肉料理の味がずいぶん薄いこと以外を除いて。
 貴族でも肉を食べない日の方が多いというエルフ曰く。野菜を食すことが健康になるとはもっぱらの話ではあるのだが、野菜ばかりを食べて喜ぶ者は人族の間ではよほどの変わり者しかいない。いや、変わり者でもそういないだろう。だから料理人連れの滞在者は多い。

 ランドルプールがフベルトの言うところの関所という認識は間違いではない。南からフリドラン領内に入るためにはこの都市で許可を取る必要がある。
 認可証は推薦状や証書の類以外では、屋敷が1つ買えそうなほどの法外な金額を払う必要があるとされる。挙句払ったとしても入国できるか分からないという話もあり、払う人族はバカと色欲狂いだけだと揶揄されている。

 ちなみにニコロは身売りされてきた子供だった。

 家が所属していた商会の悪事が露呈したことにより商会は追い立てられ、同様に親の店の売り上げも落ちたため、金を工面する必要があったらしい。そこでニコロが金策になったわけだった。
 よくある話で、子供の方も「よくある話だよ」と諦念を見せるのまたよくある話ではあったが、エルフの子供の口からこぼされるとレイダンはなんとも不憫に見えたものだった。バウナーも他の党員たちも同情を隠さなかった。

「――僕はやめた方がいいって言ったんだ。うちの店は明らかに粗悪品を売ってたし。でも生意気だって、引っぱたかれるだけだった。タダリオ先生の言っていた通りになったよ」

 バウナーが口をへの字にして、「俺は人族の商人の話を聞いているのか?」とレイダンに顔を向けた。
 レイダンはまったくその通りだと思いながら「どこの家も一緒ですね」と同意した。違うのは耳の長さと寿命だけのようですね、とフベルトも続く。

「その目のあざももしかして親からか?」

 レイダンが訊ねると、「いや、これは……死んだ獣人の奴から。アバタヌって言われてたうるさい奴」と答えられる。
 痛みを思い出したのか、ニコロはそう言いながら眉をひそめて唇を引き締めた。

「エルフの顔は殴ると値が下がるって怒られてたんだけど。そうなの?」
「まあ……そうかもしれないな」

 ニコロが見てきたので、レイダンはあいまいに頷いた。

 エルフの顔立ちは人族には表現しづらい魅力がある。白くほっそりしており、それでいて眼差しは戦士のように凛々しく、射手のように鋭くもある。程度の差はあるし、慈悲深い者はそのような雰囲気が緩和されるが、男でも女でもそうだ。
 この容姿の評価・美観は賛否があるが、とくに顔立ちが人族に寄っている者に関しては品があり、高貴だとして貴族からは好まれる顔だとされる。

 価値云々はニコロの言う通りだろうが、子供、とくにエルフの子供の前では答えづらい質問だった。
 20歳で人族的には子供ではないし、その辺の事情はこの中ではレイダンが一番分かっているはずだけれども。

 バウナーがエミルにポーションをくれと言ったので、エミルは従った。あざを治療するようだ。

「別に値を戻したいわけじゃないがな。飲め」

 ニコロが渡されたポーションを飲むと、やがてアザがなくなった。

「わ、いいポーションだ」
「そうか? 普通のポーションだと思うが。なあ?」
「中位のポーションですが品質は最高のものですし、ポーション売りの家の者でもなかなか飲まないかと思いますよ。贅沢しなければ3ヶ月は暮らせますから」

 パヴェルが穏やかな面持ちでニコロの様子を見ながら説明すると、バウナーも「そうか。そうだったな」と頷いた。
 ニコロが感激してポーションを称賛したので、パヴェルは我々は七騎士であり、戦闘には傷はつきもので迅速に回復しなければならないと続けて説明した。ニコロは分別くさい顔になって納得した。その商人の息子らしい様子にレイダンたちは和んだ。これ以上のものを飲むこともあるというと、怒ったようにずるいと言ってきたものだった。

 停めていた馬車が見えてくる。馬車には御者の他、党員2人とバウナーの従士のバッシュがいる。

「着いたな。……ん?」

 ニコロの腹の虫が鳴った。ニコロは俯いて腹を抑えた。
 バウナーは「馬車の中でなにか食べるといい。たいしたものはないがな」と、父的な笑みを浮かべた。

 ・

 ニコロが寝息を立てているなか、レイダンは彼をどうするのかバウナーに訊ねてみた。

「ラモリケに信用できる奴がいてな。狭き門だと思うが、働き口は見つかるだろう」

 狭き門に働き口? レイダンはいぶかしんだ。

「ボホナー様に報告しないんですか?」
「こいつが人族の子供ならいいんだがな。ダークエルフもそうだが、人族の国に身売りされたエルフにはろくな話を聞いたことがない。性奴隷がまだマシに思えるくらいにはな」

 レイダンは視線を落として眉間にシワを寄せた。確かにその通りではあった。

「お前たちも見ただろ。執政議員のクラトフスキの奴の地下室をな。エルフの白い肌が白竜教の信仰心を高めるなど馬鹿げた話だ」

 レイダンはさらにシワを深めた。ちょうど思い浮かべたのがクラトフスキの事件だったからだ。
 党員たちにしても続く言葉はなく、馬車内にはしばらく沈黙が訪れた。

 党員たちもそうだろうが、クラトフスキの話はレイダンにとって嫌な事件の1つだ。

 ある日、ミンスキー城に訪問したフリドランの使節団はアマリアに身売りされてきたエルフへの“行き過ぎた仕打ち”への調査を頼み、しかるべき対処を求めてきた。
 ようは暗黙の了解として強いられている奴隷の過酷な労役――そのうちの1つである性的な仕事を下劣極まりないとし、エルフの種族的尊厳を破壊していると文句を言ってきたわけだ。珍しい要請の類ではないが、わざわざ訪問した使節団から言われてしまえば調査する他ない。

 使節団の目があり、フリドランを蔑ろにするわけにもいかなかったため、この調査はそれなりの規模の調査班を各地に動員することになったが、驚くべき進展を見せた。やがて、調査班の1つがある近隣都市の執政議員クラトフスキの元にたどり着いた。
 そうして諜報員たちにより暴かれた事実は、クラトフスキの屋敷の地下が、身売りされたエルフや死んだエルフを買い集めて「解体する場所」であることだった。

 言葉通りだ。耳、髪、肌、骨肉、爪に至るまで、クラトフスキはエルフの骨肉を内々で売りさばいていたのだった。
 用途は単なるカツラから美容や医療、研究などの用途まで様々だったが、求めた者の中には国の重鎮や白竜教の幹部もいて、アマリアの重鎮たちは頭を抱えることになった。

 白竜教において人肉を食すことは断罪すべき禁忌の1つとされる。しかし人族はもちろん獣人の肉を食すことは嫌がられる一方で、エルフという古の種族が持つ神秘性は、人食という罪の意識を和らげる矛盾点が発生していた。
 バウナーが言うように白竜教の信仰心を高めるなどという俗説もあり、水面下で秘密裏に取引されていた。

 レイダンにしても、エルフの耳の粉末で美しい肌を保っているという貴族夫人の話を聞いたことがある。
 死んだエルフの耳、それもごく少量の粉末だというので、貴族や信者間でたまにある迷信めいたものだとして、毛嫌いはあってもそれほど問題視はしなかったのだが……。

 屋敷の地下で出会った、四肢のもがれたエルフの虚ろな眼差しがレイダンの脳裏に浮かんだ。
 彼女はレイダンが助けにきたというと殺してほしいと静かに口にした。殺せるわけもない。

 フリドランにみすみす引き渡すことができるわけもなく、彼女は保護された末、秘密裏にラーカ・ダムに送られたという。
 ラーカ・ダムはホムンクルスをはじめ主を失った者ないしは行き場を失った者たちの流れ着く場だ。国が保護する中立地区でもあり、要請なくしては誰も手は出せない。

「その信用できる奴というのはどのような方ですか?」

 沈黙を破り、フベルトが訊ねた。

「酒屋の亭主なんだがな。傭兵団の元締めと繋がりがある。この元締めとも俺は古い友人でな」
「傭兵団……? ホルトハイム連合ですか?」
「いや、グライドウェル傭兵団だ」
「グライドウェル……オルフェのですか?」

 フベルトは疑懼の念を隠さなかったが、バウナーはこともなげに、ああと頷いた。
 当然のようにレイダンにも、なぜ自国ではなくオルフェを頼るのかという疑惑が湧いた。それからなぜ身売りされた子供の預け先が傭兵団なのかという疑問も。まさかニコロを傭兵にするわけでもないだろう。

「傭兵にでもするんですか。それともオルフェの傭兵団は身売りされた子供に仕事の斡旋もしているのですか?」

 今度はラドリックが訊ねた。誰もが湧いた疑問だったろうが、彼は嫌味を隠してはいなかった。

「してはいないな。傭兵にするかどうかはわからん。まあ……グライドウェル傭兵団は異種族も受け入れる集団でな。俺の知る限りでは鳥人ハーピィと魔族くらいだな、所属していない種族は」
「つまりバウナー様は自国よりもオルフェが信用できると? 祖国が誇る筆頭騎士という地位に就いているにも関わらず」

 バウナーは今度は明らかな批判的な姿勢を見せてきたラドリックをしばらく見つめたかと思うと、深めに息を吐いた。

「エルフの身請け先という点に関してはそうなるのかもな。規制されたにも関わらずいまだにエルフの粉末を飲んでいる者がいるようだからな。知ってるか? ボホナー軍務官の妻もいまだに飲んでいるらしいぞ。ボホナーも容認している。俺はボホナーも飲んでいるのではと考えている」

 これには驚いたようで、ラドリックは「まさか」と狼狽えた。
 ラドリックが見てきたのでレイダンは「残念ながら」と真実であるのを告げた。ボホナーからはバウナーと一緒に口止めはされていたが。

 ラドリックは言葉を続けず、難しい顔で俯いてしまった。
 ボホナー軍務官は<金の黎明>の補佐をしている人物だ。クラトフスキの事件の際には声高に弾劾し、公開処刑の時にも列席していたほどの人物でもある。

「俺は別に祖国が信用できないことを理由にグライドウェル傭兵団に頼むわけではない。単に複数の種族をまとめ、指揮下にも置ける者が、エルフを不当に害するわけがないと考えただけだ。だから邪推はよせ」
「で、ですが、あなたほどの者が頼むとなればオルフェに貸しをつくることも同義です。いずれ良からぬ企てに、」

 ラドリックはそこで言葉を止めた。レイダンも気配が異様に強まったのを感じ取り、目の前の筆頭騎士に思わず視線をやった。
 まるで討伐難易度の高い魔物と対峙しているかのような重くひりついた空気。威嚇と怒り。レイダンは幾度となく経験しているが、身の毛が立ち、思わず緊張感が高まるのは未だに止められない。

「俺の友人が信じられないとでも?」
「いえ……」

 ラドリックは青ざめた顔でバウナーから目線を逸らした。

 バウナーの“威圧”は、一部の学匠たちから竜の威圧《ドラゴニック・ダン》と呼ばれている。

 党首たちの放つ高まった殺気や戦気から受けるものとも似ているが、バウナーの威圧の効力は圧倒的で、抜きん出ている。
 本来殺気や戦気の類、学匠からは「存在圧」とも形容されている対峙した者に圧力を与える力は、レベルに差が開けば効力が高くなり、差がなければ、つまり同程度のレベルなら効果がほとんどなくなるものとされる。だが、バウナーの場合は違い、同程度のレベルの党首たちであってもぞんぶんに圧力を感じさせることができる。例外中の例外だ。

 この威圧は、バウナーの体に流れる古竜ジンラーダの血からきているものと見なされている。

 バウナーの母親の家には、先祖が冬眠から目覚めたばかりで機嫌の悪かったジンラーダから命からがら逃れてきた逸話が伝わっている。
 その証拠に家には数枚の竜鱗が保管されてあるが、逃れてきた時の彼は血まみれだったそうだ。自身を手で掴んできたジンラーダと顔を合わせた時に目に剣を刺し、その時に血を浴びたのだという。以来彼は病気をほとんどしなくなり、体も丈夫になった。

 もっともバウナーの母親、祖父母は多少病気に強い以外に変わった点はなかった。
 ハリッシュ家にしても古竜討伐の経験もなく、古竜の血が流れているわけもない。バウナーは突発的な遺伝的覚醒――いわゆる先祖返りだとされる。

 他の党員よりレベルが高いことにくわえ、常に傍で圧力を感じてきたこともありバウナーの威圧の効力が薄いレイダンは、やがて正常な思考を取り戻し始めた。間もなく、バウナーが友人を疑われたことに対してだけ怒ったのではないと理解した。
 単にそろそろ自分の堪忍袋の緒が切れることを告知したのだ。

「ラドリック。バウナー様もおそらく他に思惑があってのことだ」

 レイダンは一応擁護したあとバウナーを見ると、まったくその通りだと言わんばかりにバウナーは腕を組んだ。だが、さほどの思惑はないだろう。
 威圧も解かれていた。いつか訊ねたものだが、バウナーは基本的には意図して威圧しているわけではないという。

「俺が知るのはグライドウェルの三男なんだが、こいつは善人でな。獣人の飲んだくれが酒屋で暴れた時、ちょうど居合わせたもんだから場を収めようかと思ったんだが――」

 レイダンは彼が説明をしている間、やりきれない気分になっていた。
 御者台にいるバッシュが荷台にいればいいのにと思った。

 レイダンは誰もが認めるバウナーの女房役だし、レイダンもかつてはそのことを半ば誇りに思いつつ日々を過ごしてきたものだが、ここ数年はそのような心境にはまるでない。

 バウナーが何か重大な事件を起こすのなら早く起こしてほしいものだった。
 そうなった暁には、党員の中ではレベルが2番手であり、人望もあるレイダンが党首に推挙されることは間違いがなかった。

 白竜教から煙たがれることもなくなり、<金の黎明>がいらぬ不名誉を被ることもないだろう。そしてその先には――約束の成就がある。

 レイダンは約束のために党首にならなければならなかった。
 党首になることは布石にすぎない。自分の幸福のための。誰よりも細く、茨も多い幸福の道を歩むための布石の1つにすぎない。


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