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10-9 歌う猫とイルイェク楽団


 俺たちは引き続き市場巡りを再開し、干し肉や漬物《ピクルス》を購入したあと――棒砂糖はどこぞの商家が買い占めたとかで売り切れていた――グライドウェル派遣所に向かった。
 馬用の装備や耐火装備などの馬車関係の懸念事項を聞いてみるためだ。

 幸い派遣所にはシルヴェステルさんがいたので、軽く話をした。

 シルヴェステルさんによれば、結界魔法の魔道具は準備してあるし、馬車の装備もある程度の準備はしてあるとのこと。また、セティシアからでよければより良い物を準備させることも可能とのことだった。
 至れり尽くせりで申し訳なくなってしまったが、柔軟性に富む対応をしてもらえるのはありがたいことだ。仮に実際にできなかったとしても道中の不安は減る。

 ただ、装備は派手にした方がいいのか、それとも地味な方がいいのかという質問に対しては、あまり装備は派手にせずに護衛の方で実力者をつけた方が賊にも狙われにくいし、油断もすると彼は意見を述べた。やはりそうらしい。

「賊は愚かな一党も多く、後先考えない者も多いです。貴族馬車あるいは装備を整えた馬車の通行をみすみす見逃すことはしません。ただ悪知恵は働きます。どこの家か、騎士や護衛の実力はどれほどか探ってみるのはもちろんのこと、どれほどの手勢がいれば襲撃を成功させることができるのかを考えるくらいはします。先日フィッタを襲撃した<山の剣>は“愚かでない例外”で、もはや並みの賊ではありませんがね」

 まあ、あいつらはそうらしいな。

「……残念ながら貴族の中には傭兵を嫌う方もいらっしゃるので、我々が助言をしたところで受け入れられない現実もありますが。シェフェーやスタンレーがいるのなら安心していいですよ。彼らが同行した旅路で、賊を返り討ちにできなかった前例はありませんから」

 レベル50もあればな。頼もしい話だ。

「ま、奴らもなかなかだが。私とダイチがいれば、賊などひとひねりだがの」

 シルヴェステルさんは俺のこともちらりと意味ありげに見つつ、「せっかく当家最強の傭兵を雇ったので、その御力は温存してもらって構いませんよ」と苦笑すると、それも確かにそうだの、私の魔力も無限にあるわけではないとインは納得する素振りを見せた。
 やれやれだが、シルヴェステルさんインの扱い上手いな。

「そうだ。マクイルさん――ああ、金櫛荘の支配人の人から馬車に荷物を運搬するなら手伝うと言われたのですが」
「ご準備の方はもう終わったので?」
「だいたいは」
「では金櫛荘に馬車をやっておきます。御者も呼んでおくので、明日荷運びを申し付けてください。私もうかがいますので」
「分かりました」

 御者はどんな人なんだろうなと思いつつ、俺たちは派遣所を出た。

 あとはネリーミアの店でポーションやエーテルを補充するだけ――クライシス産の効きすぎるポーションとは別でちゃんと所持しておきたい――なのだが、ウルナイ像辺りで人だかりができているのが見えた。

「何かな、あれ」
「さての」

 近づいてみると、やがて音楽が聞こえてきた。楽団が来ているようだ。

 軽やかな音楽だった。音楽には笛、タンバリン、ギター、いや、リュートがある。4拍子のベースのリュートに乗せて、アルトとソプラノの笛の音が小躍りするように主旋律と副旋律を担当している。
 メリットたちが演奏していたのと似た系統の牧歌的な音楽らしい。割とリラクゼーション系統になると思うが、こっちは複数の楽器を組み合わせて美しも軽やかなハーモニーを作っているので、議論や勉強の邪魔が割とできるのは想像に難くない。

「――最近楽団がよく来るな」
「新しい英雄が生まれたばかりだからな。稼ぎ時なんだろうよ」
「それにしたって浮かれすぎだろ。いくらケプラがまだ攻め込まれる心配が薄いにしてもな」
「そうカリカリするな、兄弟。『我らはいつ死ぬか分からない。だから道化のように歌い、踊るのだ』、だ」
「お前は演劇を見すぎだ。道化をやってたんじゃ剣は鋭くならない」
「兄弟は剣の振りすぎさ。剣を振りすぎていても賢くはならないし、世の中の愉しみも知ることができない」
「剣と傭兵に詭弁は必要ない」

 楽団とは反対側に歩いている通行人の傭兵2人の会話が耳に入る。新しい英雄というのは騎士団の団長のことだろう。

 と、猫の鳴き声がしたかと思うと、ウルナイ像の方で笑い声が起こった。猫は実はまだ見たことはない。
 サラバルロンドが来た時のように像の周りには人だかりがあった。例によって俺より背の高い人ばかりなので、笑い声の元が何なのかここからでは見えそうにない。お立ち台作ればいいのにとは思うが、狭い像周りに急造するのは少し手間だろうか。

「――みゃああ~お みゃははははお みゃあ~~~~お」
「みゃあ~あ~ みゃはははは みゃおん みゃお みゃおん」
「「みゃお みみみみみゃはあお」」

 猫……? 人が歌ってるんだろうけど獣人か?

「なんぞ面白いことしとるの」
「行ってみようよ」
「うむ」

 サラバルロンドの時ほどには人は詰まっていないようで、俺たちは人の少ない右側に回り込むことでなんとか見やすい位置につくことができた。

「みゃああ~お みゃはははは ああ~~ みゃあああお」
「みゃあ~あ~ みゃはははは みゃお みゃお みゃおん」
「「みゃお みみみゃはあお」」

 猫の獣人が歌ってるのかと思って少し心が逸ったが、とくにそういうわけではなく人族が歌っていた。

 猫のボーカルは少年と少女だが、インとさほど変わらない年齢に見える。猫耳や尻尾をつけたりはしていないが、少年は薄いえんじ色のシャツに水色のタイツ、少女は麦色のシャツに赤のタイツで、いつか見た道化師ほどではないが、なかなか派手な格好をしている。
 2人は身振り手振りでリズムに乗り、体を揺らしてステップを踏む程度の軽めのダンスを踊り、ときどき視線を交錯させている。

 また、奏者、歌い手ともにサラバルロンドで見た人々ではない。違う楽団らしい。
 傍には頭巾なのか帽子なのか分からないが、コイフのように肩部分まで覆いがある、頭頂部と両耳部分がとんがったへんてこな赤い被り物を被り、下には緑色のベストを羽織った長いアゴヒゲの人がいるが、とくに何かをしているわけではないようだ。

 それにしてもメインボーカルの2人は普通に歌が上手い。

 コンセプトは「歌う猫」で、おふざけの歌には違いないだろうけど、声は伸びやかでビブラートもよく効いている上に、はもりも綺麗だ。楽団なら素人であるはずもないのだろう。
 どうやら猫っぽく歌ってるだけのようだが、猫はたまによく分からない声で鳴いてることもあり、案外歌うとこんな感じなのかもしれないという気分にさせられる。歌詞を書きだしたらきっと相当ふざけた字面になるに違いない。

「みゃお みゃおわおわおわお みゃお みゃはははは みゃあああお」
「みゃあ~~~ みゃはははは みゃおわおわお みゃお みゃおん」
「「みゃお みみみみみゃはあお」」

 2人の技量と表現力に感心しながら聴き入っていると、音楽の音量が下がり、場は少し静かになる。

「みゃおあおあおみゃお~~」
「ミャオ氏は我が国を攻めたアマリアに大変遺憾に思っているご様子で」

 2人の横にいた赤い頭巾を被り、下には薄緑色のベストを羽織った口ヒゲを長く伸ばした人が少年に駆け寄り、俺たちに片手を挙げてそう解説した。
 笑いが起こる。俺も思わず口を緩めた。マジかよ。猫語の解説役らしい。

「みゃおあおあおみゃみゃお~~」
「ミャオン氏はただちに報復すべしと仰っていますな。――え? なんだって?」

 赤い帽子の人が“ミャオン氏”役の少女の方に寄って耳に手を当てた。
 少女が再びみゃおみゃお言う。解説役の彼は頷きながら、分かりやすく納得する素振りを見せた。

「報復も皆殺しも結構だが、ネズミとパンくずと葡萄酒は残してほしいとのことです」
「みゃおん!」

 笑い声が起こる。その通りとでも言いたげな少女の応答の声は、歌声とは少し違っていてまんま猫の声だった。
 皆殺しとは物騒だが声真似が芸人ばりに上手くて笑う。にしても猫ってワイン飲めるのか?

「みゃああ~~~~おん」
「みゃああ~~~~お」
「みゃははおん」
「みゃ~おん」
「みゃはぁ~~おわおあお」
「「みみみみゃははお」」

 ハーモニーは美しいが、日本語でおk。

 猫が歌う音楽がしばらく続き、やがてまた音楽の音量が落ちる。

 解説役の長い口ヒゲの人がまた前に出てきたが、後ろから押されて転倒しそうになる。演劇らしいおおげさな言動だ。
 押したのは猫耳の青年だった。お? メイホーの厩舎番のイスル君のように人の耳は彼にはないが、背はイスル君よりも高い。

「みゃおおん、みゃおあおあお! みゃおおおん」

 お前も猫語かい!

 俺と同じ気持ちなのか、観衆から笑い声が起こり、「お前もか」「あんたもか」「獣人って猫の真似できるのか」などといういくつかの感想。

「みゃお! みゃおあお、みゃおおおん!」

 だが、獣人の青年は今度は地団太を踏んで、解説役の人に怒気をあらわにした。
 慌てて解説役の彼は平伏した。かと思うと、ちらりと観客に顔を向けて囁くように口に手を添えた。

「猫風情と我々獣人を一緒にするなと怒ってらっしゃいます」

 なるほど? 失笑が起こる。

「み゛ゃあ゛あ゛おっ!!」
「も、申し訳ありません!! で、ですが、私どもはシャナク王に演目の許可を取っておりまして」

 そんなわけないだろ、という観衆の野次や含み笑い。

「やや! わたくしが嘘を言っていると?? そんなわけはございません! ――ほら、この証書をごらんください!」

 解説役はどこから取り出したのか巻紙を取り出して、憩い所でグラシャウス氏が王の証書を開示したように巻物を観客に見せつけた。

 俺たちがいたのは壇上のほぼ真横だったが、解説役の人はその場で隅の客まで巻物をしっかり見せつけてくれた。巻物には大きな猫の手の判子があった。王さま猫かよ。
 「猫だー!」という少年のあどけない声。みんなの視線が幼い少年の元にいき、隣にいた母親らしき人が静かになさいと彼を叱った。

 獣人が証書を乱暴に奪い取る。

「……これは失礼。本当にシャナク王の証書ですな」

 喋るんかい。軽い笑いが起こる。解説役の人も「喋れるんですね」と、両手をあげて大げさに驚いた素振りを見せた。
 そんなところで曲がちょうどフィナーレを迎え、解説役の人、ミャオ氏とミャオン氏、そして獣人の青年の4人が優雅に胸に手を当てて礼をした。

 拍手の最中に、「変わった劇だな」「結構面白かったわ」「アホな劇だ」などといった感想。
 確かになんなんだろうな、この劇は。(笑)でもしっかり歌上手いからな。

「それではみなさん。しばらくの間、我が楽団の演奏をお楽しみください」

 解説役の人が、さっきのふざけた調子から一転して真摯な語り口調でそう告げる。猫たちは静かにさせますので、と続けると笑いが起こった。
 4人の演者は去っていき、彼が告げたように音楽が再び演奏される。さっきのダンスミュージックにもできそうだった軽快な音楽と比べていくぶん落ち着いた音楽だ。

「おかしな寸劇だったが、音楽はいいの」

 インは上機嫌にそう感想を述べる。確かにいい。牧歌的なのは変わらないので、心が洗われる音楽でもある。

「寸劇も結構面白かったよ。猫の真似も歌も上手かったし」

 インは別にそうでもなかったのか、そうかと淡白に返答し、「お前たちはどうだ?」と次いで姉妹にも訊ねた。
 ディアラは俺に同調して「私も面白かったです」とコメントし、ヘルミラは「可愛らしい歌でした」とのこと。

「猫はそんな愛嬌のある生き物でもないがの」

 インは肩をすくめた。
 確かに犬のように尻尾を振ることはないが、インは猫はあまり好まないらしい。

「猫ってそこら辺にいるの? ケプラで見ないんだけどさ」
「山や他国にはおるかもしれんが。オルフェでは魔族との大戦以来、猫を飼っていた者は晒し首にした都市もあると聞くぞ」

 うわ。……あれ、そうしたらこの劇はやばくないか?

「劇で笑えるのなら、猫への感情もある程度風化しておるんだろうがの」

 そうだよな。

 と、横から「嬢ちゃん詳しいな!」と、俺たちの隣で太い腕を組んで劇を見ていた大柄な傭兵風の男性。
 吊りあがった眉目の下には涼やかな目元があり、口には八重歯が覗いていた。声のままに上機嫌であり、表情も柔らかくなっているが、俺は彼に動物的なしたたかさと獰猛さを直感した。外見が傭兵風だし、見慣れてきたのもあるだろうが、彼は間違いなく“戦士”だと踏んだ。もっともこの手の男は珍しくはない。

「確かに200年前の大戦中には猫を飼ってた奴は処罰されてたそうだし、王命でも猫は殺せとお触れが出ていた。ただ、お触れを聞きつけたシャナク王が取り下げろと言ってきたそうだ」
「ほお」
「今の劇は単なる冗談だが、シャナクの王には獅子の獣人が多いからな。遠縁の猫どもに慈悲をかけたんだろうよ」

 獅子王か。らしいといえばらしい。

「当時はシャナク王とオルフェ王で親交があったし納得だの」
「そうなのか?」
「うむ。宝物を交換しあったと聞くぞ。互いにずいぶんな価値のをな」

 インからしてみれば歴史を語ってるんじゃなくて、実際に見聞きしてたんだろうな。

「それは結構な仲だな。……七星王にはあまりそういう噂は聞かないが」
「近頃のシャナク王はずいぶん勇ましいとは聞いておるがの。エルフの指示には従うが、アマリアには常日頃戦いを仕掛けているとな」

 少し間があったので彼のことを見てみれば、怪訝なというか感情を消したような静かな表情でインのことを見ていた。単にインの発言の是非を探る表情とするには変化が極端だった。
 傭兵としては結構やり手かもなとふと思うと、彼のウインドウが出て、やはり傭兵であり、レベル35と出た。35ならじゅうぶん凄腕と言っていいのかもしれない。

「……そうらしいな。<黎明の七騎士>の設立も奴らの度重なる襲撃で遅れたらしいからな」
「隣国が精強になるのを防ぐのは当然であろう」
「まあな」

 なんにせよ彼はインの素性が気になった感じだろうか。ストレートに訊ねなかった辺りは俺的には好感度が上がるところだが、結構思慮深い人らしい。
 そんな話を耳に入れながら音楽を聴いていると、やがて音楽が終わった。拍手が起こる。

 解説の人が出てきて一礼した。

「この度はイルイェク楽団の音楽をご清聴いただきありがとうございました。いや、ご清聴ではございませんでしたな。“とてもにぎやかなご清聴”だとわたくしは感じましたが」

 よかったぞ、美しい音楽だったわ、などなど好感触の感想が飛び交う。
 解説の人は「いやはや、ありがたき幸せでございます」と、にこりと笑みを浮かべる。

「イルイェク楽団は正式に活動を始めてからまだ2年しか経っておりません。ゆえに、ゆえに。未熟な点はなにかとあるかと思いますが、そこはしょんべん小僧がしまうのも下手でまき散らしたとしてお許しください」

 うわ、汚ねえ。でも観衆にはウケたようで、方々で「未熟なうちはうまくしまえないよな」「いやだわ」だのなんだの笑い。解説役の人も下ネタを言ってる素振りはみじんもなく、優雅さを維持しているのでちょっと変な感じだ。

「では。お別れの曲を。――こちらの箱を置いておきます。慈悲深く、金で湯浴みをしているような方々は我々の楽団にお慈悲をいただければと思います」

 猫声を披露した少年が解説役の人に木箱を手渡した。
 おひねりか。しかし卑屈なのか洗練されてるのか。

「もし汚い手口で稼いだ金をそそぎたいなら、このどこにでもある木箱は非常に良い代物です。なにせ白竜様の浄化の魔法がかけられていますからね!」
 
 そう淀みなく言って、「ほ~ら、ごらんなさい」と、解説役の人は調子よくぽんぽんと木箱を叩いてみせる。
 笑う。うそつけ、ただの木の箱だろ、といった野次がちらほら。

「箱に入った金はたちまち浄化され、我々の腹の足しと皆様を楽しませるための楽器の維持費になります。そうして我々はそのうちに白竜様から直々に人を騙すのはよくないとしてお怒りを買うことでしょう。ああ、白竜様、違うのです! 金が異常に必要な狂った世の中が悪いのです! このやり取りにより、狂った世の中の日々に疲れた方々を癒すための契約を彼らと結ぶのです! 癒し人は王さまが道化師を雇うようなものですし、この契約は短期契約に見えて実のところ長期契約です。金のない農夫が道化師を雇えるでしょうか? であればこそ、このお慈悲という商品にはお値段がついていないのです!」

 このセリフもまた受けたようで観衆からは笑いが起こっていた。
 よく舌がまわることで。インと話していた傭兵の男も口元を緩めている。

「ああ、それと。当楽団はノルンウッド子爵様とエリクール子爵様から援助をしていただいております。決していかがわしい楽団ではございませんよ? わたくしにもモーリッツという親だか師匠だか、もしくは森の精霊様だかにいただいた名前がきち~んとございます」

 ちゃんと支援者いるんだな。演奏も歌も上手いしな。

 やがてモーリッツさんの言葉通りに木箱がウルナイ像の真下に置かれ、彼がパンパンと手を叩くと、彼の言うところのお別れの音楽が演奏される。
 音楽はタンバリンが太鼓になってがらりと雰囲気が変わり、リラクゼーション音楽味が薄まった代わりに勇壮さが加わった。

 モーリッツさんはすっと姿勢を正した。さきほど猫語を披露していた少年と少女もサイドに立った。そして3人は歌い出した。

 見知らぬ人よ 花畑を踏み荒らさぬように
 そこには燃える花がある 篝火の花がある だが守護者はいない
 見知らぬ人よ 花畑を踏み荒らさぬように
 そこは私たちの主が愛し、手に入れた古き地

 驚かされたが、美声だった。シャルル司祭に負けず劣らずのオペラボイスだ。
 見た目やさっきのトークとのギャップがすごすぎる。しかし惚れ惚れするほど上手い……。少年少女2人も打って変わって真面目に歌っているが、もちろん猫語ではなく上手い。

 慟哭と血を吸い 花々が枯れる時
 やがて叶うだろう いたいけな祈る人の悲願が
 見知らぬ人よ 罰を恐れるならこちらへ来なさい
 息吹を鉄の堰で止めることはできない

 盗人よ ジャフタクールの地を見よ!
 お前を待っている 赤い精霊たちが軍団を従えて
 盗人よ お前を芯まで完全に焼き払うために
 怒りの日だ お前を黒砂漠の裁判所に招くための――

 後半はちょっと怖い内容だが、これはジルの歌なのか? 燃える花とか息吹とか言ってるし。

「イン、この歌ってさ」

『この歌は赤竜の歌だな』

 やっぱり。

 ――そうなんだ。

『七竜教会が認可した歌ではないのだが、昔から民衆に親しまれてきた歌でな。禁じていた時期もあったんだが、僻村では歌われておったし、我らが魔人と戦う日には必ず歌われてしまっていた歌だ。司祭もな。だから禁じるのはやめたのだ』

 インは肩をすくめてそう説明した。
 魔人か……。察するも何もないが、ヒートアップするんだろうな。苛烈なジルの元にいる人たちらしいというべきなのかは分からないが。

『もっともこのような事例は珍しいことではないのだがの。似たような歌は七竜それぞれにいくらでもあるしの。……ジルには巣がないことは知っておるな?』

 ――うん。植物を枯らすんだっけ。

『ああ。水源も枯れてなくなるため、生物がおらんくなるのだ。この歌は簒奪者たち――ようは賊どもだな――への怒りと牽制の意を込めるとともに、そのことを哀れんでいる歌とされておる。自分の住処が持てんかわいそうな竜としてな』

 インはそう言いながら、くつくつと嘲笑した。
 でも実際は家持ってるよな。どういう家なのかは知らないけど。

 観衆の中から貴族っぽい身なりの1人が前に出てくる。
 彼は木箱の中に金貨を入れたかと思うと、自分はダータン男爵であり、イルイェク楽団の後援者になると宣言した。湧く観衆。

 ――哀れむってジルは嫌がりそうだね。

『実際嫌がっておったぞ。余計な世話だとしてな。ちなみにの。ジャフタクールは1000年以上前にジルが魔人と戦い焦土と化した地だ。……1300年前だったかの』

 1300年前? ふっる。

 ――ずいぶん昔だね。

『ジルも来訪しておった街だったそうだが、略奪の憂き目にあってな。やがて賊どもの住処となった。結構な規模の賊だったらしいぞ? ジルは魔人と一緒に街を焼き払うことができてせいせいしたらしいがの』

 七竜たちは建物こそ大事だみたいな思想があるようだが、ジルらしい話だ。……ああ、その辺のことを歌った歌か。

 ――その逸話を歌った歌?

『その通りだ。近くには大きな花畑もあったようだしの。もっとも今は誰も住まわせてないが。街が廃屋と瓦礫の山と化したのはもちろんだが、大地にも亀裂と隆起が生じ、ひどいありさまだったからの。今では賊が住みつくことのないよう瓦礫などを撤去した後、放置しておる』

 ブレスのせいか。

 そういえば、グラナンが歌ってた《赤竜の慈悲アグニスレイ》の話はいつの話だったか。脳裏に3000という数字がよぎる。3000年前はないだろ。ジルは確か1400歳だし。
 グラナンや七星王たちの信奉っぷりが浮かぶ。いざという時には外敵から守ってくれる守護者か……。

 何人かの裕福そうな人々が木箱に金を入れるために像と観衆の間を行き交っていると、やがて歌が終わった。

 鳴りやまない盛大な拍手のあと、モーリッツさんは改めて「本日はご清聴いただきありがとうございました」と高らかに礼を言い、次は公都ノーディリアンに向かうと告げ、楽団は像の前を引いた。
 さきほどの男爵や数名の人がモーリッツさんのところに向かった。支援内容に関して話し合いでもするんだろう。

 俺も金入れるか。有り余る金の有用な使い道だが、ダータン男爵より多い金額はやめておくか。彼を立てて。

「俺も金入れてくるよ」

 モーリッツさんのところに向かう。

「――あの、俺も金を清めたいのですが」

 そう冗談味を含ませて言うと、モーリッツさんはニッと分かりやすい親しみのある笑みを浮かべて「ありがとうございます、坊ちゃん」と礼を述べてくる。
 小便だのなんだの言ってた人にしては、笑顔にまったく邪気がなく、挙動にもへんてこな格好な割には品があるので内心で困惑してしまう。さきほどの素晴らしい歌唱を聞いた影響もあるかもしれない。

 木箱には銀貨5枚を入れたが、中には金貨が2枚あり、銀貨や銀銅貨も数枚あった。儲かったらしい。

「あなた様の身に赤竜様のご加護がありますように」

 親切に胸に手を当ててそう言葉を送られたので、俺も同じ文句で返答した。
 次いでインによる「こやつには銀竜の加護もあるがの」という横槍。そうだけどさ。

「それは重畳ですな。ではこの“銀貨”は大事にしなければなりませんな。銀竜様の加護があるでしょうから」

 相変わらずの気の利いた返答だが、インはやれやれとばかりに肩をすくめた。

「銀竜は冗談の類はあまり好かんと思うがの」とインがやり返すと、「したり、したり。これは敵いませんな」とモーリッツさんは人好きのする笑みを浮かべた。
 本人だけどと思いつつ、2人がいいコンビになれるんじゃないかと俺はちょっと思った。ダータン男爵も皮肉っぽかったが、俺たちの様子に笑みを浮かべていた。

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