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ホムンクルス異世界竜統記録 9-43~44

9-43 緑竜大戦 (5)




 俺は葬式場にいた。周りは当然喪服を着た人たちばかりだ。

 視線がすいぶん低く、俺の足は小さく、短足だった。
 黒い革靴に白い長靴下、黒のハーフパンツ。黒いブレザーも着ている。小学校の入学式のような格好だ。

 子供……?

 ――大輔さんのところにお世話になればいいのに。あの人に1人で子供を育てるなんて無理でしょ。
 ――さてね。
 ――明海さん、顔しか取り柄ないのに。キャバだか水だか知らないけど辞めさせられたんでしょ? これまでだって恒義さんが、
 ――おい、葬式だぞ。そういうのはやめろ。
 ――なによ。いまさらあの人の肩持つの? 遺産だけはたんまりあるもんね。
 ――じいさんの遺産は恒義と愛人の山野辺一家の養育費と画家になった奴らへの支援金で、あとは美術館に寄付だがな。
 ――は? そうなの? あんたのは?
 ――言わなかったか? 親父たちが使い込んだんだよ。俺の絵もたいしたもんじゃないしな。だいたい期待するほどの額はもうねえよ。

 これは……父さんの葬式か?

 俺の隣にいた女性が顔を手で覆った。嗚咽がだんだんとはっきり聞こえてくるようになる。

「――なんで……なんで死んだのっ!? ……私一人じゃ何もできないのに!! 恒義さん……うぅ……」

 母さん……? 手で覆っているのであまりよく見えないが、言葉から察するに若い母さんだろう。

 耳をつんざくような声には驚いたが、納得はできた。

 父さんが胃がんで死んだあとの母さんは人が変わったように生活が荒れ、色々とひどかったと聞いている。
 手首や首を掻きむしり、しばらく入院を余儀なくされていた。やがて落ち着きはしたが、退院後は痩せ細るばかりで、ある日静かに死んだのだと言う。合わなくなった結婚指輪を握りしめて。

 近くで座っていた女性が駆けてくる。

「明海さん」

 女性は母さんを抱いた。髪が短いが、若い義母さんだった。

「大丈夫よ、大丈夫……大丈夫だから」

 一瞬本当に義母さんかどうか疑ってしまった。そのくらい義母さんの声音は優しかった。
 同じく傍にきていた義父さんが俺のことを見ていた。若い。言葉こそ口にしなかったが、気にしなくていいんだよ、と労わるような、穏やかな表情だった。

 義父さんの表情に熱海旅行に乗せていった時の老いた顔が思い出される。穏やかな顔は老いてから見せるようになったと思っていた。……



 ――気付けば俺は拘束されていた。背後の木から伸びた末、ベルトのように平らになった樹皮によって四肢を固定されている。
 周りには植物――茎なのかツルなのかは分からないが――による鳥かごのような檻。

 檻は人ひとり分程度のごく小さな収監サイズで、花がまばらに咲いている。
 花のいくつかは緑や紫色の光を幻想的に放ち、花の周りでも同じく視認できるほどの濃密な魔素マナが、光を放ちながら漂っていた。檻から覗く空は青かった。

 どういう状況だ……?

 腕に力を動かすが、俺を押さえつけている樹皮はまったく動きそうになかった。

 それにしても。

 さっきの父の葬式の風景はずいぶん昔のことだ。まったく思い返したことがない類の記憶だった。
 よく脳にしまってあったもんだ。俺には中学生以前の記憶はほとんどない。こうなるとほかにもあるかもしれないが……。

 ふいに木に胸を貫かれそうになったことを思い出す。
 慌てて胸を見るが、穴の開いた形跡はない。幻……? 葬式もか? いや、葬式のは別に幻っぽくはなかったが……。

 再び腕や足に力を入れたがまったく動きそうになかった。葬式の記憶を見る前も檻を破壊できなかったことが思い出される。

 俺はネロに負けたのか?
 ……まあ、そう毎回うまくいくわけないよな。複数で仕掛けられてはいたが、そもそもネロとの戦いはあまりうまくいってなかった。補助を段々と強められるほどにはネロ側に余裕があったし、竜巻にまんまとしてやられていた俺に呆れていたっぽかった。

 というか……体がなんか重いというか。

『起きたかい?』

 そんな時に、覚えのある男と女の声の混ざったような声。

 声のした左前方を見ると、地面に伏せていた鹿のような角を生やしたドラゴンの顔――ネロがいた。
 傍にはケンタウロス。ケンタウロスは杖を向けてはおらず、じっと俺のことを静かに見つめている。

『きみが今経験したのは《春の祭典ライト・オブ・スプリング》というこの世界で私のみが扱える技でね。この大陸にいる知的生命体すべてに効果のある魔法さ』

 知的生命体すべてに……?

「子供の頃の夢を見たのもか?」

 ネロは意外そうに、『なんだ。ずいぶん落ち着いてるね』と俺の状態を評した。落ち着いてる?

 ネロはゆっくりと頭を起こし、巨体も起こした。空はすぐさま巨体と翼に覆われ、俺の元には影が作られる。ネロの後ろにはネロよりもさらに高い高木たちがある。
 ネロはそうして軽く翼をはためかせた。翼の骨格から垂れている無数のツルがなびき、葉擦れ音のようなわさわさした音も辺りに響いた。

 いまさらだが、ネロは翼が結構でかい。このでかすぎる図体で空を滑空する姿はいまいち想像ができないが、飛ぶための翼でないならここまで大きくないだろう。
 それにまたネロはインやジルよりも体長も大きい気がした。人型モードの“軽さ”を見ていると、少し意外にも思えてしまう。

『この《春の祭典》はね。魔法行使阻害、肉体能力の低下、幻を見せる効果、混乱・陰鬱・狂気といった精神錯乱の類、毒に麻痺、……他にもあるが、まあ実に様々な効果を術を受けた者に与える』

 内心で軽く慌てるが、俺の精神状態は至って普通のように思える。体の方も重い以外にとくに変化はない。……重いのは肉体能力の低下か。

『《春の祭典》の効果は状態異常を防ぐ装備をいくらつけてようと無駄さ。もちろんミリュスベの腕輪でもね。……魔法阻害、肉体の弱体化、幻視以外では毎回違う状態異常がかかるのがネックだが、相手の行動を阻害し足止めする技としては《春の祭典》に勝るものはないとされているよ』

 ランダム状態異常系に足止め系最強スキルか……。
 魔法行使阻害に肉体能力の低下もあるとか厄介極まりない技だ。

『気に病むことはない。この技の前に屈さなかった者などいないし、インやジルや他の七竜たちですら幻に捕らえられてしまうのだから』
「……インたちも?」
『ああ。軽く試したことあるからね。もっとも、インは殺したところで再生するし、ジルに至っては植物たちが近づきたがらず、拘束効果はほとんど効果はなかった。彼女は“いつも燃えている”からね。冗談抜きでね。ゾフも似たようなものだ。他のみんなも効果は半減といったところだったね』

 ゾフが燃えているのは黒波ニグルム由来かと訊ねると、その通りだと返される。

『さあ。ダイ。今のきみには選択が迫られているよ。その状態をどうにか脱して戦闘を再開するか、それともここでその生を終えるか』

 ……え? 生を終える? 生は生だよな。

『きみの体からはさぞ大きな霊樹が伸びることだろうねぇ。この世界に生まれてまだ日が浅く、世界との繋がりも薄いがゆえの純粋かつ異質な魂、異質であるがゆえか……我々以上の不遜なまでに膨大かつ濃密な魔力、そして……そのような魂や魔力を際限なく閉じ込めておける特別製の“器”!』

 ネロは最後には感極まった。

 ……何言ってるんだ?

『仮にも我々を束ねる者となる予定だった魂が宿った樹だ。この古き竜の治める地バルフサに認められ、新しい第二の大霊樹となる可能性はおおいにあるだろう……!』

 ――ギャアアァァオッ!!

 ネロはそうして初めて咆哮をあげた。性別的には中性らしいが、ジルよりも野太い咆哮だ。

 大……霊樹? ユラ・リデ・メルファのことか? ……俺がか?

 ビリビリと肌に伝わってくる咆哮による振動に俺の体は震えが止まらなくなった。止めようとしても無駄だった。《春の祭典》とやらの効果かもしれない。

『喜びたまえ!! きみの霊樹は私たちが責任を持って育てることを約束しよう!! 大精霊たちに誓い、このバルフサの大地と木々にも誓おう!! この七竜は一柱である緑竜に任ぜられた使命であると!!』

 ネロは感極まってそう高らかに宣言した。最後にはびっしりと生え揃った、人間など一瞬でかみ砕けそうな鋭い歯を見せながら。この広い森のどこまでも伝わりそうな遠吠えのような大声だった。
 突如として”正体”を現したネロへの戸惑いよりも、恐怖が勝っていた。俺の肉体はネロの咆哮と宣誓にあまりにも簡単に屈した。肉体にもたらされた恐怖が俺の精神へと水流のごとく速やかに伝搬し、たちどころに俺はネロが大陸の覇者であると痛感せざるを得なかった。実際に俺をねじ伏せた実力とともに。

 そして到来したのは死への焦り、もう安寧の日々に戻れないことと俺はこれからどうなるのかという不安だった。
 「樹になる」なんて俺の意志が存在しないに決まっている。言葉通りの植物人間に違いない。

『フーリアハットのあらゆる命を育て、救う霊樹になるだろう。新たな救済の樹だ!! きみのリリアンの宝果よりも甘い犠牲心と心の奥底に眠るザロメンティアの剣のごとき義が、この世界のあらゆる生けとし生けるものを救うのだ!!』

 ケンタウロスも杖を何度も掲げながら、声こそなかったが歓喜した様子でその場を踊るようにまわった。
 季節を無視して鮮やかに色めいた木々が、ネロの宣言を歓迎するかのようにいっせいに梢を揺らし始める。精霊なのか、木々のいくつかには緑色や黄色の光が瞬いていた。まるで祭りの合図、戦争の勝利にでも歓喜するかのように、光は縦に横にと螺旋を描き、踊り狂っていた。

 な、なんだよこれ……。手合わせだろ?
 俺の身の震えは依然止まることがない。
 
「…………俺を、……殺すのか?」
『うん? 殺すわけないじゃないか。きみは“永遠に生きる”のさ! みなから感謝され、崇められながら、この世界の守り樹としていつまでもみなを見守るのさ!! 君がいつでも心では望んでいたようにろくでもない奴も立派な奴も等しく、だ。もっともきみがそれを望むなら、もしくはそうせざるを得ない状況なら、だがね?』

 ネロは後半には愉快そうに語り、アゴを上下させながら高笑いした。

 ……望むわけないだろ…………。

 思いっきり力を込めるが、俺を捉えている木はやはりまったく微動だにしない。《魔力装》も《魔力弾》も念じてみたがやはり無駄だった。くそ。どうすりゃいいんだよ……。
 焦った心境の中で、ダメ元で魔法名を脳内で念じていく。だが、何も動きはなかった。ただウインドウは出てくるようだった。ウインドウだけ無事でもどうにもならねえよ。

 思い切って念じてみたが、切り札である《凍久なる眠りジェリダ・ソムノ》もダメだったことにはさすがに落胆した。

 俺はここで死ぬのか……? イン…………アレクサンドラ……。イン!! インを念話で呼んだが無駄だった。
 そういえばインがネロとの手合わせにあまり乗り気ではなかったことが思い返される。無理やりネロがインを説き伏せたのだろう。もちろん、俺を殺す算段は伏せて。

 姉妹やホイツフェラーをはじめとする戦斧名士ラブリュスの面々やジョーラたちなど関わってきた人たちの顔が浮かんでしまう。
 七竜たちをもっと警戒すべきだった。でも……ルオやフルたちは親切だったぞ? あれも……なにか裏があるのか?

 俺は依然として小刻みに震えている体を無視するように頭を振った。今はとにかくこの状況の打開だ。
 魔法名を再び念じていく。祈るように、あるいは叫ぶように数回ずつ。

 ……やがてもう念じていないのは《灯りトーチ》《微風ソフトブリーズ》《水射ウォーター》のお馴染みではあるがまったく戦闘向きでない3つの魔法しかなくなっていた。使えたとしてもどうにもならないだろう。

 うなだれながらダメ元で《灯り》と念じてみると、俺の眼前に現れる温かな魔力の気配。え?
 諦めかけていた俺の心境に小さいながら希望の光が灯った。

 だが《灯り》は――俺の目の前に現れた《灯り》は、俺の想像していたいつもの小さな火ではなく、一回りも二回りも大きかった。
 また、確かに外部では“燃えている”のだが、燃えている火の内側ではドロップ型の巨大な宝石と血のような真紅色の艶やかな輝きがあった。宝石が発火しているというには火の部分と宝石の部分がなんら違和感なく溶け込んでいた。宝石には大量の魔力にくわえて魔素があった。魔力は俺のだ。

 チリチリとかすかな音と焦げたにおいがあり、見れば俺を捕縛している樹皮の表面が軽く焦げていた。天井の檻のツタもだ。別に接面はしていない。

 これは……始原魔法だ。
 教えてもらったばかりだし攻撃用に使ったことはないが……いけるのか?

 脳裏に浮かぶのは、部屋の天井に届いていたごうごうと燃え盛る火柱。

『それは……』

 俺は目を閉じて念じた。強く。そして、いくらか動揺しているらしいネロから邪魔を受けないよう素早く。

 ――檻や俺を捕縛している木を燃やせ!!

 まもなく俺の眼前には急速的に熱が発生し、魔素も爆発的に増え。爆発の気配を感じて顔をそむけた。
 そうして「ボン!」という鋭い破裂音。音の割に衝撃は多少の風のみだったが、唐突に磔刑の支えを失った俺は軽くよろめいた。

 驚いて周囲を見てみれば、檻はもはやなく、地面に少量の炭らしきものを残すばかりだった。

 手足の枷の木もなくなっていた。同じように少量の炭が手には残っている。煙はなかった。
 足元に輝くごく小さな赤い石ころが点々と転がっているのに気付く。

 目の前には相変わらず宝石めいた火が空中に鎮座していた。内部の宝石の輝きは強まり、外炎への浸食も多くなっている。

『…………驚いたよ。まさか始原魔法まで使えるとは』

 ネロは知らなかったようだ。
 ネロの驚いたという言葉をよそに、ケンタウロスが杖を掲げていた。杖の周りで一気に膨らむ魔力。

 俺はとっさにケンタウロスに向けて再び燃やせと念じた。
 するとケンタウロスが突如“発火”した。ケンタウロスは一瞬で炭になった。俺の眼前の火のような赤い石は一瞬熱を持ち、輝きを強めただけだった。石からケンタウロスへ火が投じられた形跡もなかった。さながら発火能力パイロキネシスだ。

『……へぇ。アドラヌスの聖火と同じか。……インやジルが退屈しないわけだ』

 そうつぶやいたネロは、ケンタウロスに首を向け、彼の最期を見守っているばかりだった。

『だが――』

 と、今度はネロの方からケンタウロスとは比べものにならない量の魔力の膨張を察知できた。
 そうして一転して素早い動作で俺に向けて開けられる口。上下に鋭い歯が所狭しと生えた暴力的な口腔内には白い輝きが漏れ、今まさに溢れんばかりだ。くる――

 だが檻を壊したところで、《春の祭典》の効果のせいか、俺は相変わらず本調子ではないようだった。

 俺はネロの攻撃――ブレスを避けることが出来なかった。

 ジルのブレスの速さには劣るが、ただ、ジルのものとは比べ物にならないほどネロのブレスは範囲が広かった。
 本調子だとしても果たしてまばゆい光で満ちた広範囲光線を避けられたかどうか。俺には分からない。

 ――何も出来ないまま、俺はブレスの直撃を受ける羽目になった。
 視界が一気に白み、目を閉じた中、俺は死を覚悟した。義母さん……義父さん……――

 ……だが、ブレスを終えても俺の体は無事だった。まったくもって無事だ。周囲の地面も変化はまったくない。

 ただ、脱力感が酷い……。俺は立っているのがやっとで腕を上げる力もなかった。何もやる気が起きなかった。

 俺の眼前には多少大きくなった始原魔法の火があり、防いでくれたのか分からないが、輝きがなくなり透けてしまっている。内包していた俺の魔力や魔素もかなり減っている。弱々しい存在感だ。

 突如として俺の周囲の地面からは再びいくつもの太い木が出現し、伸びてきた枝に俺はただちに捕えらえた。
 さきほどの磔刑の時の木と比べるまでもなく木々は数倍太く、伸びてきた枝々は強靭な蛇のように素早くうごめき合い、俺は半ばもみくちゃにされる形でなすすべなく木に埋もれていった。頭以外ほとんど木の中に埋もれてしまった。

『私のブレスは浴びた者からたちどころに戦意を奪う代物でね。《春の祭典》と合わせれば無力化できない者はいない。もっとも、本来なら魔力も枯らすのだがね』

 俺はぼんやりとした意識の中、納得した。
 納得しながら、大陸を統べる最強のドラゴンにしては悠長なブレスだと思った。ネロはそういうタイプのドラゴンなのか……? でも、あの竜巻はきつかったな……。

『…………前々から思っていたが。きみはこの世の理を無視しすぎている。この世界で着々と育まれ、厳戒に守られていた理をきみはあまりにも容易に無視し続けている。七竜というバルフサで最も強大な存在を目の前にしても』

 理……?

『我々にしても理を脱却できずにいるというのに。……羨ましいとすら思うよ。きみを捕らえられる者はもはやこの世界に存在しないかもしれないな』

 ネロは視線を彼方にやりながらつぶやくようにそう語った。諦念を多分に含んだ静かな口ぶりで、冗談っ気は欠片もない。

 規格外だと言いたいんだろうが、俺だって好きでやってるわけじゃない……。今だって拘束できてるじゃないか……。

『まあ……たとえきみがこの世界の理を破壊し続け、誰も到達できない純理を発見し続ける者だとしても、今の私はきみの一歩先をいくことが出来る。例の氷の大規模魔法はここでは通用しない』
「え……」

 《凍久なる眠り》もダメなのか……?

『当然だろう? 私がわざわざ氷像になりにいく愚か者だと思ったのかい? そんな愚か者は七竜にはいない。事前にどのような魔法が来るのか分かっているのなら封じることはできる。たとえ、理から外れている魔法だとしても、魔法であることには変わりない限りはね。私たち七竜をなめるなよ』

 ネロの言葉は相変わらず静かだったが、いくらかの怒りも内包しているように思えた。
 俺は……七竜をなめてたのか……? なめてたんだろうな……。

『私はきみと戦うにあたって対策を練ってきた。本来なら大陸に終末を呼ぶこむ類の魔人への対抗手段だった。600年以上もの間、私や精霊たちが魔力を注ぎ続け、効力を上げ続けてきた設置型の大型魔法だ。ジルにはよくからかいのタネにされるがね』

 設置型の大型魔法……。

『どんな魔人でも倒せるようになるレベルダウンの魔法さ。理論上は150はレベルを落とすことができる。フーリアハット以外で使うには大幅に効力は落ちるがね』

 ……レベルダウン?



9-44 緑竜大戦 (6)



『……しかしダイ。私は実際に戦うまで君のレベルが我々よりも遥か高みに達していることを信じなかったよ。こればかりはインの正気を疑った。ジルですらも容認していることは私の好奇心をぞんぶんに刺激したものだ』

 俺は自分のステータスウインドウを出した。

 俺のレベルが……138になっていた。赤字だ。
 各種ステータスもほとんど半減している。……道理で調子が悪かったわけだ。

 状況に納得していると、突然俺の体から急激に魔力が失われていくのを感じた。同時に肉体的な痛み。なん、だこれ……?
 ミシミシと骨がきしむような強烈な痛みにくわえて、急激にのどが渇いていき、強い頭痛もおこった。混濁する意識。

「……ぐっ……! ぁッ……!」

 だが、失われた魔力はすぐに回復した。俺の胸の辺りから溢れるように魔力が現れ、充填されていくようだった。引く喉の渇き。
 だが、肉体的な痛みの方はさほど緩和されないようで、体中が関節痛にでも襲われているかのようなピリっとした痛みが俺を襲い続け、くわえて四肢の至るところでは熱も持ち始める。

『おぉ……ハハッ! 興味深いね。魔力が湯水のように溢れるな。そいつらの吸引力は自分が大魔導士だとうぬぼれている奴の魔力を一瞬で枯らせるんだぜ? ついでに生命力も奪う』

 痛みが引いてくれるのはいいが、突然の体調の変化に意識は追い付かない。朦朧とした意識のなか、額から二筋の汗が流れ、口からもよだれが垂れていくのを感じながら、俺は今自分に起こっている各症状が静まるのだけを願い、待った。

『治療しててよかったね。もし治療していなかったら君は今頃死んでいるかもしれない』

 また魔力が吸われていく。肉体の痛みも走った。

「…………ぐぅ……! やめ、ろ……」

 魔力は再び充填され、喉の渇きもなくなるが、痛みによる精神的苦痛が消えるわけではない。肉体の痛覚も増すばかりだ。

『やめてほしいなら自分でどうにかするんだね。設置型魔法だし、動力源や仕掛けの類があるってことだからね。もっとも。そう簡単にバレるような場所に仕掛けちゃいないけど』

 …………余裕かましやがって…………。

 再び魔力の吸収ときしむような痛み。頭痛も痛みが激しく、額から汗が止まらなくなってくる。
 ネロはじっと俺の様子を観察でもするように眺めている。角を生やした森の主然とした爬虫類の顔には表情の変化はないが、本性を現したことだ。内心ではあざ笑っていることだろう。クソが………。

 疲弊の激しさのままふと視線を上にやると、鳥たちがゆっくりと旋回しているのが目に入る。6、7……8匹いる。

 あいつら……始めからずっといるな……。…………高みから見物か……。見てたら楽になるかな……。

 …………“始めから”?

 肉体的痛覚を我慢しながら鳥たちを眺めていると、わずかだが鳥たちから不可解な魔力の放出があった。集中して確認する。やはりそうだ。
 魔力はそう濃いものではない。ただ、糸のように細く、放射線状に散った魔力は地面にたどり着くと細い柱をつくるという不可解な動きがある。ちょうど俺たちのいる辺りの森を囲うように柱はでき、そうして消えた。

 今までは鳥だと思っていたが、彼ら自身にも違和感があった。うまく言えないが……変なのだ。魔法的な擬態……?

 仕掛けはあれか……? だが……。俺には今、始原魔法の聖火とやらしかない。
 と、薄まっていた始原魔法が色味を強めていた。内包していた俺の魔力もほとんど回復している。

『鬱陶しいね、それ』

 ネロの顔の前にはやがて緑色の魔法陣が2つ現れ、輝き、聖火の上空から“それ”は発射された。
 レベルダウンの影響かまったく視認できなかったが、“それ”が凄まじい速度で聖火に到達するや否や一瞬で霧散し、消失してしまったのは分かった。再び魔力吸引による喉の渇きと痛み。なんとかこらえ、状況の確認に精神を集中する。

『…………チッ。忌々しいな。防御力までアドラヌスの聖火並みか』

 次いでネロの目が緑色に光った。また何かするらしい。
 今度は黒い魔法陣がネロの眼前に出現し、重なるように一回り小さい緑色の魔法陣も出現した。2つの魔法陣が向けられているのは聖火だ。

『こいつはきついぜ?』

 ネロはそうして右足を踏み鳴らし、巨体を軽く乗り出して威嚇するような姿勢になる。
 すると魔法陣が強く輝きだし、ネロの顔周辺や魔法陣で膨大な魔力が密度を高めていく。

 ……今度は何だ?

 てっきり魔法陣から出てくるのかと思いきや、――やがて薄緑と黒の直線で彩られた太いビーム光線が聖火を横から殴るように襲った。発射元には別の黒い魔法陣があった。転移……。
 聖火はしばらくビームにすっぽり覆われてしまっていたが、ビームが終わって現れた聖火は無事だった。少しも傷ついてないように見える。頑丈だな……。

『…………馬鹿馬鹿しくなってきた。や~~めた』

 そうして再び到来する俺への魔力搾取。……うぐっ……。やめろって…………。

『《断空砲ボレアス・カノン》も効かないなんてどうしようもないね。アドラヌスの聖火以上じゃんそれ』

 ネロはさきほどの世界の主然とした風采はどこへいったのか、ふうと息をついてその場に座り込んでしまった。

 一転して静寂が訪れた。だが、俺への魔力搾取は続けられ、俺のうめき声だけが空しくあたりに響いていた。ネロは俺のことをただ眺めているだけだった。

 クソ……。のんきに静観しやがって…………。

 聖火はネロの様子をよそに赤々と存在を主張し続けている。落ち着いた心臓の鼓動のように、緩やかに明滅を繰り返して。

 さきほどの上空の鳥たちを視界に入れる。相変わらず鳥たちは旋回している。

 ……あいつら、やれないか?

 また魔力の搾取が行われる。

「……っぐ!…………はぁ、はぁ……」

 ……この搾取は延々と続けられるのだろう。俺の魔力が枯渇するまで。殺さず、搾取するのに留めているのは霊樹とやらにするためなんだろう。
 なら、それまでにどうにかしないといけない。ネロがやる気をなくしている今はチャンスだ。届くのか分からないし、あれじゃないかもしれないが、何もやらないわけにはいかない。

 ――……聖火。あの鳥たちをやれ。……できれば……ネロに気付かれないように。

 そう俺が念じると、聖火は鼓動の脈動を強めた。ただ、俺の念じようを反映したかのように静かなゆっくりとした脈動だ。視線を鳥に移して間もなく、――鳥の1匹が消失し、2匹目も消えた。
 ちょうどネロが腹ばいになる。俺に目線を向けたが、やがて目をつむった。俺や聖火自体にはほとんど動きがないからか分からないが、気付いてないのか? まあそれなら好都合だ。

 立て続けに念じていく。鳥たちは1匹また1匹と消失していった。
 残り2匹となったところで、ネロが突然半ば身を起こし、上空を見上げた。

『……死を告げる包囲レクイエムバードもやれるのか。もうお手上げだよ。私の魔力は無限にあるわけではない。きみと違ってね』

 やはりからくりはあの鳥たちだったようだ。
 ネロのため息交じりの言葉をよそに、俺は残りの2匹も破壊した。

『……きみを止められる者はここにはもういない』

 ネロは静かにそう言って俺を見据えた。諦めたのか、ずいぶん落ち着いているようだ。
 一転して俺の体の方は力がみなぎり始めた。止まっていた血が巡り出したように、得体が知れないエネルギーの奔流が体内を満たしていく。得体は知れないがエネルギーはあたたかく、俺の四肢・体内の隅々まで充足感を与えてくれる。拘束され、力もなくなっていた俺に「何が」足りなかったのかも教えられる。魔力は偉大だ。

 節々のきしむような痛みも頭痛も嘘のように引いていった。思いっきり力を入れるとあまりにも簡単に引きちぎれる俺を捕縛していた木々。

 あっけないな。
 見れば俺のレベルやステータスは元に戻っていた。しっかり280だ。赤字もない。

 軽く拳を握る。体も本調子だというのが分かる。

 諦めていた様子だったが、ネロは再び口を開けていた。
 口の中には莫大かつ濃密な魔力。魔力が無限にあるわけじゃないとか言っていたが、ブレスは吐けるらしい。

 俺の全てが元通りになった今、くらうわけもない。リベンジだ――

 俺は全力の《瞬歩》でネロに向けて走ってブレスを避けた。そして背後にまわり、首筋に飛び乗った。
 首の後ろは根が這っているような前部とは違い、枯葉色の竜の鱗が露出していた。かつてインも守られていたように防御魔法が二重でかかっているようだが関係ない。インは三重だったし問題なく割れるだろう。

 散々なぶってくれたな!――

 俺は首元を思いっきり《掌打》した。

 ――反省しろ!!

『――ア゛ッ゛……!! いっ、てぇぇ…………』

 俺を背中に乗せたまま、ネロは俺がもたらした衝撃のままに猛烈な勢いで地面に叩きつけられた。
 俺に地面がなくなると同時に、震える大地。規模はもはや地震だ。だが巨竜は左腕を軸にすぐに起き上がろうとした。

 まだ余力がありそうだ。
 着地した俺はこれまでの仕返しとばかりにもう一度《掌打》した。今度はもっと力を込めて――

 ズバン! というさきほどより密度のある野太い音が鳴り、衝撃波がたちどころに周囲の木々を襲った。一瞬で木々は凪がれ、鳴り響いていく大音量の梢の音。ネロから追い込まれていた状況でもなければさぞ尻込みする光景だっただろう。
 再び俺の体は浮いてしまった一方で、地面は一瞬で陥没し、広範囲のクレーターができた。緑色の巨体は地面に押しつぶされた間抜けな状態になり、クレーターの一部と化してしまった。ここでさすがに俺は自分の力に少し引いた。

 巨体に着地し、しばらくピクピクしている腕やわずかに上下していたアゴなどの様子を、動物を痛めつけてしまった後悔の微妙な心地で眺めていたが、巨竜はやがて1分も経たないうちに動かなくなってしまった。
 殺してしまったのかと内心では焦ってしまったが、やがて荒い呼吸が足元から伝わってきたので胸をなでおろした。

『…………一瞬飛んだか……。これが、……インのくらったやつか…………とんでもねぇな…………』

>称号「生命の危機を乗り越えた」を獲得しました。
>称号「生きるか死ぬか、樹となるか」を獲得しました。
>称号「始原魔法の使い手」を獲得しました。
>称号「瞬爆の炎使い」を獲得しました。
>称号「アドラヌスの再誕」を獲得しました。
>称号「緑竜の策謀を阻止した」を獲得しました。
>称号「レベルダウンの脅威を知った」を獲得しました。

 ……終わりか?

 ネロの体から降りる。ネロの周囲は10メートルほどか、ずいぶんな高低差ができてしまった。本当に自分がやったのかと疑わしい気分になる。

 ネロは地に伏せたままに動かなかったが、やがてうっすらと白く輝きだしかと思うと、するすると体が小さくなっていった。
 いたのは…………人型のネロだ。俺の知るネロではなく、小学生かいって中学生くらいの男子。もちろん素っ裸。ジルと同じ現象だ。魔力はほとんどない。

「あー…………疲れた…………千……300年振りか…………ネフティ・ラマン・ノー……懐かしい…………」

 ネロは尻が丸出しのうつ伏せの状態のままそうつぶやいた。変声期前の少年の声だった。周りは巨竜の形の深い溝ができている。

 何の気なしに俺も疲れたと便乗して言いそうになった。

 殺すことは置いといて、ネロが俺にしてきたことを踏まえすなら怒り心頭になっていなければならないんだろうが、テンションは全く追い付かなかった。むしろ現在進行形で下がり続けている。
 今回はまともに攻撃を何度もくらった。《春の祭典》やらブレスやらで状態異常をかけられまくった弊害もあるだろう。

 なんにせよ、ネロへの怒りは形にならなかった。
 ただただ疲れがあった。だるかった。七竜たちへ明確に芽生えてしまった疑念のせいもあっただろう。インは信じていいよな……?

 一応警戒はしていたが、やがてネロの周りの地面から木が生えだした。木はそれほど大きなものではなく、うねうねとしつつもゆったりとした動きには敵意はまったく感じられない。
 地面が盛り上がり、ネロの体が浮き上がる。浮き上がった地面は根っこで覆われていた。根っこはやがて緑色に変色し、茎のようになり、葉で覆われ……周囲で生えてきていた小ぶりの木々がネロの体を覆っていく。実にファンタジーな光景だ。

「……少し寝るよ。明日には最低限回復するだろう。フリドランを案内できるくらいには」

 だがネロの言葉に呆気にとられる。
 ……は? 俺を殺そうとしてたのにか?

「……俺を殺そうとしてたのにか?」

 幼くなったネロは軽く首を動かし、ちらりと俺を見た。
 相変わらずの天パの緑髪はともかく、顔は言葉通りの天使のような美少年だ。ただ、子供にしては悟りすぎている冷ややかな表情だった。子供なんてのはたいたいこんな表情をしているものかもしれないが。

「きみが望まないならここですべて終わりにしてもいい。私たちとの関係も私たちがきみに強いた契約も、すべて。……だが。インは望まないだろう。インはきみが我々の長になることを望んでいる。母としてね。インのアレは極めて純粋な母的な感情だ。ときどき……眩しく映るよ。他の奴らはどうか知らないが、私は母という普遍的な存在を一応評価しているからね」

 ネロは淡々とした口ぶりでそう告げる。インは確かに望んでるかもしれないが……。

「……時は進み始めている。ユリウス様の望み通りに」

 ユリウス様? 創造神の類か上司的なものか?
 ユリウスとやらともいつか戦わなければならないのかとうんざりとした心境になっていると、ネロは目を閉じた。

「じきに戦いの鐘は鳴る……備えておいた方がいい……守りたいものがあるのなら。きみは確かに強いが……無知で……魂も幼すぎる……。……この世の狂気と闇に、……食われるだけだ……ユリウス様の懸念通りに……。……我々はきみの…………教師になろう…………」

 語りが止まってしまったので見にいくとネロは寝息を立てていた。幼くなった全身を、布団のようになったやわらかそうな枝や葉に収めながら。

 教師て。さっき殺そうとしていた相手の言葉じゃないだろ、と毒づく。
 と同時に、ネロの一応心配しているらしい口ぶりから、俺への霊樹化はネロの本意ではなかったのかもしれないという疑惑も芽生える。

 さすがにお人好しが過ぎるだろうか。過ぎるんだろうな。
 ……でも仮にそうだとしたら、霊樹化は誰の意志だ? ユリウス? 何のために? ユリウスもまた俺のことを気にしている風だが……。

 ネロの本心や裏の思惑が分からずにいると、周囲から緑色の光が集まってきた。木精霊か?
 ネロをやったのは俺だし少し身構えたが、緑色の光は俺の方には来なかった。ネロの元に行って寝入るネロの周りをふわふわと漂い始めただけだった。

 そうして光は数十個の規模になった。結構集まったなと呑気に思っていると、精霊たちは1つまた1つとネロの体に入り込んでいく。入り込まれた部分は淡く輝き、しばらくすると精霊はネロの元から出てきた。延々とこの挙動が続いた。
 よく分からないが敵意はなんら感じないし、ネロの回復でもしているのかもしれない。ただネロのほとんどない魔力量はとくに動きがない。

 俺に敵対してこないかと危惧したが、精霊たちは俺のことはまったく意に介していないように見えた。そもそも顔がないので意に介しているのか分からないのもあるが……。

 ふと1つの大きな緑色の光が俺の目の前にやってくる。後ろにはネロの周りのよりは大きい緑色の光が2つある。

 緑色の光は俺の目の前でふよふよ浮かんでいた。明らかに俺になにか思惑がある風だ。なんだ?
 やがて光は淡く輝きだし――豪華な装飾品を身にまとい、腰からは葉でできた腰布を巻いた、王族というか由緒ある一族っぽい風貌の金色と緑色の混じった髪を持った青年になった。耳が長いが、ヤギのような下に向いた角が側頭部にある。背は小さく……50センチくらいしかない。妖精?

 青年は改めて俺に目を合わせると微笑し、胸に手をあてて一礼した。言葉はなかったが、友好的らしい。
 精霊はそうして腰につけていた二股の枝を取り出した。枝は何の変哲もないように見えたが、表皮には模様っぽいものがあり、模様はエメラルドグリーンに明滅していた。

 精霊は枝を俺に向けたかと思うと、枝に向けて息を吐いた。
 枝を通じて吹いてきたそよ風は木のにおいがした。少しハッカっぽい爽やかな香りも混じっている。微量だが魔力もあった。

>スキル「精霊王(木)の加護」を習得しました。
>称号「精霊王(木)の加護を得た」を獲得しました。

 え? 精霊王だったのか……。

 加護らしいが、体には何の変化もない。ただ、爽やかな香りと微妙な魔力が残っただけだ。魔力の方は少しずつ薄まっていっている。

「加護くれたの?」

 妖精は俺の言葉に頷きながら上品に微笑んだ。そうして小枝を腰のベルトにしまい、発光したかと思うとまた緑色の光に戻った。

 精霊王を含めた3つの光はネロの元に行って他の光と同じようにネロの体を行ったり来たりし始めた。しばらく見ていたが、神秘的で不思議な光景だ。

 スキル画面を出す。
 スキルの《精霊王(木)の加護》はパッシブスキルらしく、レベルはないようだ。まあ、何かしらの効果はあるのだろう。

 することのなくなった俺は地面に座り込み、そして仰向けになった。

 そのうち迎えがくるだろう。その時どう言い訳すればいいのか考えたが、あまりいい案は浮かばなかった。起こったことを言うしかないと俺は考えるのを放棄した。

 あー……。疲れたな……。

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